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「可否茶座アカダマ」の思い出と奈良のこと―インタビュー:「可否茶座アカダマ」元マスター 大槻旭彦(てるひこ)さん

 1954年に開店し、文化人にも愛された喫茶店「可否茶座(こーひーちゃざ)アカダマ(以下、アカダマ)」。奈良好きの憩いの場として親しまれていた名店は、2011年に惜しまれながらその歴史を閉じました。2021年は閉店から10年。元マスター・大槻旭彦さんに、お店での思い出や近況について語っていただきました。インタビューの会場となったのは、アカダマの面影を受け継ぐカフェ「ことのまあかり」です。

薬局の片隅で始まった喫茶店

 アカダマを閉めたのは、もう10年前です。やめるというのはね、ものすごい寂しいですよ。なかなか踏ん切りがつかないもんです。店を閉める2年前からブログや張り紙で告知して、少しずつお客様に最後のごあいさつをして。それでも、今なお「ここはアカダマじゃないんですか」と、この場所を訪ねてくださるお客様がいらっしゃるそうです。ありがたいことですね。

 アカダマという店は、祖父が始めた薬局の名前です。薬局は昭和初期、1929年開業と聞いています。それを父が受け継いで、薬剤師の母が切り盛りしていました。父は大変な酒飲みで、社交好きな人でした。アカダマ薬局にはいつも火鉢を囲んで談笑する人が絶えなかったそうです。「それならいっそ、商売にしたら」と人に勧められて、薬局の中で喫茶店を始めたのが「可否茶座アカダマ」の始まりでした。

 父が始めた喫茶店は、文化人が集うサロンさながらだったと言います。当時はまだコーヒーは高級品。飲むのは一部の知識層だけという時代でした。コーヒーを飲みながら、どんなお話をしていたのでしょうね。僕はまだ小学生で、お店のことにはまったく関わっていませんでした。なので、この頃のことはよく知らないのです。

 よくお越しになられていたと聞いているのは、戦後まもなく春日大社の宮司になられた水谷川(みやがわ)忠麿さん、東大寺別当の上司(かみつかさ)海雲さんをはじめとする奈良の社寺関係の方々や、作家などの文化人の方。戦後荒廃していた東京を離れ、奈良に移って来られた方が当時は大勢いらっしゃったようです。水谷川さんは内閣総理大臣を務められた近衛文麿さんの弟にあたる名家の出身ですし、上司さんは志賀直哉の「高畑サロン」を引き継ぐ形で文化人との繋がりがあった方。そんなお2人を頼ってこられたのでしょう。

 国鉄の駅から三条通がちょうど市役所や県庁への通勤路になっていて、職員の方は出勤前にコーヒーを飲みに立ち寄られたそうです。新聞各社の支局が近かったせいか、記者の方も多かったですね。店から外の通りがよく見えるから、常連が通りがかるとお互いに声を掛け合っていたとか。ネタ探しにも良かったんでしょうね。記者さんとは、店の前でキャッチボールをして遊んでもらったこともありましたよ。

店を継ぎ2代目マスターに

 大学に入る時、就職する時、薬局と喫茶店を継ぐべきか考えたんです。ただ、父も母も「別にどっちでもええ」と、それきり。薬剤師は勉強が大変そうだから、大学へ行く前に諦めました(笑)。じゃあ喫茶店は30歳くらいで目途をつけたらええかと、自分で決めました。

 大学卒業後は、商社にしばらく勤めました。中国貿易を主に担当していましたね。国交回復前だった当時は国境を超えるのも大変で、まず香港に入って、そこから汽車に乗ったんですよ。仕事は書類作成や手続き関係などの事務作業が中心でしたが、接待で飲みに行ったり、「商社に入ったからには必ず覚えろ」と言われてゴルフやマージャンを覚えたりもしました。楽しい日々でしたが、あまりにも忙しくて身体を壊してしまって。会社も配慮してくれて、しばらく休んだ後にまた仕事に戻りましたが、やっぱり喫茶店を継ぐことにしました。ふと「そろそろ30やな」と思ったんです。

