奈良、旅もくらしも

どんなことでも、奈良のために働きたい―インタビュー: 公益社団法人 奈良市観光協会 広報企画課 係長 胎中謙吾さん

 奈良市役所の出向職員として、奈良市観光協会で働く胎中謙吾さん。「奈良が大好き」と公言する胎中さんは、奈良市の知られざる魅力を多くの人に伝えるさまざまな活動を行っています。奈良を愛する理由やその深い魅力の秘密、奈良ファンを増やすための努力についてお聞きしました。

■奈良生まれ、奈良育ち、ずっと奈良が好き

「なんでそんなに奈良が好きなの?」とよく聞かれるんです。”好き”という気持ちに理由をつけるのは難しいですね。いつも上手く答えられません。今でもよく覚えているんですが、奈良市役所の職員採用試験の面接試験の際に志望理由を聞かれ、「奈良が大好きだからです」と素直に答えました(笑)。

 奈良で生まれ、奈良で育ちました。家の隣に古刹と言われるお寺があって、境内は子どもの頃の格好の遊び場。クヌギの林でカブトムシを取ったり、近隣の畑を縫うように新しい道を開拓したり、毎日が冒険でしたね。中学・高校時代は奈良市内の一貫校に通いました。自由な校風で、奈良愛が強い人が多かったです。今も毎年学年単位で同窓会をしているくらい、みんな仲が良くて。そんな何気ない日々の積み重ねが、地元愛に繋がっているのかもしれません。大学は滋賀県の理工学部に進みましたが、下宿するようになってからも週に2~3日は実家に帰っていました。奈良で過ごしたいという想いは強かったです。

 奈良で働くことは、自分にとって自然なことでした。僕の父も奈良市役所の職員で、子どもの頃に職場を見せてもらったことがあるんです。父は早くに亡くなったので一緒に働くことは叶いませんでしたが、奈良の公務員として働くことが身近に感じられたのは確かです。親族も公務員が多い家系で、母や祖母からも奈良市役所で働くことを強く勧められました。僕自身も、以前から働くのであれば奈良市役所が一番だと思っていましたし、民間企業やほかの自治体の試験は受けませんでした。理系だったこともあり、もし職員採用試験に落ちたら大学院に進んで、2年後にまた奈良市役所の試験を受けなおすつもりだったんです。無事に入職が決まっていざ働きはじめると「これは天職だ!」と改めて確信しましたね。市役所を勧めてくれた母や祖母には、今でも「行かせてくれてありがとう」と伝えています。

■奈良市役所に入職。

 入職してしばらくは、観光とは異なる業務に携わっていました。河川の水質調査や、空気の窒素濃度を実験して調べたりするのが最初の仕事でした。保健所に配属された際は、感染症や食中毒の検査もしていましたね。

 東日本大震災が起こった年は、奈良市役所から派遣された先遣隊の一人として被災地の社会福祉協議会との打ち合わせに参加し、現地のボランティアセンターとの調整業務に関わりました。奈良から派遣されたボランティアバスが被災地を走るところを、ニュースなどでご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。その後、協働推進課(現・地域づくり推進課)に異動になり、地域のNPO法人やボランティア活動をしている方々と関わる機会にも恵まれました。地域の方と共に働く仕事から一転して、クリーンセンター建設に向けて、建設候補地の環境影響や建設計画の検討を行っていたこともあります。

 奈良しみんだよりの制作や表彰を行う広報戦略課(現・秘書広報課)を経て、2017年に奈良市観光協会へ出向することになり、今に至ります。同期職員と比べても、異動の回数がすごく多いですね。仕事の内容も、部署によってまったく違いましたが、さまざまな業務に関わる中でも「天職だ」と思えるのは、奈良のために働けているから。奈良に関わる仕事であれば、どこに配属されても頑張れます。それは入職から今まで、変わらない想いです。

