奈良、旅もくらしも

【連載】下を向いて歩こう「その1 太古の記憶~天川村~」松田度

文・タイトル絵/松田度

 下を向いて歩こう…妙なタイトルだなと自分でも思う。ただ単純に、下を向いて歩くといろんなものが見えるよ、ということを言いたいのだが。これはいわば職業病だ。たとえば、道端に土器のカケラでも落ちていようものなら、見逃すはずがない。即座に手を伸ばし、そのカケラと会話する。ほお、○時代のお茶碗ですか…などなど。

 慣れてくれば、下を向きながら考えて歩く。そこに想像の世界が広がる。この地面の下、じつは太古に海だった、とか。この土地には何百年の間、いくども火災にあい、そのたびに復興してきた記憶が堆積している、とか。青い空には雲しかみえないけど、足元には地球の歴史や人々の泣き笑いが広がっている。だからぼくは下を向いて歩く。

 歩くことはよいことだ。歩けるうちは歩く。これもシンプルな話で、日々の生活はもちろん、自動車やバイクで味わえない旅をしよう、自分の足でプライスレスの世界をみつけよう、ということ。

 ぼくは普段、奈良県内で生活をしている。三輪山の麓・大和桜井の街で暮らし、電車に乗って、吉野大淀で学芸員の仕事をし、晴耕雨読、たまに旅。そのためか、だれも知らない山奥の遺跡や石碑、地面の下に眠っているものに興味がある。なかには、地域にとって忘れ得ない宝、と感じるものに出会う。深い大地の奥底にきらりと光るストーリー。それを見つけたいと小さな旅を繰り返す。社会学者・中沢新一風にいうと、それは「アースダイバー」というらしい。

 この連載では、奈良県内の各地に眠るストーリーを「アースダイブ」しながら歩いた記録を紹介していく。


 さて、記念すべき?第1回目をどうするか。天川村から始めることにしたい。

 この数年、吉野郡天川村を基点に、自分自身の地域学を実践している。天川村は、熊野灘へと注ぐ熊野川水系の源流。近畿最高峰の弥山(1895m)・八経ヶ岳(1915m)や、山岳修験の聖地・山上ヶ岳(1719m)から流れ落ちる天水が河となって、天ノ川と呼ばれ、それが村の名前の由来になっている。休日になると、この山麓の渓谷地で営まれた、村の成り立ちや文化のあり方をひたすら探るため、ひたすら歩き続ける。歩いていると、苔むした石垣や、道端で目に付いた小さなお茶碗の断片から、中・近世にさかのぼる街道の賑わいも聞こえてくる。

 天川村坪内は、有名な天河神社(天河大辨財天社)でにぎわう村落だが、天ノ川が還流構造(環のように河が蛇行しているようす)をなす不思議な地形を残している。その環のようにくねる河がまるで龍のように見えてくる。天河神社の神体(弁財天)も八頭の蛇(龍)と伝える。だが、それは密教の影響による後世の付会で、祈りの対象はこの坪内という空間そのものなのである。

 今から10年前の2011年9月、この地は台風による大災害をこうむった。河にかかっている橋も増水で水没する(飲み込まれる)恐ろしい光景を住民たちは目撃した。

 水が引いた後、どおんという音とともに、坪内地区周辺の3箇所で大規模な山崩れ(深層崩壊)がおこった。でも不思議なことに、天河神社を中心とする集落は、一部を除いて山崩れの被害をうけなかった。

 それから数ヶ月たった雪の日。住民のIさんが、深層崩壊を起した天ノ川の支流にあたる坪内谷を歩いていると、雪をかぶった河の真ん中にぽっかりとまるい2mくらいの穴が開いていて、そこからぷうんと硫黄のにおいがした、という。それはIさんだけではなく、そこへ来た人すべてが体験したことだった。それが数日後、すっかりきえてなくなっていたという。硫黄分を含んだ温泉が湧き、雪を溶かしていたのだった。

 大量の水を含んだ山が、何らかの影響で地殻変動を引き起こし、地下水の流れに影響を与え、眠っていた温泉を呼び出した。この地にはもともと温泉が湧き、それが信仰の場となっていた。天河神社の本殿前にある「井戸」は、地下深くで温泉の水脈につながり続けている。そう理解した。

 あるとき自然は、ほんとうの姿を人々にみせてくれることがある。人々はそこに畏敬の念を覚え、信仰の場(神社や寺院)を作り、祭礼を続けてきた。現代の人々は時折その深層を忘れてしまったように、表層で暮らしているが、大災害が教えてくれたように、その場所のもつ自然の特性に生かされながら、今も生きていることを肝に銘じたい。以上は天川村で出会った忘れえぬ太古の記憶である。

▲あなたには何がみえる?(空から見た天川村坪内・上が南) 写真は阪岡悌さん提供


筆者紹介

松田度(まつだわたる)
奈良県大淀町教育委員会学芸員。
1974年、大阪府大阪市生まれ。
同志社大学大学院文学研究科博士課程後期単位所得退学。
同志社大学歴史資料館を経て、現職。奈良女子大学大和・紀伊半島学研究所協力研究員。文化財保存全国協議会常任委員。
考古学者・森浩一の薫陶を受け、地域に勇気を与える「地域学」を実践。二児の父で趣味は家庭菜園と山岳ウォーク。「フェイスブック」も更新中。

最終更新日:2021/03/06

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