 僕が大学生の頃に、アカダマは東向き商店街から小西町へと移転していました。移転後も、常連さんは変わらず通い続けていただいたようです。店を継いで最初の3年は、父と一緒にカウンターに立ちました。最初は、お客様とお話するのが少々しんどかったのを覚えています。お客様はほとんどが父と同世代。僕とは年齢が離れているし、共通の話題なんてありません。しかも、僕にとっては知らない人なのに、相手は父から話を聞いているもんだから、僕をよく知っているんです。跡継ぎにはよくあることですが、「ボン」とか「若(わか)」とか呼ばれてね。「はよ年取りたいなあ」と思ってましたね。父の面影をちょっとでも薄めるために、3年目に引退してもらいました。

 当時アカダマは建物の1階にあったんですが、2階は空いていました。何か使い道はないかと考えたのが、女性専用の紅茶の専門店です。当時は、女性専用というのが流行ってたんですよ。和室だったのを、壁をヒノキの板張りにし、梁を生かして山小屋のような落ち着いた内装に改めました。表から見ればわからないでしょうが、この建物は大正期のものです。畳ははがしましたが、建物の風情は残したかったんです。開店当時、まだ紅茶専門店は珍しかったこともあって、けっこう話題になりました。取材もたくさんしていただきましたよ。1階はコーヒー、2階は紅茶のお店として15年続けました。

 しかし、自分の色を出そうと思っていろいろやりましたが、やっぱり初代である父の個性は強かった。今でも、アカダマと言えば父との思い出を語ってくださる方は多いですね。

奈良のことはお客さんに教わった

 奈良に住んでいても、店をやっているとなかなか出かけられないんですよ。有名な行事がある時期は、店にとっての繁忙期ですしね。毎年決まった時期にお越しになるお客様にお会いして「ああ、もうそんな時期か」と思うくらいで。

 奈良のことはほとんどお客様から教わりました。印象に残っているのは、東大寺の別当を務められた北河原公典さん。ほぼ毎日コーヒーを飲みに来てくださっていたんですが、話好きでね。奈良の歴史やお水取りのことを、近くに座っているお客さんに教えてあげるんですよ。周りはみんな聞き入ってましたね。僕もずいぶん耳学ができました。

 かつて日吉館という古い旅館があったのですが、宿泊者の方にはよくアカダマにお越しいただいていました。名物の女将さんがいらっしゃって、研究者や奈良が好きな学生さんがよく滞在しておられるようなところで。日吉館に泊まって、昼間はアカダマで過ごすというコースは父の代から学生さんの定番だったようです。3月の15日間、東大寺二月堂ではお水取り(修二会)行われますが、その時期はずっと日吉館にいるという方もいましたね。行事がある夕方から深夜まで二月堂に張り付いて、夜は宿へ帰る。昼から夕方までは、アカダマでコーヒーを飲んでいるというわけです。学生さんの研究内容はこちらからお聞きすることはありませんでした。自分から話してくれることもあるんですが、難しくてよくわからない(笑)。

 研究者といえば、お水取りの研究で有名な佐藤道子さんはすごかった。二月堂に毎年通って、そこで起こる出来事を全て書き残されるんです。誰がくしゃみしたとか、何か落としたとか、そんなことまで書かれてしまうもんだから、お坊さんたちが「佐藤さんがいらっしゃると絶対気が抜けない」とこぼすほどでした。場を引き締めるくらいの気骨があったんでしょうね。教育大の名誉教授だった牧野英三さんは、お水取りに通って声明の採譜をしておられたそうです。アカダマにも毎年来ていただいていました。歴史学者の直木孝次郎さんはご夫婦でよく店に来てくださいましたね。授業中にもアカダマの話をしてくれたそうで、「直木先生の話を聞いて」と学生さんに言われたこともありました。

 奈良を愛する方にたくさんお越しいただいて、カウンター越しにお話していると、奈良にはやっぱり人を強く惹きつける何かがあるんやなあと肌身に感じましたね。自分で見にいけないのはちょっと歯がゆかったです。