■奈良市観光協会で気づいた知られざる奈良の魅力
2018年開催のNEXT-1300 NARAサミット

 奈良市観光協会での最初の仕事は、奈良の地方創生事業の1つだった「NEXT-1300 NARA」というプロジェクトに関わることでした。1300年前から続く奈良の魅力を、1300年後の未来を見据えて伝えていこうという事業です。僕は修学旅行生にさまざまな体験をしてもらう「教育旅行」を担当しました。ただ観光名所を眺めるだけではなく、地元の方のお話を聞いたり、ここでしか出来ない体験をすることで、奈良の魅力をより深く知ってもらいたい。そんな想いで体験プログラムをつくりました。

 体験プログラムづくりを行うには、地域で活動する方々の協力が不可欠です。もちろん、行政から受け入れをお願いしたからといって、すぐに快諾してもらえるわけではありません。何度も足を運び、所属している奈良青年会議所や出身校の繋がりを辿るなど、じっくりとお互いの信頼関係を築く必要がありました。ビジネスを超えた人と人との繋がり、対個人だけではなく、地域のコミュニティとしての繋がりが奈良ではとくに大事だと感じます。

 こうして出来上がったプログラムは、修学旅行生の皆さんにとても好評でした。例えば、宮大工さんの作業現場を見学して職人さんから直接お話を聞いたり、国内シェア95%を誇る奈良の墨づくりを経験したり。事業者の方も「これでええんかな」といろいろ工夫してくださいます。生徒さんと事業者さんで話が盛り上がり、体験後も本を貸し借りするといった交流が深まることもあるようです。

 プログラムづくりをするうちに、「奈良はグループ学習に最適なのでは」と思うようになりました。奈良は小規模の事業者が多いため、大きな体験施設は少なく、体験を商業化しているケースも稀です。ただ、少人数なら受け入れ可能なケースもあります。クラス単位よりもじっくりと生の声に接することができ、内容の濃いプログラムをつくることが出来るんです。1300年前から受け継がれてきた文化を、次の世代に伝えたいという想いを持つ人が奈良にはたくさんいます。修学旅行を通してその心を少しでも知ってもらい、大人になってからも奈良に思いを馳せてくれたら、こんなに嬉しいことはないですね。奈良での修学旅行を楽しんでもらうことは、奈良にとって未来への投資の1つだと思います。

■コロナ禍で変わる観光協会のあり方

 「NEXT-1300 NARA」はプロジェクト終了後も修学旅行やMICEのプログラムとして継続しています。このほかにも、観光協会では奈良ファンに向けたツアー企画や、季節の観光キャンペーンを展開しています。有名観光地とはひと味違ったエリアの特集や、普段とは違った角度から奈良を知ることができる企画が中心です。最近では、奈良時代と江戸時代の2つの時代の再生古地図を作ってならまちを歩くという、古地図ツアーを行いました。まだ知られていない、ディープな奈良の魅力を伝えていきたいです。

 コロナ禍で観光客が激減し「観光協会は暇になったんじゃないか」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実はそんなことはありません。コロナ後に備えたリサーチや情報発信は、今だからこそやっておく必要があります。感染状況が落ち着いたときに慌てて企画を考えていては、せっかくのチャンスを逃してしまいますから。昨年度、初めて実施した「秋夜の奈良旅」という催しは、感染状況がやや落ち着いた絶好のタイミングで展開することができました。春日大社、東大寺、元興寺の三社寺の夜間参拝を実施するというもので、世界遺産での同時開催はこの時期としては新しい試みでした。結果として、このキャンペーンは宿泊施設の稼働率回復に繋がりました。宿泊客の方からの反応もとても良く、今年度も、春日大社、興福寺、元興寺の三社寺で実施しました。

 コロナ禍以前と今を比べると、観光協会のあり方は変わってきていると感じます。以前は、旅行会社や鉄道各社に向けたキャンペーン企画やコンテンツ造成、広報が僕たちのメイン業務でした。新たな企画で観光客を呼び込むことが難しくなった今、観光協会はデータマーケティングに力を入れています。WEB上でいつどんな情報を発信すれば反応があるのか、宿泊稼働率が上がるのはどんなときなのか、コロナ禍との相関関係がどのように示されるのかなど、さまざまなデータを読み取りながら、企画や広報のタイミングを検討しています。観光協会だけではなく、地域の方々も奈良を楽しむためのさまざまな企画やイベントを行っています。マーケティングに基づく一歩進んだプロモーションを展開し、奈良の良さを広く発信し続けていくことが今後は重要な役割になると思っています。

