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【連載】山とレファレンスブック「第8回 あんた、伊勢湾台風知らんやろ」青木 海青子

 東吉野村は奈良県の東に位置し、隣県の三重にほど近い山村です。川の水が澄んでいて、静かで美しいところです。私たちは2016年よりこの山村で暮らしてきました。山の暮らしの中でそれまで知らなかった習慣や行事、言葉、感覚に出会い、ワクワクして、誰かに話したくなりました。そんな訳でエッセイとして、暮らしの中で見聞きしたものを留めたり、調べてみたり出来たらと考えたのでした。

 近所のおばちゃんは台風が近づくと、川に隣接している我が家を心配して電話をかけてきてくれます。そして決まって「あんた、伊勢湾台風知らんやろ」と言って、伊勢湾台風の時のことをちらっとお話してくれます。「小川の辺りまで、道無かったもんな」とか「家も傾いとったんやで」とか当時の様子を話してくださり、「台風のたびに思い出して怖いんよ」と結びます。

伊勢湾台風当時の小川・出合橋

 こんなお話から、『東吉野村郷土誌』(東吉野村教育委員会, 1972)に手が伸びました。

 昭和34年9月26日午後8時前後、風速25メートル、降水量550ミリメートルの豪雨を伴って来襲した伊勢湾台風は、本村史上最大をきわめた台風であった。死者6名、行方不明者2名、負傷者39名、罹災者2,886名の人的被害のほか、建物の流失全壊130戸、浸水619戸、道路、耕地、山林等一挙に十数億円を突破する巨額の被害をもたらした。
【同書 p.363より】

 また、村の民俗資料館を開けてくださった村民の方は、「村では米を作ってへんから、いつも隣町から買うとった。だから伊勢湾台風で峠の道が崩れた時は、一時米が来んようになった。あの時はあかんと思った」と話してくださいました。このお話からは以前に書いた峠の崩落と改修の歴史を思い起こして、また別の本を開いてみました。

 特に、大きな被害があったのは、昭和三十四年九月の伊勢湾台風である。
 この時は、頂上の切り通し部分が崩落して、道路をふさぎ、これが堤となって水を貯め、ダム状となった。通行の人々は、明治初期のように、山の頂上部を登りくだりして、峠を越えた。また、三段の大曲がり道は、路肩が各所で崩落をおこした。ひだる地蔵下の岸壁部も、大きな崩落をおこした。
 東吉野村全域にわたって、かつてなかった大災害は、村の道路を寸断した。村の玄関口である佐倉峠道の復旧は、最優先の一つであった。食糧・医療用品をはじめ、復旧資材や日用品搬入のために、消防団を中心に、連日の復旧工事がすすめられたのである。
【『東吉野の旧街道』(東吉野教育委員会, 1997)p.149より】

  このように復旧が急がれるにも関わらず、その資源や復旧にあたる人、被害を受けた人を支える身の回り品の搬入も困難であったことが記録されており、改めておばちゃんの言う「あんた、(あの凄まじい)伊勢湾台風知らんやろ」という言葉の重みを痛感するのでした。

 また、東吉野村教育委員会『東吉野村災害史』(1988)には村全域の被害図も示されており、爪痕の大きさを思い知らされます。

【同書 p.57-58より】浸水はほとんどの地区に及んでいたようだ。山崩もここまで同時に起こるのは例外的なことだろう

 …夕方より次第に激しさを増した雨に、河川は急速に増水をはじめ、各所で浸水し、道路はえぐり取られるなど、被害が続出しはじめた。暗夜たたきつける雨の中警戒態勢のもと、被害者の救出に、避難に、危険家屋の流出防禦にと、懸命の救難活動を続けた。恐怖の一夜が明け、眼にする惨状に、前夜の疲労をいやす間もなく、この日より筆舌に尽くし難い活動が続けられた。
 この救援活動160日、水死体捜索600日、家屋の救難土砂除去950日、食糧輸送970日、県道応急補修6,000日、村道補修3,000日、橋梁架設等1,720日、河川応急復旧1,500日、電気復旧300日、電話復旧支援250である。
【同書 p.59より】

 資料を見て特に目に飛び込んでくるのは、「山とレファレンスブック」でもたびたびテーマとして扱ってきた県道、村道等、道の機能復旧の大変さです。冒頭のおばあちゃんも繰り返し「小川まで道が無かった」とおっしゃいますが、そのことが生活に与えるインパクトの大きさを想像するだけで愕然としてしまいます。「備えあれば憂いなし」とよく言いますが、こうした過去を言葉で、数字で、写真で、多角的に知り、伝えることも、一つの「備え」なのではないでしょうか。

執筆者紹介

連載「山とレファレンスブック」
文/青木海青子


編集部から

青木海青子さんは、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャリブロ)の司書です。同館のキュレーターであり夫である青木真兵さんとともに、同館を運営しています。今回の連載は、海青子さん曰く「山で暮らす中で聞いた話に加えて、それを手がかりに本を紐解いてみる」もの。同館が東吉野村という山間地にあること、「レファレンス」という図書館の重要な役割。おふたりの著作『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)とともにご覧ください。「レファレンスブック」というと通常は辞典や図鑑等を指しますが、ここでは広く参考資料というニュアンスで使っています。

最終更新日:2022/12/27

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