だんだん増えていったメニューのこと

 1990年、店を2階だけにしてコーヒーと紅茶の店として再スタートしました。紅茶の専門店、奈良ではちょっと早すぎたんです。店に立つのは僕とアルバイトの学生だけにしました。そこから、ちょっとずつメニューが増えて。いや、本当は増やしたくなかったんですが、お客様のご要望にお応えするうちに増えてしまってね。

 紅茶はイギリスのとある会社から取り寄せていました。息子がイギリス旅行のお土産に買ってきてくれたものが美味しくて、直接連絡したんです。貿易の仕事をしていたのがここで生きましたね。珍しい紅茶がいろいろあったんですよ。チョコミントのフレーバーが付いた紅茶は、ロイヤルミルクティーに仕立ててお出ししていました。中国原産のラプサン・スーチョンも扱うお店は少なかったんじゃないかな。独特のクセがあって、カップを洗っても取れないくらい香りが強いんです。そういう変わった紅茶は「絶対それやないとあかん」と言うお客様がいらっしゃるんで、やめられない。

 紅茶を30種類ほどそろえていましたので、コーヒーもそれに合わせなくてはと思って、シングルオリジンを中心に増やしました。アラビア産の豆が手に入った時に思いついた「シルクロードコーヒー」も評判が良かったですね。チャイのコーヒー版のようなものです。アラビアの豆にインド風のスパイスを加えて、奈良で提供する。シルクロードの完成です(笑)。

 ケーキを置いたのも、2階でやり始めてからですね。そろそろ美味しいものを出したいなと思ったタイミングで、「うちのケーキを置いてくれませんか」と電話がかかってきたんですよ。当時20代で、店舗を持たずに手作りしていた方です。渡りに船とばかりにお願いしたら、自転車で毎日運んでくれるようになりました。20年間、毎日です。

 コーヒーは先代から変わらずサイフォン式。うちは常連さんが多かったので、変わらないほうがええやろうと。ただ、父から教わったとおりのことをやるだけでは心もとないという気持ちもありました。そこで、50歳を超えてから、コーヒーマイスターの資格を取ったんです。知識を増やして、自信になるものが欲しかったんですね。「美味しい紅茶の店」という認定も受けました。世界的なトランペット奏者であるニニ・ロッソさんから「世界一おいしいコーヒー」と言ってもらえたのは嬉しかったですね。

「喫茶店のマスター」以外の多彩な顔

ことのまあかり店内には大槻さんが春日大社さんで舞う写真を掲示しています。

 アカダマのマスター以外にも、実はいろいろなことをやっていました。僕のことを「雅楽の大槻さん」「カルタ協会の大槻さん」として知っている方もいらっしゃいます。

 春日大社の神職や民間人で構成される、南都楽所(なんとがくそ)という団体があります。雅楽の保存、伝承を目的とした組織です。そこで18歳から雅楽の笛や舞いを演じていました。子どもの頃に観た『笛吹童子』という映画で、横笛を吹いている主人公が格好良くてね。笛を習えるところがないかと探していたら、親戚に紹介されたんです。「なんか、イメージしてたんとは違うな」と思いながら結局40年やりましたね。春日大社のおん祭りはもちろん、いろんな社寺で行事があるたびに演舞をやるんです。学生の頃は暇だったので、必ず数に入れられる。それでもう、抜けられなくなって。

 百人一首が好きだったことが縁となって、奈良県かるた協会の会長もさせていただきました。奈良にかるたクイーンの方が移住して来られたという新聞記事を読んで、興味本位で競技かるたの大会を見に行ったんです。そしたら数日後に「奈良にかるた協会がないから作りたい。大槻さんは奈良の人だし、一緒にやってくれないか」って発起人から電話がかかってきたんですよ。そしたら、あれよあれよという間に会長になってしまいました。大会がある時の場所のセッティングをしたり、あちこちに頼み事をしに行くと、「ああ、アカダマの」と言われてこっちがびっくりすることもありましたね。