 奈良市の観光には、「奈良の宿泊者数を伸ばすこと、滞在時間を延長すること、消費金額を増大させること」という3つの課題があります。もちろん、観光協会だけでは難しいことですが、民間企業とは違った情報発信や企画を続けることで、少しでも貢献できればと思っています。

■ポスターが思わぬ反響。でも”バズる”はゴールではない

 奈良市観光協会で制作した観光誘致ポスターが、SNSを中心に思わぬ反響をいただいています。ネットニュースなどで「泊まれ」というフレーズをご覧になった方も多いのではないでしょうか。奈良公園で鹿が横断歩道を渡る風景と、「泊まれ」というストレートなメッセージの組み合わせが面白いと感じていただいたようです。

 インターネット上では、2019年・2021年と2回”バズった”のですが、ポスターを制作したのは2016年度のこと。旅行会社や修学旅行を予定している学校に配っていたもので、当初はとくに大きな反響はありませんでした。2019年に大阪メトロで奈良の販促キャンペーンが行われ、駅に掲出されたポスターの写真を通行人がTwitterにアップしたのが、大きな反響が起こる最初のきっかけだったようです。僕は制作に関わっていないのですが、”バズ”狙いで作ったものではないと聞いています。奈良で暮らす僕たちにとって、鹿が横断歩道を渡るのは当たり前。宿泊者数の増加を促進するため、日常の風景をポスターにしたに過ぎません。なので「これがそんなにバズるんや」と職員はみんな驚きましたね。

 「”泊まれ”の続編はないの?」とお問合せをいただくのですが、その予定は今のところありません。面白おかしく取り上げられたとしても、それは一過性のものになってしまいます。話題になったからといって、奈良を好きになってもらえるとは限りません。ネットでウケを狙うよりも、奈良の本来の良さをしっかり伝えることのほうが大事だと思っています。

■地域の人と共に奈良ファンを増やしたい

 奈良市観光協会で働くようになり、これまでよりもさらに地域の方のお話をお聞きする機会が増えました。例えば、「奈良は観光シーズンや繁忙期でも早く閉まってしまうお店が多い」という声はよく聞かれますが、小規模な個人店が多いため人手を確保するのが難しい、ご高齢の店主が朝早くから夜遅くまで店を開け続けるのは負担が大きい、といったそれぞれの事情があります。観光地と生活の場が繋がっている地域ならではの実情なのかもしれませんね。ずっと奈良にいながら、当事者からお話を伺うまでわかっていなかった部分がたくさんあったことに改めて気づきました。

 今後の課題は、観光地や史跡ばかりではなく、商店街や飲食店を含めた街全体を楽しんでもらうことです。数年前から、地元の飲食店と連携した季節のキャンペーンを展開し始めたこともあり、少しずつ新しい繋がりも生まれています。これからも地域の皆さんと一緒にアイデアを出し合って、面白いものを考えていきたいですね。行政や民間企業が主導するばかりではなく、地域の方々による新たな企画やイベントもどんどん生まれています。素晴らしい企画を多くの人に伝えることも、観光協会がこれから担うべき役割だと思っています。

 観光協会や市役所での仕事だけではなく、奈良市民の1人として、家族と一緒に奈良を楽しむ機会ももっと増やしていきたいですね。生まれたばかりの子どもにも、「奈良が好き」と心から言ってもらえたら。「今いる場所はとても素敵なんだよ」と伝えたいです。観光協会で働くようになってからは、奈良市内の宿泊施設をよく利用するようになりました。個人的にも、おすすめのスポットや宿泊施設を紹介したり、街を案内できるようになれたらと思っています。奈良に生まれ、奈良に育ち、奈良で働くようになり、それでも奈良の魅力は尽きることがありません。これからも、一時的に消費されるのではなく、長く愛してくださる奈良ファンを増やす活動を続けたいです。

記事:油井やすこ 写真:北尾篤司

最終更新日:2022/03/27

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