~なぜ奈良に? あの人の来寧記~
奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第2回となる今回インタビューしたのは、ならまちにある旅宿・喫茶「古白(こはく)」と定食屋「七福食堂」の店主・境祐希さん。
境さんは大学進学を機に埼玉から移住してきて以来、奈良に15年間住み続けています。学生時代を経て、洞川温泉の旅館に勤めたのち独立。現在は宿泊や飲食などの事業を手がけるほか、仏像をはじめ奈良の歴史や文化が学べる講座やツアーも行うなど、多種多彩な活動をされています。
しかし、活動は幅広くありながら、その根底にある思いは同じだといいます。その思いを育んだのは、奈良でのさまざまな経験でした。境さんがなぜ奈良にやってきて、どのような考えから多様な活動に邁進されているのか、お話を聞きました。
明王像に“仏像好き”の楔を打たれ、やがて奈良へ
埼玉県越谷市で生まれ育った境さん。意外にも、社寺や歴史的なものとの関わりの薄い家庭で育ち、子どもの頃には奈良との縁は全くなかったのだそうです。
そんな境さんをのちに奈良へと導く大きなきっかけとなったのは、中学校時代、修学旅行で訪れた京都での運命的な邂逅でした。
境:「現地では班行動で、自分たちで巡る場所を自由に決められました。行き先を決めようとパンフレットを見ていた時、東寺の五大明王像が目に留まって。
それまで仏像には動きの少ない静的なイメージを抱いていましたが、明王像は怒った顔で、手足が何本もあり、武器を持っていて、すごくアグレッシブな感じで。『自分の思っている仏像と違う。なんかかっこいい!』と興味を惹かれ、見に行ってみたら、『こんなに凄いものがあったんだ!』と本当に感激しました」
この修学旅行では五大明王像に仏像への興味の楔を打ち込まれるに留まりました。しかし、それからほどなくして、東京国立博物館で開催された展示「空海と高野山」でもパワフルな密教の仏像に圧倒され、東寺で受けたような衝撃に再び心を揺さぶられます。
境:「その頃からちょっと勉強したいなと思って、書籍や写真集を買ってもらって読み始めました。両親も興味を持ってくれて、家族旅行の行き先を京都・奈良に選んでくれたので、本で見て気になった仏像を見に行きました。奈良の仏像にはこの旅行の時に初めて出合いましたね」
高校生になると、展覧会で仏像を見て感動の涙を流す経験もして、「間違いなく仏像が好きだな」と自覚した境さん。高校卒業後の進路も、悩んだ末に仏像について学べる大学を選びます。
境:「同級生の多くは大学進学を、『勉強して良い大学に入り、良い企業に勤める』という大きな流れの一つとして捉えていたようです。でも、自分にはサラリーマンは合わなそうだと思いましたし、専門学校で手に職をつけることにも興味が湧かず、関心のある仏像を学びたいと思い至りました」
進路指導のパンフレットで奈良大学のことを知り、文化財学科があることや、仏像だらけの奈良で学べることに惹かれ、奈良大学のみを受験することに。
境:「『なんでそんな所に行くんだ!?』って先生に呼び出されて怒られました(笑)。反対された訳ではないのですが、当時私の周りでは奈良大学はほとんど知られていなかったので、わざわざ奈良に行く意味がわからなかったのでしょう。
ただ、両親は『好きにしていいよ』と言ってくれて、校長先生も奈良大学の評判を聞いて理解を示してくれて。応援してくれる人もいたので、ありがたかったですね」
山伏さんの言葉が、自分の方向性を気づかせてくれた
2007年春、境さんは奈良に居を移し、奈良大学の文化財学科に進学。念願の奈良生活が始まります。
境:「将来何をするかは当時まだ漠然としていたものの、学生時代だけでなく『これからずっと奈良に住むんだ』という確信はありました。なので、住民票は奈良に移し、実家にあった自分の物はこの引っ越しの時にすべて持ってきましたね。幼稚園の卒園アルバムまで持ってきたんですよ(笑)」
大学では仏教美術史を専攻。大学や美術館で講義を受けたり、学芸員資格を取るための博物館実習に行ったりと学びを深めていきますが、大学の勉強へのモチベーションはだんだんと下がっていってしまったのだそう。
境:「実は、学校の方はだんだんとサボりがちになっていってしまって……(苦笑)。というのも、『何のために勉強するんだろう?』と迷いが出てきたんです」
境:「私にとって仏像は割と感覚的に感動するものなんですが、学問として勉強していくと、その感動が薄らいでいくんじゃないかと。
