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【連載】下を向いて歩こう「その2 不動の峠~下北山村~」松田度

文・タイトル絵/松田度

 2019年2月に一通の手紙を受けとった。送り主は下北山村のYさん。その手紙には、不動峠のシンボル「地蔵堂」を復興させたい、ぜひ協力してほしい、と綴られていた。

 下北山村は、奈良県吉野郡の南端、熊野(和歌山県東牟婁郡北山村)に接している。県境にある不動峠は標高606mの山中。徒歩時代には、北山郷の主要街道も通っていた。峠には茶屋もあり、北山川(熊野川)にいかだを流す、いかだ師たちの往還路としてもにぎわった。しかし、時代の流れには逆らえない。いかだ流しは途絶え、街道を行き来する人かげはなくなった。峠の上にあった茶屋も消え、峠を見守ってきた地蔵堂は倒壊し、その存在すら忘れ去られようとしている。

 この古道と地蔵堂を復興させたい。そして、地域の歴史や文化、生業を見直してみたいと、Yさんたちは2018年11月から、村民主体の「不動峠地蔵堂修復保存会」をつくり、活動を続けている。荒れた不動峠…倒れた地蔵堂…復興か。このときまだ僕の心は、「シモキタヤマは遠いなあ」とつぶやいている。ともあれ、まずは現地にいってみよう。


 2019年2月18日の寒い朝、快晴。愛車ジムニーで自宅(桜井市)を出て、国道169号線を南下。伯母峯峠を越え、一路熊野方面へ走る。下北山スポーツ公園でYさんとおち合い、Yさん愛用の軽トラにゆられ、村の南はずれにある峠道の登山口へ。そこで待っていたのが、軽妙なジョークを連発する山岳ガイドのTさん、Kさん。いずれも保存会のメンバーでYさんの仲間たち。ぼくはかってに「シモキターズ♡」と呼んでいる(そう、ドリフターズのノリで)。

 歩くと3・4時間かかる山道だが、この日は時間短縮のため、山仕事用の小型モノレールで急角度の斜面をけたたましく駆け上がる。ヒノキの美林を抜け、一行は不動峠を目指す。

 県境の尾根でモノレールを降り、風景のよい北向きの斜面に出る。大峯連山を見晴るかす場所。おもわず「ハルカス!」と叫んだのが、シモキターズのみなさんに大ウケした(ここはそれ以降、北山ハルカスと名付けられた)。

 さて、ハルカスを少し下りこむと不動峠。山中とは思えない広々とした空間に、明治時代の茶屋の記憶(陶磁器・ガラス瓶)が落ちている。この空間を峠道が南北に横切っている。うらさびしい植林の木陰には、倒れこんだ地蔵堂が無残に朽ちかけている。堂内にある明和9年(1772年)の石造りの法華供養塔は、かろうじて破損を免れている。

▲倒壊寸前の地蔵堂(2019年2月)

 気になったのは、堂前に立てかけられた墓石。文字が刻まれている。「寛文13(※1)」とある。『下北山村史』にも未見の墓石だが、不動峠の歴史の手がかりになりそうだ。ここで「アースダイバー」のアンテナを立てなおす。ウロウロしていると、道端に埋もれているツルツルの花崗岩を見つけた。これは何だろうと、引き起こしてひっくり返す、やはり文字。「左大和道」「右くわばら道(※2)」。

※1 寛文13は西暦1673年
※2 桑原はふもとの地名

 道標だ、大当たり!…眠りからさめた峠の証人を、もとの場所に戻す。止まっていた時計も動き出す。そして「遠い国・下北山村」の不動峠は、ぼくのなかで「不動のセンター」へと躍り出す。


 シモキターズのみなさんとは、その後も不動峠を訪れた。墓石の拓本をとり、現地学習をしながら不動峠の歴史を深める。2019年10月には、県境を越えてつながる<北山学>を目指しての講演会「北山郷・不動峠の街道を語る会」も開催された。そして、地蔵堂修復にむけて、本格的な話し合いがもたれるようになった。

 2020年6月からは、コロナ禍に翻弄されながらも、地元在住のイラストレーター・Uさんの素敵なイラストも加わって、修復資金の支援を呼びかけるクラウドファウンディング(CF)、「不動峠・筏師の道再生プロジェクト」が始まった。

 ユニークだったのは、「法華経(如来寿量品)」から選んだ5文字のお経を、支援者が陶片に筆書きし、それを集めて供養塔前に埋納する、というアイデアだった。一人ひとりの支援が、「埋経」というかたちでのこる。シモキターズの想いは、ぼくを含めて、多くの支援者に共感をもたらした。杞憂はありつつもCFは成功。悲願の地蔵堂も完成した。

 錦秋の11月15日に落慶式がおこなわれた。約80名に及ぶ参加者は、一歩一歩、ゆっくりとふみしめるように不動峠を目指した。木漏れ日の下、高さ2.5mの真新しい地蔵堂がまぶしくみえる。堂内の供養塔前では埋経のセレモニー。シモキターズのみなさんは感無量。

 熊野修験者たちの読経が響くなか、ぼくは、件の道標がいつの間にか道端に立て直され、ドヤ顔で役目を果たしているのをみて、ニヤニヤしてしまった。

▲眠りからさめた不動峠の道標「左 大和道」。裏には「右くわばら道」と刻まれている。


筆者紹介

松田度(まつだわたる)
奈良県大淀町教育委員会学芸員。
1974年、大阪府大阪市生まれ。
同志社大学大学院文学研究科博士課程後期単位所得退学。
同志社大学歴史資料館を経て、現職。奈良女子大学大和・紀伊半島学研究所協力研究員。文化財保存全国協議会常任委員。
考古学者・森浩一の薫陶を受け、地域に勇気を与える「地域学」を実践。二児の父で趣味は家庭菜園と山岳ウォーク。「フェイスブック」も更新中。

最終更新日:2021/04/02

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