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【連載】奈良さんぽ「第10回 夏の日のある朝、ある夜」もりきあや


2022年、感染症に睨まれながらの、3度目の夏休み。それでも、やっぱりうれしそうな子どもたち。私も一緒にいられる時間が増えるのは、気忙しくもうれしい。予期せぬ不穏な出来事に心が落ち着かないこともあったけれど、だからこそ今この時間を大切にしないと、と心から思う。

7月の終わりには、近所の公民館でラジオ体操があった。子どもの頃は早起きがなんとなく面倒に思えていたが、母として参加すると、準備してくれる地域の人やラジオを大音量で流しても起こらない近隣の方にありがたさを感じる毎日だ。小学2年生の息子は寝起きが良く、起こして10分もすればご機嫌で走り出す。カードにスタンプをもらい、友達や地域の方々と挨拶を交わす。いつも登下校を見守ってくださっているので、半世紀以上の大先輩にもまるで友達のように話しかけ、頭を撫でてもらっている。燦燦と降り注ぐ朝陽の中、照れ笑い。

朝6時30分が近づくと、ラジオのボリュームが上がる。老若男女が学童に戻ったように姿勢を正し、まずはあの歌から。見上げると、今日も今日とて青空だ。マスクの下で爽やかな歌詞を口ずさんでいると、白いサギが優雅に飛んで行った。

覚えているだろうか。ラジオ体操第一は、背伸びの運動から始まる。腕を大きく前から上に伸ばし、少しかかとが浮くくらいまで、グーッと。起きたての、青空の下での背伸び。そうすると、「ぅうぁ〜…」と、小さなうなり声があちらこちらであがる。寝ているうちに固くなった体が、よっこらしょと目覚める瞬間だ。気持ち良い半分、「あ痛たた…」半分といったところだろう。40代半ばの私だって同じ。その独特な合唱が毎回おもしろく、私のラジオ体操はニヤケ顔で始まるのだった。第二体操まで終わると、自然に皆が拍手をして「ありがとうございました」と言って解散。今日も一日皆が無事に過ごせますように。


さて。猛暑つづきで少々バテながら生活しているうちに、お盆を迎えた。迎え火を焚いたり、お参りをしたり。祖父母や父、亡くなった人たちのことを思い出しながら、今を一緒に生きる家族と過ごす貴重な休みでもある。

15日、送り火の後、高円山で行われる大文字焼きを見ようと、みんなで夜の散歩に出た。車通りがなく、街頭も少ない道を行くので、息子は「ちょっと怖いね〜」と言って私の手をしっかりとにぎってくる。まだまだかわいい7歳だ。

私たちの後ろには、夫、私の母、そして娘がのんびりと続く。休耕田の横を歩くと、草むらの中から虫たちの大合奏。少ない光で視界を制限され不安げな人間とは違って、今は俺たちの時間だと生命をきらめかせて。

娘は御年18歳の老猫が乗ったカートを押している。娘が生まれたての赤ちゃんだった時から見守り続けてくれた愛しい存在。突然あらわれた小さな人間に興味津々で、ゆりかごを覗き込み、添い寝をし、危ないことをしそうになると「ニャーン」と私を呼んでくれた。もうそんな心配がないほど大きくなった娘だが、一緒に寝るのは変わらず大好き。最近は暑さに体力を奪われるのだろう、寝ている時間がぐんと増えたが、久しぶりの遠出(彼にとって)とあって、キョロキョロと周りを見回しては、時々こちらをじっと見て目で話す。陽がすっかり落ちて、田を渡ってくる夜風が夏の終わりを思わせる。私は「気持ちが良いね」と答えた。

水の入った田圃に差し掛かると、ポチャンと音がした。きっとカエルが驚いて隠れたのだろう。おもむろに妖怪キャラクターの話を始めた息子は、やっぱり暗いのが不安なのだな。

水上池の近くまでくると、遠景で小さいけれどくっきりと「大」の字が浮かび燃えていた。いつもこの火を見ると「また来年」という気持ちになる。平和に、健やかに。これまで受け取ってきた愛情と、積み重なってきた時間、これから渡したいもの、続いていく未来を思う。そうこうしているうちに妹夫婦も合流し、大所帯となった一行。もと来た道を明るい方へ歩きながら、それぞれの家に向かって「またね」と手を振り合った。


執筆者紹介

もりきあや
奈良市在住。ライター・編集者として活動する中で、地元である奈良の魅力に気づく。新聞の県版でコラムの連載、カルチャーセンターで奈良を案内しながら、さらにどっぷりはまっていく。この連載でさらに奈良が好きになる予感。著書に『おひとり奈良の旅』(光文社知恵の森文庫)。

最終更新日:2022/08/17

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