~なぜ奈良に? あの人の来寧記~
皆さま、初めまして!2021年春、東京から奈良に移住してまいりました、編集ライターの五十嵐と申します。
私は移住を機に、同じように奈良に移住してきた人のことを知るようになりました。そんな移住者の皆さんが奈良にやってきた理由や想いは実に人それぞれ。その十人十色なエピソードを深ぼると、「観光地としての奈良」とはまた違う、奈良の多面的な魅力や特徴が垣間見えてきそうだと思いました。
そこで始まったのが当企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」です。奈良移住者の方に奈良への想いなどを伺うことで、外からやってきた人視点での奈良の魅力を皆さまに感じていただけるような企画を目指していきます!
第1回は、2019年5月に東京から奈良市に移住した水本彩奈さん。「けものん」の屋号で、鹿の耳や角をリアルに表現した鹿のカチューシャの制作販売などを行っています。けものんを始める前は物販未経験だったそうですが、今では多くのファンを得て、事業は順調。売上の一部を奈良の鹿愛護会に寄付し、鹿の保護活動にも力を入れています。
移住して2年と数か月が経った今、奈良での生活を「ノンストレスです!」と声を弾ませて語る水本さん。彼女がなぜ奈良にやってきて、どのように奈良になじみ生活しているのか、奈良のどんな部分に魅力を感じているのかなどを、けものんの事業ストーリーも合わせて伺いました。前編・後編の2本立てでお送りします。
憧れの東京に出るも、次第に心がすり減った
水本さんの出身は熊本県。その来歴は、まるで「数年後に鹿(シカ)とご縁ができる」伏線かのようなエピソードから始まります。
水本:「最初の仕事は歯科衛生士でした。熊本で歯科衛生士の学校に通っていましたが、すべてが詰まっている大都会に憧れて、『就職は絶対東京!』と思い、20歳で上京し、東京の歯医者に就職しました」
歯医者では1年ほど勤めたのち、会社の方針変更により、自身が働く環境として合わなくなったことで退職します。その後、仕事を探して求人誌をめくっていた水本さんは、テキーラガールの募集を発見。テキーラガールとは、クラブでテキーラを売り回る女性のこと。クラブ好きでそうした仕事に憧れていたこともあり、応募してみることに。しかし、事態は急展開。
水本:「何か手違いがあったのか、なぜかレースクイーンのオーディションを受けることになっていて(笑)。結局テキーラガールの仕事は1回もせず、いつの間にかレースクイーンになっていたんです。とはいえ、全然知らない世界で興味はあったので、やってみようと思い、そのまま飛び込んでみました」
水本さんは事務所の専属タレントとして、レースクイーンの仕事で約2年半活動したのち、フリーランスに転向します。
水本:「レースクイーンには、サーキットでスポンサーの広告キャラクターになる以外に、ファンを集めて撮影会をする仕事があります。でも私は、与えられた環境でやるよりも、自分で企画することが好きなタイプ。『自分で撮影会を企画したい』と思うようになり、撮影会をプロデュースする会社を立ち上げ、独立しました」
自身の撮影会はもちろん、事務所所属のタレントたちの撮影会も企画。ロケハンからタレントの送迎、衣装やメイクさんの手配まで、撮影に関するセッティングを何から何までこなしました。その傍ら、グラビアアイドルなど自身のタレント活動も並行し、一時期は撮影スタジオでも働いて写真の技術を習得。この頃にカメラマンやモデルの経験を積んでいきました。
一方で、東京生活が長くなるにつれ、熊本から上京した時に抱いていた「何でもある、夢が詰まった大都会」という東京へのイメージは少しずつなくなっていきました。
水本:「東京は色んなものがあふれていて、夢を追い求めている人にはすごく魅力的な場所でしょう。でも私の場合、HSPの傾向があって五感が敏感すぎるため、東京の騒々しさや人混み、何をするにもお金がかかってひたすら消費ばかりしていく感じを窮屈に思うようになりました。日々神経をすり減らして疲れていって、東京の魅力はあまり感じなくなっていきましたね」