競技かるた漫画「ちはやふる」はことのまあかりが譲りうけました。

 大人になってから、検定や試験が好きになったんです。奈良まほろばソムリエ検定は、第一回で受けました。学生の頃は考古学研究会に在籍していたくらい、元々歴史が好きでしたしね。合格者の会で同じテーブルについた人同士で「アカダマ会」というグループを作って、10年ほど勉強会のようなこともやりました。社会人になると、なかなか褒められたり認めてもらえる機会って少ないでしょう。だけど、試験は勉強した分がきちんと結果として認められるし、落第しても自分の頑張りが足りなかったことがはっきりわかるんですよね。こんなに良いものはない。

 流されるままに始めて、けっこう長く続ける性分なんです。いろんなところで出会った方が、アカダマに通ってくれるようになったり。どこで知り合いになったか、ちょっと混乱することもあります(笑)。

閉店後もやりたいことが山積み

 60歳を過ぎたころから、だんだん店に立つのがしんどくなってきました。ゴールデンウィークや正倉院展なんかの観光シーズンに、店がすごい混むようになって。その時期を頑張って乗り越えた後は、決まって熱を出して寝込んでしまってたんです。これでは続けられないなと。

 後継者にまかせることは考えませんでした。僕の代わりに他の誰かが店に立っても、それはもうアカダマじゃない気がして。最初に申し上げたとおり、2年かけてゆっくり閉店しました。父の代からずっと通ってくださった方、親子やご夫婦で通っていただいた方、いろんな方が「ありがとう」と言いに来てくださいました。最終日のことはあまり覚えていません。今まで通りのかんじやったんちゃうかな。

 お店を閉めてから数年は、建物をそのままにしていました。借りたいというお話はあったのですが、アカダマとは全く違う業態だったり、ガラリと改装したいという希望があって、なんとなく嫌だったんです。でもずっと放ったらかしというわけにもいかない。そこでご縁があったのが今の「ことのまあかり」です。奈良好きが集まる雑貨店「フルコト(※2021年6月に閉店)」の2号店として、カフェをやりたいと。アカダマの雰囲気をそのままにしてくれるというので、お貸しすることにしました。アカダマで使っていた、樹齢800年の春日杉の看板も受け継いでくれています。メニューや人が変わっても、奈良好きの人たちが通う場所がここにありつづけるのは、意味があることだと思います。アカダマにアルバイトに来てくれていた奈良女子大出身の方と集まって、ことのまあかりで同窓会をしたりもしたんですよ。

 店を閉めて寂しくはありましたが、気が抜けるということはなかったですね。店を閉める年に、奈良大学に入学したんです。お客さんから話を聞くばかりだった奈良の歴史について、もっと勉強したいなと思って。店をやっている間は学校に通えないから、先に学科試験だけを終わらせて、次の1年で先生と一緒に奈良のあちこちを巡りました。話に聞いていたのはこれかと、新鮮でしたね。卒論は春日大社について。あまり範囲を広げると手に負えないから、奈良にこだわって今でも歴史を研究しています。

 2020年に『奈良 高畑界隈-その歴史と伝承-』という本を出しました。僕が住んでいる高畑という地域は、春日大社の神主などを務めた社家や、神職が代々住んでいた場所です。飛鳥時代から鎌倉時代にかけての歴史的人物にまつわる伝承も多く残っていて、いつか本にしたいと思っていました。地域の方にも喜んでいただけましたし、アカダマのお客様も本を購入してくださったようです。嬉しいですね。本を出したといっても、まだまだ調べたいことは増えるばかり。いずれは古文書も読めるようになりたいし、やりたいことだらけで、意外と忙しい日々です。

 アカダマは、たくさんの人との出会いをもたらしてくれた、僕の人生そのもののような存在でした。お客様が愛した奈良のこと、これからまだまだ知りたいと思っています。

(記事・油井やす子 写真・生駒あさみ)


『奈良 高畑界隈-その歴史と伝承-』
2021/6/30現在売り切れ、7月中旬に第二版再入荷予定

http://nara-furukoto.shop-pro.jp/?pid=157046346

最終更新日:2021/06/30

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