奈良、旅もくらしも

お寺と花とSNSアジサイが教えてくれた新しいお寺のカタチ/インタビュー:般若寺副住職 工藤顕任さん

2021年初夏、「コスモス寺」として親しまれる般若寺がSNSで大きな話題となりました。話題の中心になったのは、ガラスボールに入ったアジサイの花。前年から「花手水」にも力を入れ、公式アカウントでは美しい境内の様子が日々発信されています。「SNSでの反響を受けて、お寺の今後のあり方について考えるようになりました」と語るのは、般若寺公式アカウントを運用する副住職の工藤顕任さん。「花の寺」の成り立ちからSNS運用まで、じっくりお話を伺いました。

SNS担当は元プロボクサーの副住職

副住職として忙しい日々を送る工藤さんですが、実は元プロボクサーという異色の経歴の持ち主。

工藤:「16歳からボクシングを始め、6年間プロとして活動していました。般若寺の住職である父が倒れ、僕自身もケガが多かったので、引退して23歳でお寺に入ることになったんです。ファイトマネーで最初に買ったのはカメラでした。なんで欲しいと思ったか…ちょっと覚えてないですね(笑)。絵を描いたり配色を考えるのはもともと好きなんです。あの時カメラを手にしたことも、今に繋がっている気がします」

プロボクシングを引退し、お寺に入った工藤さんが最初に手を付けたのは公式サイトの制作でした。独学でサイト制作を学び、境内の様子やイベント告知など、こまめに情報を伝え続けています。

工藤:「住職からは『なんでそんなものが寺に必要なんだ』と言われました(笑)。今でこそ当たり前のものですが、当時はまだ公式サイトがないお寺も多かったんです。いざサイトをオープンしたら、住職も協力的になってくれて、『住職ブログ』でずっと情報発信をしていました」

般若寺は後にTwitterFacebookInstagramのアカウントも取得します。

工藤:「アカウントはずっと持っていたのですが、本格的に使い始めたのは2020年から。特に写真で伝えられるInstagramは重宝しています。Twitterは日々の告知、Facebookは地域の方や知人に向けての活動報告など、自然と使い分けるようになりました」

境内を維持するために始まった「花の寺」のあゆみ

般若寺の歴史は古く、開創は飛鳥時代とも言われています。寺伝によると、735(天平7)年、平城京の鬼門を守るため「大般若経」を納めた卒塔婆(そとば)が聖武天皇によって建てられたのが寺名の由来。かつては1000人もの学僧を抱える大きなお寺でしたが、平家の南都焼き討ち、戦国時代の兵火、明治時代の廃仏毀釈など、時代とともにさまざまな困難に見舞われてきました。

工藤:「般若寺は鎌倉時代以降は西大寺の末寺だったんです。西大寺の僧だった祖父が末寺の管理を任される形で、工藤家は般若寺に住み始めました。当時は区画もはっきりしない荒れ寺だったと聞いています」

寺域を少しずつ整え、「コスモス寺」として知られるようになったのは、工藤さんの父である現住職の代になった40年ほど前のこと。それまでは、境内を彩るのは春のヤマブキでした。

工藤:「般若寺のご本尊である文殊菩薩様は、4月25日が縁日と決まっています。その時期にお供えできるよう、境内には江戸時代からヤマブキが植わっていたそうです。でも、ヤマブキをわざわざ見に来る方は少なくて…。『なんとかせなあかんな』と思っていた住職が、境内の一角にコスモスが咲いているのを見つけたんです」

檀家を持たない般若寺にとって、拝観客を増やすことは大きな課題でした。

工藤:「国宝の楼門や重要文化財の十三重石宝塔をはじめ、境内にはさまざまな文化財や寺宝があります。それらを維持するため、父の代から拝観料をいただくようになりました。コスモスを見て、『これを増やしたらもっと喜んでもらえるんじゃないか』と考えたそうです」

秋の境内を彩るあの風景は、お寺を守るためのアイデアだったのです。

30200鉢のコスモスを丹念に育てる

境内の片隅に咲いていた1株のコスモスは、今や30種に。境内を覆いつくす花は自生したものではなく、毎年鉢から丹念に育てられます。

工藤「自然まかせでは花が咲かないこともあります。『コスモス寺』を名乗るからには、美しい花を確実にご覧いただきたい。そんな想いで毎年苗から育てています。最初は1、2種類程度だったのが、研究を重ねるうちに種類も数も増えていきました。本来、コスモスは10月を中心に咲く花。ですが、般若寺では9月から咲き始める種類も育てます。コスモスといえば9月とイメージする方が意外に多いんです」

鉢に種を植えて苗を育て、ある程度の大きさになったら境内に植え替えます。早咲きと遅咲きをバランスよく配置し、訪れた人がいつでも花を楽しめるように工夫を凝らします。

工藤:「一番大変なのは8月です。200鉢の苗に水をやり、開花前に1株ずつ境内に植え替えます」

境内の整備は住職一家が行うほか、ボランティア団体「美咲会」による手入れも月1回行われています。

工藤「予約不要の自由な会です。奈良が好きで県外からお越しになる1人から始まり、今は約30人が手伝ってくださいます。10代から80代まで、幅広い世代の方が参加してくださるんですよ」

