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金魚印を捺しながら、城下町の商店街「金魚ストリート」を巡る

大和郡山市にあるやなぎまち商店街はレトロな商店街です(ちなみにリンク先の公式サイトもレトロな作りですが、最近開設されました。カウンター懐かしいですね……よもや、そうでもない世代の方が多数派だったりするのでしょうか……)。この商店街をはじめとして大和郡山では、町のあちらこちらで金魚をモチーフにしたデザインを見かけます。同市が日本有数の金魚の産地のためです。

大和郡山市

天正8(1580)年に筒井順慶が郡山城を築城。その後、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が、筒井家の後を引き継ぎ、天正十三年(一五八五)に郡山城に入城しました。秀長は、優秀な実務派であり、秀吉の参謀役として数々の功績を立て、郡山に入ったときは、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有。豊臣秀長の没後は、水野勝成や松平忠明、本多正勝など領主が目まぐるしく変わりました。江戸時代、郡山繁栄の立役者として活躍したのは柳沢吉里です。将軍吉宗の命を受け、大和、近江、河内、伊勢の四カ国を領します。享保9(1724)年、郡山に入城し郡山城主柳沢家初代となりました。

(大和郡山市公式サイトから引用要約)

大和郡山市と金魚のかかわりは「郡山に入城し郡山城主柳沢家初代となった柳沢吉里から始まった」と伝わります。吉里が郡山城にやって来た際に趣味で飼っていた金魚を持ち込み、この地での金魚養殖が始まったとされるためです。金魚養殖は、幕末から明治にかけては下級藩士らの生業となって生活を支えました。郡山藩最後の藩主である柳沢保申の多大な援助があって実現した施策だそうです。

さて、そんな歴史を持つ大和郡山の金魚を全力で推しているのが、郡山城の城下町として発展したエリアにあるやなぎまち商店街。「金魚ストリート」と銘打ち、商店街のそれぞれの店先で金魚を飼育したり、商店街の通りに金魚をデザインしたフラッグを掲げたり、フォトコンテストを催したり、さまざまな取り組みを行っています。

「おかげさまで新聞やテレビでご紹介いただくなどもあり、商店街に足を運んでくださる方が増えました。これを機会に、商店街にどんな店があるか知ってもらって大和郡山を楽しんでもらいたいですね」と金魚ストリート実行委員長を務める玉井時計店の玉井康道さん。

その取り組みの一つとして2月末にスタートしたのが、御朱印帳を模したスタンプラリー「御金魚帖」。参加店それぞれに用意されたオリジナルのスタンプをオリジナルのノートに捺しながら商店街を巡ってもらおうという企画です。

「御金魚帖」を持って廻ると、ハンコを捺すというアクションが楽しいことに加え、それぞれのお店で扱っているものを知ったり(思わぬ掘り出し物に出会えたることも多々!)、お店の人と話をするきっかけになったりと、これまでなじみの浅かった場所がグッと身近に感じられるように。コミュニケーションツールとして優秀ですねハンコ!(なお、飲食店のお昼時などお店が忙しいときはコミュニケーションとり過ぎにご注意を)

ハンコは全部で33個あり、それぞれのお店の特長などが描かれています。これらはすべて、金魚をモチーフに作品を手がけるイラストレーターさんや奈良県在住のデザイナーさんといった複数の作者による描き下ろしというのも見どころ。「金魚のいる絵」が共通のテーマですが、それでいて「それぞれこんなに違う表現に」という面白い驚きを味わえ、コレクションアイテムとしての魅力も◎となっています!

「御金魚帖」スタンプラリー参加に際して気になることなどまとめてみました。想定外(?)の人気で、無料配布中の「御金魚帖」ノートが一時品切れとなるタイミングも出ているとのことですので、お出かけの際はお気をつけて。

  • 「御金魚帖」は参加各店で配布されています
  • 「御金魚帖」ノートの配布はひとり一冊です
  • 「御金魚帖」ノートは一時的に品切れの場合があります
  • スタンプの設置場所(店内/店外)は各店で異なります
  • 押印方法(自分で捺す/店が捺す)は各店で異なります
  • 押印できる日時は各店の営業時間や定休日に準じます
  • スタンプは全部で33個
  • ギュギュッとと強めに念入りに捺すのがコツ
  • 「御金魚帖」無料配布分の配布終了後の実施については今後検討していくとのことです

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最終更新日:2021/03/10

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