奈良、旅もくらしも

水谷茶屋/「昔話のような」茶屋の意外な誕生秘話

長い年月、地元の人も旅人も受け入れてきた奈良のお店を訪ねるシリーズです。

 奈良を歩いていると「時が止まったような」「昔話に出てくるような」などと形容したくなる風景にしばしば出会うのだが、ここはその筆頭と言えるかもしれない。春日大社の北側、若草山山麓にある水谷(みずや)茶屋は、かやぶき屋根の建物と、それを取り囲むように群生するモミジの色づきの鮮やかさにまず目を奪われる。最近はSNSでも人気となり、とくに紅葉シーズンは観光客やアマチュアカメラマンで賑わう。

 茶屋のそばには店名の由来となった春日大社の摂社・水谷神社が鎮座し、水谷川のせせらぎを聞きながら軽食や甘味を味わえる。さぞ歴史の古い店なのだろうと思いきや、創業は1948(昭和23)年とその佇まいにしては新しい。店主の伊賀さんによると、かやぶき屋根の建物は大正期のもの。しかも、「もとは屋根と柱だけのあずま屋だった」というから驚きだ。

 戦後間もないころ、初代店主である伊賀さんの祖母が「どこかで商売をしたい」と新聞記者の夫に相談し、夫がさらに奈良県庁の職員に相談したところ、奈良公園内の休憩所のひとつだったこの場所を紹介されたのが、水谷茶屋の始まりだったのだそう。「リアカーでお手製のわらび餅を茶屋まで運んでお茶と共に提供するところから商売をスタートし、徐々に壁や建具を増設していったようです。私が子どもの頃には、今の形になっていましたね」と伊賀さんは言う。

 祖母から両親へ、そして孫である伊賀さんへと受け継がれた店は、外国人客の急増に伴って座敷からテーブル席に変更したり、食事を早く提供できるようセルフ形式に改めたりと、時代に合わせて少しずつ形を変えている。わらび餅オンリーだったメニューも、うどんや甘味、抹茶ラテなど、バラエティ豊かに。「以前はそばや丼物もお出ししていたんですが、今は食事はうどんに絞って、甘味を充実させています」。

 きのこうどん(800円)は、しいたけ、大きなしめじ、なめこの3種のきのこが関西風のだしによく合う。揚げ玉ねぎうどん(750円)やえびの天ぷらうどん(800円)など、約8種類のうどんメニューがそろう。

 春日野わらびもち(550円)は、創業当初からの定番。黒糖を練り込んだわらび餅は、つるんと爽やかなのどごしと、優しい甘さが散策の疲れを癒してくれる。冬はぜんざいやあまざけ、夏はかき氷も人気だという。

 外にしつらえられた縁台で食事をすることもできるが、「鹿さんが横取りするから気を付けてくださいね」と必ず声をかけられる。「熱いあまざけやうどんをひっくり返されることもありますし、人が食べるものには興味を持つようですね」と伊賀さん。微笑ましい光景ではあるが、鹿せんべい以外の食べ物をあげてはいけないのが奈良公園の鉄則。人間が毅然とした態度をとり、丁重にご退散いただこう。

 壁や建具を自由に増設できていた昔とは違い、この場所は風致地区として厳しい規制が設けられ、かやぶき屋根の姿を変えることはできない。「職人さんの手で修繕を繰り返しながら、これからも長く続けられたら」と伊賀さんは言う。「時が止まったような」「昔話に出てくるような」風景は、長い年月をかけ、幾人もの人の手で守られていく。

記事・写真:油井やすこ

水谷茶屋
住所:奈良県奈良市春日野町30
電話:0742-22-0627
営業時間:11:00~16:00
定休日:水曜休、ほか不定休あり※水曜が祝日の場合は翌日休
駐車場:無

最終更新日:2021/12/15

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