作業の無事を祈る本堂での勤行にはじまり、世代をこえて花の世話をする1日。美しいコスモスは、人の手による地道な作業の末に花開きます。

「小さな花にも目を向けて」花手水のデザイン

般若寺に咲く花はコスモスだけではありません。春はヤマブキ、夏は初夏咲きのコスモスやアジサイに睡蓮、冬は水仙など、さまざまな花が四季折々に境内を彩ります。コスモスの影で目立たない花が脚光を浴びたのは2020年のことでした。

工藤:「コロナ禍によって手水が使えなくなったことで、さまざまな寺社で”花手水”が広がっていました。手水場に水を張り、花を浮かべるようにして飾るんです。般若寺は花の寺。境内のお花をもっと楽しんでいただきたくて、手水鉢やガラス器を使った花手水を並べることにしました」

石の鉢にアジサイを並べることから始まり、秋のコスモス、冬の水仙と季節が進むにつれ、配色やデザインも洗練されていきました。

工藤:「複数の花を組み合わせたり、色の綺麗なビー玉を入れたり。小さな花は浮かべるだけでは目立ちにくいので、目に留めてもらえるように日々工夫していました」

境内の花は、重みで茎が傷まないよう、満開を迎えると同時に剪定されます。花手水は剪定後の花を楽しんでもらうための演出でもあったのです。

工藤:「満開と同時に切られてしまう花を見て『もったいない』と思っていたんです。ヤマブキがお供えのための花であったように、花手水も仏様がいらっしゃる空間を彩るもの。拝観の方にも楽しんでもらえたら嬉しいですね」

SNSで大反響!「ガラスボールのアジサイ」の人気ぶり

工藤さんがガラスボールにアジサイを入れることを思いついたのは前年の冬。ホームセンターでふと目にした球体のガラス器が発想の源でした。

工藤:「球体のガラスの器なら、丸いアジサイの花が360度よく見えるはずだと思って試したんです。花の色を数種類入れて、配色のバランスも考えました」

梅雨時のジメジメとした空気を洗うかのように咲く花は、Instagramを中心に大評判になります。

工藤:「ちょっと予想を超えたというか。SNSの世界では”バズった”と言うのでしょうね。通常ですとこの時期お越しになるのは1日に20~30人程度なのですが、今年は多い時で2500人ほど拝観にいらっしゃったんです。朝早くから閉門時間まで、作業着姿のまま境内をご案内する日々でした。テレビやWEBニュースでもたくさん取り上げていただきましたよ」

コスモスが開花する秋がメインシーズンである般若寺にとって、思わぬ忙しさが訪れました。拝観客の様子も例年とはずいぶん違ったと言います。

工藤:「ふだんは年配の方が中心なのですが、SNSを見たという若い女性が多かったですね。それまでお寺に来たことがなかったという方もいらしゃいました。コロナ禍でおでかけが困難な中、綺麗なものを見たいという気持ちが人々の中にあったのだと思います。それがSNSに上手くフィットしたのではないかと」

器1つから始まった試みは拝観客の増加とともに数を増やし、最終的には50個にもなりました。

工藤:「1日2回水を替え、花もこまめに入れ替えました。なかなかの重労働でしたよ(笑)。Instagramの公式アカウントも一気に6000人以上フォロワーが増えて、嬉しい感想もたくさんいただきました。なるべくお返事するようにしています」

ガラスの中に咲く可憐な花が、それまでお寺に興味がなかった人をも惹きつけたのです。

拝むことにこだわらない「八万四千の法門」の教えとお寺のこれから

SNSで大反響を呼んだガラスボールのアジサイ。初めて般若寺を訪れた人も少なくない中、花を見るだけではなく仏様にお参りする人はどのくらいいたのでしょうか。

工藤:「入口で拝観料を支払っていただければ、境内の散策は自由。もちろん、本堂にもお参りいただけます。アジサイの期間に本堂に参られた方ですか。そうですね…6割いらっしゃるかどうか」

本堂でのお参りにこだわるよりも、まずはお寺に来てもらうことが大事だと工藤さんは続けます。

工藤:「仏教には『八万四千の法門』という言葉があります。仏様の教えは無数にあるという意味なのですが、それだけ仏教への入口はたくさんあるということ。お経を唱えたり、仏様に手を合わせることに捉われなくてもいいんです。お寺に足を運んでいただいて、『心地よい』『癒やされた』という気持ちになっていただくのも、法門のひとつだと言えるのではないでしょうか。SNSを見てアジサイを見にきてくださった方々を見て、こんなあり方もあったのだと学びましたね。お花をきっかけに、お寺や奈良の魅力をもっと知っていただければ」

今までお寺を知らなかった人にも来てほしい。訪れる人をおおらかに受け入れる姿勢が、ガラスボールのアジサイを「バズらせた」のかもしれません。

工藤:「これからも、いろんなお寺の見せ方を考えていくつもりです。お寺という場所にこだわらず、地域で人が集まる機会をつくることも考えています。仏教は敷居の高いものではないのだと、たくさんの人に知ってほしいのです」

記事:油井やすこ 写真:北尾篤司

般若寺
住所:奈良県奈良市般若寺町221
拝観時間:9:00~17:00
駐車場:あり
SNS:TwitterFacebookInstagram

最終更新日:2021/08/08

TOPへ