文・タイトル絵/青木海青子
東吉野村は奈良県の東に位置し、隣県の三重にほど近い山村です。川の水が澄んでいて、静かで美しいところです。私たちは2016年よりこの山村で暮らしてきました。山の暮らしの中でそれまで知らなかった習慣や行事、言葉、感覚に出会い、ワクワクして、誰かに話したくなりました。そんな訳でエッセイとして、暮らしの中で見聞きしたものを留めたり、調べてみたり出来たらと考えたのでした。
いつもは語りから本、という道すじを辿りますが、今回は本から入っていきます。この間『東吉野村史 史料編下巻』をパラパラ見ていたら、気になる文書を見つけました。1917年、屋根葺き用の杉檜皮葺確保のため、木津川(こつがわ)労働組合が皮の価格や分配について定めた規約だとのこと。
大正六年二月 杉檜皮関スル規定書
一 当区ノ人家及付属建物ハ少数ノ瓦屋根ヲ除クノ外全部皮屋根ナルヲ以テ、此レガ終(修)繕葺替ニ要スル杉檜皮葺皮年〻不足ヲ感ジツゝアルナリ、…
[『東吉野村史』史料編下巻 p.341(東吉野村教育委員会, 1990)]
木津川地区で、一部の瓦屋根のお宅をのぞき、ほとんどが杉檜皮葺き屋根だから、年々材料が足りなくなってきたということです。「そんなに?」とびっくりしました。というのも現在の木津川地区では、 杉檜皮葺き屋根のおうちを拝見したことはないからです。
そしてなぜ杉檜皮葺の記述が気になったかというと、大家さんからいただいた昔の写真を見るにつけ、当館も杉皮葺き屋根だったからです。
この写真を見た時に、木皮の屋根の住居というのをはじめて目にして、その表情に強く惹きつけられたことを覚えています。トタンを上から被せたようで、今もトタン屋根の下に木皮がチラッと見える状態です。そこで 杉檜皮葺き屋根について、機会を見つけてご近所さん尋ねてみました。
「昔はあったなぁ。この辺(鷲家の集落付近)にもようけあった。下には板張るんよ。それから防水の意味で被せて。トタンみたいな感じやわ。杉の皮でしとったな」
と仰っていました。木津川労働組合の資料には杉檜皮という記述があったし、ご近所さんの見た風景よりさらに遡ってみたくなったので、ちょっと古いレファレンスブックを手に取ってみます。古事類苑データベースで「檜皮葺」を引くと、
檜皮ひはだ 檜木の肌皮といふを略ていふ也、檜皮葺は古への宮殿みなしかなり、今も禁裏、古き神社などは必用らるゝ也、
[『類聚名物考』宮室二 『古事類苑』居處部十五 p.1045]
とあります。確かに檜皮葺きというと、神社等の特別な場所に使われる印象です。先の木津川でも、一般住宅には杉皮が使われていたのではないかと思われます。また、大脇潔「雲隠岐・出雲甍紀行–杉皮葺きと左桟瓦・石州瓦 (隠岐・山陰沿岸の民俗)」によると、
…小さな家の屋根は、カヤ葺きか石置き杉皮葺きであったと思われる。隠岐では山野にカヤが多い農村では草葺き屋根、カヤが得られない漁村では石置き杉皮葺きとするのが多かったとされる。幕末から防火に適した瓦葺きが少しずつ普及し始め、…明治末期から大正にかけて普及、昭和にはいってさらに広まった。
[大脇 潔「雲隠岐・出雲甍紀行–杉皮葺きと左桟瓦・石州瓦 (隠岐・山陰沿岸の民俗)」民俗文化 23号,p 5, 2011](※1)
- (※1)こちらの雑誌は機関リポジトリで閲覧可能です。
とあります。東吉野村は山村ではありますが、同じような移行を経て今の屋根があるのではないかと類推します。
村の大工さんがうちに来てくれる機会があり、杉皮葺きの屋根についてもう少しお話を伺えました。語り口も大変魅力的な方なので、なるべく聞いたまま書きつけました。
「昔はトタンなかったから、皮でしたな。トタンかて(上からコールタールを)塗らんでも50年持つ。(トタンにコールタールを)塗る場合もあるけど、塗っても2,3年しか持たん、雪で取れてしまう。皮葺の場合は、雪を降ろしたりまでは特にせずそのままや。10枚ほど葺く。ほって(=そして)茅葺の屋根なんかやと、今やると100万200万たこつく(=高くつく)。こういう家やと、皮の上にトタンしとる。昔は皮葺やったけど、その皮がよう無くなってきて、葺く人もおれへんやん。ほんでトタンにした。皮取ると、木は(木材としては)使われへん」
大工さん自身、皮で屋根を葺いたことはあったか尋ねてみました。