また、お寺にお祀りされている仏像を文化財として保存するために収蔵庫や博物館へ収めることには、『物としては保存できているけれど、あまり良くない面もあるのでは』という感覚もありました。
私は展覧会の仏像で感動して泣いたくらいですから、博物館にある仏像の素晴らしさも感じていて、決して否定している訳ではありません。ただ、文化財や美術史という文脈で仏像を学ぶことは自分には合わないかも知れないと思うようになっていきました」
悩んだ境さんが向かったのは、自身がとりわけ興味を惹かれる場所――奈良のお寺でした。
境:「奈良には山ほどお寺があって、ほかの地域なら博物館に行かなければなかなか見られないような仏像にも、お堂の中でたくさん出合うことができます。ここが奈良に住んで良かったと思うところですね。仏像を巡るだけでなく、お寺の行事を手伝うこともありましたよ」
奈良のお寺と関わっていく中で、金峯山寺の1日体験修行が、迷いの只中にいた境さんに大きな気づきを与えてくれます。
境:「体験修行に参加していたある山伏さんが、こんな話をしてくれました。『今日は世界遺産の山を歩いたけど、本当の世界遺産はこの山や寺だけじゃない。この修行をしたお前たちも世界遺産なんだ』と」
境:「これは、『山や寺など単体のものだけが文化なのではなく、それを取り巻く環境や人も含めてすべて文化』ということだと理解しました。その言葉がとてもしっくり来て、ものすごく感動したんです」
文化財として仏像を学ぶことが合わないと感じていた境さんは、この山伏さんのお話をきっかけに、自身が仏像に対してどんな眼差しを向けているのかに気づきます。「自分は仏像単体ではなく、お寺のお堂の中にある、人々の営みや文化も含めた、生活の中にある仏像が好きなのだ」と。ほかにも日常の中で似た体験を重ねていき、この思いは徐々に固まっていきました。
お遍路と旅館勤めから見えてきた、やりたいことと理想の宿
大学3回生になった境さんは、またも進路に頭を悩ます時期を迎えます。
境:「周りの学生が就職活動を始める中、私は将来何をしたいのかが固まらずにいました。そこで自分を見つめ直すため、お遍路に行くことにしたんです。お寺を巡って歩き、さまざまな人と出会って言葉を交わすうちに、『自分は奈良でこういう体験をしてもらいたいんだ』と気がつきました」
それはつまり、「仏像をはじめ、奈良の歴史や文化を体験してもらいたい」ということ。そして、その目標を実現するために思い描いたのが「ゲストハウスをつくること」でした。
境:「宿のようなものをつくり、泊まりに来た人たちに自分がお話をしたりすれば、彼らが奈良の歴史や文化を経験するきっかけづくりができるのでは、というイメージが浮かびました。
宿にもいろいろありますが、私が伝えたいのは『生活の中にある歴史や文化』なので、地域の空気を感じながら住むように泊まれるゲストハウスにしたい、と気持ちが定まっていきました。お客さんとの距離が近く、お話しやすいのも良いなと思いましたね」
「ゲストハウスをつくるんだ」という思いは在学中に固まっていたため、境さんは就職活動をせずに大学を卒業。その後、天川村洞川にある「あたらしや旅館」の求人を見つけ、宿の仕事を学ぶために同館で勤め始めます。
境:「掃除からチェックインの対応、お客様の送迎、料理の配膳まで、幅広い仕事を経験させてもらい、とても勉強になりました。
大将と女将さんからは、自身のゲストハウスの構想につながる気づきも与えてもらいました。彼らの人柄がとても魅力的で、それが宿の良さの一つになっていると感じて、自分のゲストハウスもそんな場にしたいと夢が広がりました。
また、大将からは『日吉館(ひよしかん)』について教えてもらったことも大きかったですね」
日吉館とは、奈良国立博物館の近くで1995年まで営業していた旅館です。歴史や美術などを学ぶ学生や学者、文化人たちが集い、サロンのような宿だったといいます。
境:「ゲストハウスの構想を大将に伝えたら、『日吉館みたいな宿だね』と言われ、『こんなに凄い宿があったんだ!』と衝撃を受けました。日吉館のような、サロン的な要素があり、奈良の勉強になるようなゲストハウスにしたいと、ビジョンはさらに鮮明になっていきましたね」
旅館に勤めて2年目には、仕事の傍らで物件探しを始め、3年目の夏にはならまちに古民家の空き物件を見つけて契約。3年半ほど勤めたあたらしや旅館を退職し、境さんはゲストハウス開業に向けて本格的に動き出しました。
パフェは仏像!? 奈良の魅力に触れるきっかけをつくりたい
2015年2月、境さんはいよいよ「ゲストハウス琥珀」をオープンします。
