奈良、旅もくらしも

【連載】わたしと奈良「第4回 奈良移住前後のこと」谷規佐子

文/谷 規佐子

連載「わたしと奈良」、久しぶりの更新です。

連載1~3回では、32歳で奈良に移住してくるまでの、奈良に関する思い出を綴ってまいりました。連載4回目は、私達の奈良移住前後の出来事です。

「奈良のご出身ですか?」とよく聞かれることがあります。「いえ」と答えると「なぜ奈良に?」というお尋ねが続きます。

屋号に「奈良」の文字まで入れているから、どれほど奈良に恋焦がれてきたのかと思われがちですが、思えば ” ひょんなこと ” や ” 偶然 ” や ” 勘違い ” まで起こって、奈良の地で「奈良」を伝える仕事を生業にし、今ではそれが天職なのではと思えるほど、奈良で暮らす人生を楽しんでいます。

かといって、不思議なご縁や何かに導かれてではなく、その都度よく考えて自分たちで選択してここに辿り着いたと思います。

それでは、今回は奈良に辿りついて奈良倶楽部開業までのお話を聞いてください。

共に京都府南部エリア出身の私達夫婦は、奈良倶楽部を開業するまで東京都内に住み、夫は会社員、私は専業主婦で2児の母。時代背景もありますが、バブルの前の昭和の平均的な豊かな暮らしを満喫していました。

でも、ある日「会社を辞めたい・・・」と夫がポソリ。

何となく会社生活がしんどいのではと、薄々そういう気配は感じていたので青天の霹靂ではなかったのですが、この時の夫には「辞めて〇〇をしたい」という明確な目的ややりたいことはなく(例えば、会社を辞めて奈良に住みたい!とか、脱サラして宿屋をやってみたい!とか)、暗中模索の時期がしばらく続いて、ひょんなことから、休日に渋谷を一人で歩いていた夫がたまたまペンション経営セミナーの看板を見つけて時間つぶしに聴講して、気がついたらペンションを経営しようということになったのです。

そして、その経営セミナーを主催したペンション協会に所属して、そちらで土地も探してもらうというところから、ペンション開業の道がスタートします。

私達によほどの希望や当てがない限りは、どこで開業したいかは相談して決めます。つまり、日本全国どこで開業するかは選び放題ということなのです。

当時の認識では、ペンションの立地イコール海辺か高原かということで、当初は信州の高原もいいよねーと単純に考えていました。

関西出身だから近い海辺だと鳥羽あたり?ということで、鳥羽まで下見に行ったこともあったのです。
でも関西の盆地出身の私には海辺も山も自然が厳しそうで、終の棲家とは違うような気がして、候補地が中々決まらないのでした。

そんな時に、同じ団体所属の方が京都市内にペンションを開業された話を聞き、リゾート地ではなく街中で営業するのもアリなんだと、固定観念を崩された私が「奈良もいいですよね」と何気なく言ったひとことで、一気に奈良で開業しようという流れになったのです。

奈良の何処という当てもなく、所属したペンション協会が開業できそうな土地を探してくれるところからのスタート。

なのでしたが、立地や予算などの制約もあって、ここ!という場所が中々見つからず、1年ほど経つと、このまま決まらなくてもいいんじゃないかなぁとさえ思うように。

この当時の私は、専業主婦で気の利いた気働き一つできないのにペンションの仕事ができるのだろうかという不安に押しつぶされそうになっていました。

そのくせ、ひょんな流れでペンション経営をすることになった時には、自由で楽しそうに見えて、そういう人生に賭けるのも面白いと、夫の夢について行きまっせーと、ワクワクしていたのです。

不安とワクワクの一年が過ぎ、いよいよ開業の土地がこの北御門町に決まるのですが、その選択はちょっとした勘違いから起こりました。

当時はまだ会社を辞めずに東京都内在住でしたので、奈良で候補地が見つかったら電話でまず報告を受けます。

「奈良市長宅のお隣です」という説明に、どうしてこんな早とちりをしたのか不思議ですが、市長を知事と勘違いして、知事公舎の隣と思い込んだ私は(知事公舎周辺がどれほど素敵なエリアかはよく知っていましたので)「そこに決めよう」と夫の背中を押したのです。

その後、この周辺の写真が送られてきたときに「あれ?なんか違う?」とようやく勘違いに気が付いたのですが、「そこにしよう」と選択したのは私。

今でも、開業候補地だった複数の場所の前を通ると「もしここで開業していたら」と、Ifを想像してしまいますが、勘違いから選択して開業したこの場所を、住み慣れてから段々と好きになり、今では終の棲家にと願っています。

そうして、奈良をどんどん好きになっていく話はまた次回に置いて、土地が決まってから開業日までの諸々の大変なことは割愛して、平成元年1989年3月11日、いよいよ奈良倶楽部開業です。

開業日のバタバタの中で今でも思い出す出来事がふたつあります。

一つは、ブログにも何度か書いている「ラナンキュラス」にまつわる話

見ず知らずの私たちに花束をお祝いに届けて下さった年上の方から「心の垣根を作らずに、心を開いて人と接する」 ことを、そっと教わったような気がします。

もう一つは、開業日に予約をしていた関東から一人旅のご婦人。

当時、年配女性の一人旅は珍しかった記憶がありますが、チェックイン時に、今日が開店日でまだ不慣れなことをお伝えしたら、「まぁ!ワタクシ、ラッキーだわ!」と喜んでくださったこと。素人のおもてなしを申し訳なくマイナス方向に捉えていた私に、この一言は驚きとともに、物事をポジティブに考えることを教わったような気がします。

人生の先輩にあたる年代の方たちと出会えたことも、新しい世界に漕ぎ出したからこそ。

その後、宿泊業をしていたからこその出会いや交流をたくさんいただいて、それは今でも私の生きる糧になっています。

オープンした年の夏の私

さて、開業して奈良の地に漕ぎ出した奈良倶楽部でしたが、当時はまだ奈良の奥深い魅力や美しさに気が付いていなかったように思います。

さぁ、それからどうして「奈良」にどっぷりハマっていったのでしょう。次回はこのあたりを書ければと思います。


執筆者紹介

連載「わたしと奈良」
文/谷規佐子

最終更新日:2022/02/27

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