子鹿に導かれ奈良へ。通い詰めて移住熱が高まった
転機は29歳の時、スマホの画面上に不意に訪れます。Instagramで、奈良の子鹿の写真と出合ったのです。
水本:「たまたま『ふわふわ動物』とかのハッシュタグで検索して見つけて、モフモフとしたあまりの可愛らしい姿に心を掴まれ、とりこになりました」
「奈良に行って鹿に会いたい!」気持ちが急激に高まり、写真を見つけた2週間以内に奈良旅行を実行。初めて奈良の地に降り立った時のことを、水本さんはあふれんばかりの興奮とともに語ります。
水本:「奈良公園に行き、初めて目の前に子鹿が現れた瞬間は、『きゃ~っ!!!』とめちゃめちゃテンションが上がって!特に、耳のふわふわ感がたまらなく可愛いと思いました!鹿って、動物園とかでもなかなか間近に見られるものじゃなくて遠い存在だと思っていたので、ものすごく至近距離で会えることに感動しましたね」
水本:「ちなみに、初めての奈良旅行では、鹿が春日大社や奈良公園にしかいないと思って、近鉄奈良駅から春日大社までタクシーで直行してしまったんですよ。歩いて行けば、街中にも鹿がいる風景とか色々見られてもっと楽しかっただろうに、と今となっては思いますね」
水本さんと奈良との接点は、子鹿の写真に出合うまで一切ありませんでした。この初めての旅行時のお話からも、それまで奈良のことに完全にノータッチだった様子が伺えます。しかしこの旅行を機に、水本さんと奈良とのつながりは急速に濃くなっていきました。
水本:「泊まったホテルの図書室で、奈良の写真家・佐藤和斗さんの写真集『Dear deer 鹿たちの楽園』を見て、衝撃を受けました。私も奈良公園で撮影をしていて、『まぁまぁ良い写真が撮れたな』と思っていたんですが、写真集には四季折々のさまざまな鹿の姿や奈良公園の風景が載っていて、『こんなに色々撮れるの!?』と驚いて。『1年間通わなきゃ!』って思いました」
水本さんは「詳しい人に奈良や鹿のことを教わりつつ、奈良に通おう」と、月1回の頻度で佐藤和斗さんの鹿の写真教室に通うようになります。早朝撮影が多くて前泊が必要だったため、ゲストハウスなどに滞在。この時、リピーターとなって通ったゲストハウス・神奈寐さんが、水本さんが移住を考える大きなきっかけの一つとなりました。
水本:「神奈寐さんでは、女将が私の色んな話を親身に聞いてくれて、おいしいお店も紹介してくれました。その教えてもらったお店に行ってみると、すごくアットホームな雰囲気で。私のようなよそ者でも家族みたいに受け入れてくれるのが奈良なんだなと感じ、こういう町なら縁もゆかりもなくても移住できそうだと思いました」
実は、写真教室が始まる直前の2018年3月頃、東京にいたために若草山に雪が降った風景を撮影できなかったことがありました。水本さんはこの悔しい出来事から、「色んなものを撮りたいなら現地にいなきゃダメだ」と移住を考え始め、奈良に通い詰めるうちにその気持ちはぐんぐん高揚。子鹿写真で奈良に呼び寄せられた水本さんですが、移住のきっかけやモチベーションもまた「写真」にあったのです。
写真教室では同じく鹿の撮影が好きな気の合う友人ができ、教室以外の時間では「鹿」で検索して見つけたお店に足を運び、水本さんの奈良滞在は鹿づくしのとても充実した時間となりました。
この時、大好きな鹿やあふれる自然、人の温かさ、ゆったり流れる空気などが水本さんの心をほぐしていったのか、東京で感じていた窮屈さはどこかへ行ってしまい、自分が開放されるような感覚も抱いていました。
奈良への想いが募りに募った水本さんは、移住を考え始めてから約半年後の2018年11月、先に住民票だけ奈良に移してしまいます。
水本:「『早く奈良に住みたい!』気持ちでいっぱいで、もう待ちきれなくて!あとは、次の年には30歳だったので、この区切りの良いタイミングで移住しようと心が決まっていたのもありましたね。
移住の準備は住民票を移してから始めました。といっても、家探しや車の購入、けものんの開業準備くらいしかしなくて、ほかに下調べなどは特にしなかったんですけどね(笑)。不安な気持ちも多少はありましたが、期待や楽しみな気持ちに押しつぶされて、いつの間にかどこかへ行ってしまいました!」
