奈良、旅もくらしも

【連載】奈良さんぽ「第5回忘れたくないこと」もりきあや

2021年の夏休みも、ほとんどの時間を家の中で過ごすことになった。中1の娘はなんだかんだと毎日のように部活動があったのだけれど、小1の息子はずいぶんとインドアな生活が染み付いた。

週末、母が「あなたが小さい頃に家族で行った、布目ダムの方に行ってみない?」とお出かけを提案してくれた。というわけで、今回の散歩道は、ドライブにて。さっそくおにぎりとお茶を準備して、車で出発。

奈良教育大学の少し南を東に入り、県道80号を走る。春日宮天皇田原西陵を過ぎ、田原の山里を抜けて、県道25号を北に入ると布目ダムの南端だ。「ちょっとそこを右(南)に曲がってみて」と母が言う。どうやら近くに磨崖仏があるらしいということだった。しばらく進み、的野という地域で車道の脇に石灯籠を見つけた。すると、すぐ横を流れる布目川の対岸に、草木に覆われるようにして佇む姿が。地図を確認すると、的野阿弥陀磨崖仏という、岩に彫られた仏様だ。風化のためお顔など細部の様子はわからない。

「道もないところなのに、誰が彫ったの?」と娘が問う。的野の集落には、他にも室町時代や鎌倉時代に彫られた磨崖仏や石仏があるそうだ。「今、私たちが通る道と、かつての道が同じだったのかな?」。私は、答えを見つけられないまま、投げかえした。舗装され、標識がある道を、詳細な地図を持って進むのとは違う。地形をよみ、川のうねりや大木、大きな石を目印に、一歩一歩足で行くために必要だったのではないか。以前、春日大社から円成寺までを結ぶ、春日山・高円山の谷合の道「滝坂の道」を歩いたときにも、たくさんの石仏に出会った。次々に現れる仏様に手を合わせては、道を外れていないことを確認したものだ。

川の向こうの仏様、あなたはいったいどれだけの人を見守り、導いてきたのですか。

布目ダムの方に向かおうと、来た道を戻っていると、何やら可愛らしい看板を見つけた。「わんぱくどうぶつえん」と書いてある。小さな動物園には、アヒルやカモ、ウサギ、ヤギたちが暮らしていた。私たちの他にもう一家族。ほんの10分ほどだったけれど、動物たちが癒してくれる力はすごい。

さて、母が言っていた昔遊びに来ていた場所は、この辺りの川縁の広場らしい。子どもたちがパパと一緒に一服している間に早足で行ってみたけれど、今は閉鎖されていて入ることもできなかった。母はそれでも、「そうそうこの辺。あのベンチのあたり」と嬉しそう。私はすっかり忘れてしまっていて、その時の家族の笑顔も思い出せないでいた。草に埋もれたベンチを尻目に、ちょっと寂しい散歩道。あぁ、覚えておきたかったな。

帰り道はダムの東側を周って行くことにした。途中に「腰越ウチカタビロの土塚」と彫られた石碑があった。

北野天神社の要地であったそうだ。大字北野小字ウチカタビロの水田の中にあった土塚には、何体かの石仏が祀られ、神社の祭礼の際にここで神拝されていた。ダムの建設に伴って水没したためここに遷されたと案内にある。「なお旧の場所は此の地より北北西二〇〇米の所にあった」。布目ダムが計画されて調査が始まったのが昭和50年(1975)、ダムが完成したのは平成3年(1991)だ。在りし日の故郷の風景、そこに共に暮らした人たちの表情は、誰かの記憶にまだ残っているだろうか。

今は釣り客が集まるダム湖だけれど、40数年前にはまったく違う風景が広がっていた。もっとずっと長い時間、たくさんの人の一生が紡がれてきた。そのことは、覚えておきたいと思った。


執筆者紹介

もりきあや
奈良市在住。ライター・編集者として活動する中で、地元である奈良の魅力に気づく。新聞の県版でコラムの連載、カルチャーセンターで奈良を案内しながら、さらにどっぷりはまっていく。この連載でさらに奈良が好きになる予感。著書に『おひとり奈良の旅』(光文社知恵の森文庫)。

最終更新日:2021/09/06

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