「今でも皮で葺くことあるで。押さえんのにな、昔は竹割って、それで上から留めた。それやと釘のとこから雨入るやんな、やっぱりな。留めとんねんもん。留めんわけにいけへんしね。ほんで今は、こういう皮がない。一軒(の屋根すべてを)葺くだけのな。まあ、トタンが一番無難やし、皮そのものの需要がない。そら神社みたいに檜のこんな短い皮な、何十枚と重ねていって檜皮葺したら、そんなん今はもう何千万とかかる。檜の皮は神社なんかやにと使わへん。ほいて割れるよって使わへん。細う割れてくるよって。杉皮やったらそういうのはない。普通のうちは杉皮で、神社は檜のせばい(狭い)皮で、竹釘で留める。そんなんそれはもう贅沢いうか、もう物が無いから」
「こういうとこ(壁)皮で貼るとこ、なんぼでもあんねんで。下にベニヤでもかまへん、貼っといて、皮張って、竹で押さえて。今貼ってあんのは、天好園って平野の料理屋さん、あっこやったら、壁張ってあるわ。、最近でもどっかで皮使たな。家でも貼ってほしいいうとこもある。維持管理はやっぱり(大変だ)な。苔生えてきたり、取れてきたり。でもな、腐らへんねん。(素材としてはもちろん)ええねんで。面白いねんで」
先の大脇さんの論考でも、 杉皮葺き屋根住宅の解体、移築時の記録に触れており、その様相が浮かび上がってきます。一尺は約30cm、一分はその十分の一です。
なお、愛知県の明治村に移築された呉服座の杉皮葺きは、長さ二尺二寸、幅一尺、厚さ一分五厘、葺き寸二寸で、通常、二間分の幅(三・八メートル)を葺ける杉皮を一束として出荷し、一束は十〜十二枚、下から一尺四寸の位置に全体を押さえるための幅三センチほどの割竹を置き、鉄釘で止めるという。
[大脇 潔「雲隠岐・出雲甍紀行–杉皮葺きと左桟瓦・石州瓦 (隠岐・山陰沿岸の民俗)」民俗文化 23号,p 9, 2011 文化財建造物保存協会2004 後藤2005より]
大工さんによると屋根葺きに使えるよう皮を取った後、残りは木材として使うのは難しいそうです。その話と上記の情報を合わせると、一束揃えるにも多くの手間と木が必要で、現在杉皮葺きを維持したり、再現したりするのはなかなか骨の折れる事なのだと理解できました。大脇さんの論考によると、杉皮葺きはカヤ葺きや檜皮葺きに比べるとかなり特殊で、通常の屋根葺き関係の書物で触れられることも少ないのだそうです。そうなると、益々この論考の有り難さが身に染みます。雨や乾燥にさらされると著しく反り上がって、屋根葺材料としての美しさに欠けるのだという記述もありました。しかしながら白黒の写真にうつる杉皮葺きの屋根並みは、実際に見たことがないのにひどく懐かしく、村の景色に馴染む美しいものとして私の目に飛び込んできたのでした。痛むと反り上がってきてしまう杉皮の様子すら、想像すると鱗を持つ生物のようで、却って親しみが湧きました。
お話を伺っている時にふと大工さんの背後を見ると、トタンの下から苔むした杉皮がズルっと落ちてきている箇所を見つけました。大工さんに見てもらうと、「ああ、あそこ出てるなあ。もう空間ができしもとるんやね」と仰っていました。その様子が、この家が杉皮葺きだった頃からの手紙のように見えて、押し戻すのが忍びないようでした。
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執筆者紹介
連載「山とレファレンスブック」
文/青木海青子
最終更新日:2021/07/26
編集部から
青木海青子さんは、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャリブロ)の司書です。同館のキュレーターであり夫である青木真兵さんとともに、同館を運営しています。今回の連載は、海青子さん曰く「山で暮らす中で聞いた話に加えて、それを手がかりに本を紐解いてみる」もの。同館が東吉野村という山間地にあること、「レファレンス」という図書館の重要な役割。おふたりの著作『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)とともにご覧ください。「レファレンスブック」というと通常は辞典や図鑑等を指しますが、ここでは広く参考資料というニュアンスで使っています。