「誰が買うの?」と馬鹿にされても突き進んだ。「けものん」誕生ストーリー
水本さんは移住前、現在運営している鹿のカチューシャ屋さん「けものん」の準備も進めていました。
水本さんの鹿のカチューシャ作りは、東京から奈良に通っていた2018年夏にさかのぼります。
水本:「お店で売られていた鹿のカチューシャを付けて自撮りをしていたんですが、『自分には物足りない』『もっとリアルな鹿らしさが欲しい』と思いました。そんな時、鹿になりきってカメラマンさんに奈良公園で撮影してもらう機会があり、自分で鹿のカチューシャを作ってみることにしたんです。もともとアクセサリーなど小物作りをよくやっていたので、できるだろうと思って」
この時作った第1号のカチューシャ、水本さんが言うところの「初号機」は、耳がモサっとしていて犬のような印象。鹿の角も紙粘土などで作ろうとしましたがうまくいかず、現在のカチューシャと比べると、鹿にはほど遠い仕上がりでした。ここから、水本さんの試行錯誤が始まります。
水本:「大きくてフワフワの耳がすごく好きなので、耳に一番こだわりたいと思いました。鹿を間近で観察して毛がどの方向に流れているかなどを見て、耳の部分のカットの仕方を工夫しました。一方で鹿の角は、耳の制作に力を入れたくて、作っていただいた物を取り寄せることにしました」
水本さん個人の趣味として始まった鹿のカチューシャ作りは、奈良への移住をきっかけに生業へと発展します。
水本:「ずっと職場で働くという環境がなかったので、奈良でも就職しようとは考えていなくて。フリーランスのままできる仕事、それも鹿が好きで移住するのだから、鹿に関する仕事をしたいと考えて、それまで作っていた鹿のカチューシャを販売することにしたんです。
俳優の吉岡里帆さんが狐に扮して登場する某カップ麺のCMがめちゃくちゃ可愛い!と思っていて、『鹿もいける!』とピンときたんですよ。あのCMを真似て、狐の耳としっぽを付けた写真をSNSに投稿するのがポートレート好きな人たちの間で流行ったこともあり、手軽に耳を付けられる商品は『写真を撮ったり、その写真を見たりして楽しんでもらえるんじゃ?』とも思いました」
撮影会プロデュースの会社を立ち上げた時に自分で事業をやっていく経験はあった水本さんですが、物販は初めて。しかし特に勉強などはせず、「やりながら失敗して改善していけばいい」と考え、とりあえず始めてみることに。
水本:「私は子どもの頃から思い立ったら臆さずにすぐ行動するタイプで、いつも“まずはやってみる”スタンスなんですよ。最初から『これが成功のための正しいやり方なんだ』と思ってやると、失敗した時に次の手を考えられなくなってしまうので、まずは挑戦してみようと」
「鹿のカチューシャを売る」ことを伝えると、身近な人たちからは「鹿のカチューシャなんて誰が買うの?」と馬鹿にされることも。それでも水本さんは微塵もへこたれません。
水本:「『いやいや……甘いよ、みんな!鹿は未知数だよ!』って思って、特に気にしていませんでした(笑)。自分が曖昧な気持ちで作って売っていたら、きっと商品の良さは伝わらないでしょう。でも私は、自分が自身の商品の一番のファンだったので、『あとはその良さをみんなに広めるだけ!』と揺るがない気持ちを抱いていたんです」
鹿のほかにも色々な動物の商品を出したいというビジョンや、語尾に「~ん」がつく言葉の響きの可愛さなどから、屋号を「けものん」に決定。開業日も「鹿(ロク)の日」の意味を込めた6月9日に定め、オープンに向けて準備を進めていきました。
後編に続きます。後編では、移住後の水本さんの生活や、移住して見えた奈良の魅力、今後どのように暮らしていきたいか、などのお話をお届けします。
鹿のカチューシャ屋さん けものん
https://www.kemonon.com/
(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)
最終更新日:2021/11/09