幅広いお客さんを迎えて奈良の案内をする傍ら、仏像の魅力を伝える仏像講座も実施。日吉館ですき焼きがよく出されていたことに着想を得て、すき焼きの提供も始めます。
2018年には宿の中に喫茶店をオープン。心機一転の気持ちに加えて、「他県から来た者の視点も大切に持ち続けながら、より奈良に染まっていきたい」という思いを込めて、「古白」と名を改めました。さらに2020年には、古白から徒歩20秒の場所に定食屋「七福食堂」も開業し、同店内に喫茶店を移転。
2015年の開業以来、宿泊に留まらない多種多様な活動をされてきた境さん。アウトプットは異なれど、目指すものは同じだといいます。
境:「奈良や仏像の魅力を“伝えたい”とは思っても、私が伝えたいと思ったことはあくまでも私の経験なので、全く同じ事柄を感じてもらうことはできません。ただ、相手に主体的に動いて体験してもらうことで、その人なりにその魅力を感じてもらうことはできるでしょう。だから私は、きっかけの火をつけたいんです」
奈良や仏像の魅力に触れるきっかけとなる場を設けたいと、宿泊から喫茶まで幅広い事業を手掛けてきた境さん。最も新しい七福食堂は、その幅を広げようと意図していたものではなく、さまざまなご縁から始まりましたが、結果的にほかの事業と同じく、訪れた人にきっかけを提供する場になっているそうです。
境:「定食屋は宿や喫茶とはまた違った層のお客さんがいらっしゃいます。七福食堂を訪れたお客さんが、仏像の本が置いてあるのを見て『こういうのが好きなんですか?』と聞いてくださったのをきっかけに、古白の仏像講座に来てくれる、なんてこともありました。定食屋をやって良かったと思っています」
理想は「仏像に全然興味のない人がパフェを食べに来て、きっかけを提供できること」と、境さんは楽しそうに語ります。
境:「例えば、女子高生がパフェを食べたいとやってきて、『ここの店主は謎の講座をやっているんだな』と知るとします。その後、10年後にでも『そういえばあの人、こういう講座をやっていたな』と思い出して仏像講座を受けてくれて、『あれ? 奈良、面白そうだな』と思ってくれたら、最高ですね!」
境さんは「パフェは仏像だと思って作っている」と、興味深い持論も語ってくれました。
境:「仏像が生まれたのは、ゴータマ・シッダールタが説いた法を知ってもらうためといわれています。本当に知ってほしいのは背景にある価値観や思想の部分ですが、そうした目に見えないものだけを説くのでは伝わりにくいので、目に見える仏像をつくって象徴とし、その後ろにある法を知ってもらうきっかけにした、という見方もできるのです。
パフェのようなスイーツは多くの人が好むもので、気軽に私や古白と接点ができ、奈良や仏像の魅力に気づく入口になりえます。だから、私はパフェを仏像だと思って作っているんですよ」
「自分の店で往生」が理想。死ぬまで今の活動を続けたい
大学進学で移り住んで以来、奈良暮らしは15年になる境さん。長く住み続け、さまざまな経験を経ても、奈良に感じる魅力は変わらないといいます。
境:「やはり『歴史や文化が生活の中に当たり前にある』ことが本当に凄いと思います。歴史ある社寺も行事も、奈良では守り伝えていくことは特別なことではなく、生活の一部として普通に伝えてきているんです。
これからも今の活動を続けて、そうした生活に溶け込んだ仏像や歴史の魅力を知るきっかけを提供していきたいです。その体験が、明日を頑張るちょっとした活力や癒しになったらいいなと思います。
死ぬ直前まで今のようにやっていきたいと思っているんですよ。宿や店でいつも通り働いているうちに自然と往生して、スタッフに『オーナー、コーヒー淹れて!あれ、オーナー?……死んでる!』なんて発見される感じで(笑)」
仏像との出合いから奈良とのご縁ができた境さん。常に自分の進む方向に対して「何のためにこれをするんだろう?」「こっちに進んでやりたいことができるのか?」と迷いの中で自問自答したり、出会った人から得た気づきをしっかりとキャッチしたりして、自身が歩みたい人生の道を定めていきました。
そして奈良でのさまざまな出会いや経験の中で辿り着いた道が、「きっかけの火を灯す」ことでした。「女子高生とパフェ」の例で語ってもらったような、仏像に全く興味のなかった人が境さんと出会ってその魅力に気づく、というようなことは、彼の想像以上に多いそうです。
その様子に、かつて境さんの心に仏像好きの楔を力強く打ち込んだ、炎を背負う東寺の五大明王像の姿が不思議と重なって見えるようでした。
(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)
最終更新日:2022/03/04