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【連載】山とレファレンスブック「第4回 馬頭観音祭と、往来と」青木 海青子

文・タイトル絵/青木海青子

 東吉野村は奈良県の東に位置し、隣県の三重にほど近い山村です。川の水が澄んでいて、静かで美しいところです。私たちは2016年よりこの山村で暮らしてきました。山の暮らしの中でそれまで知らなかった習慣や行事、言葉、感覚に出会い、ワクワクして、誰かに話したくなりました。そんな訳でエッセイとして、暮らしの中で見聞きしたものを留めたり、調べてみたり出来たらと考えたのでした。


 晴れた空が気持ちの良い季節に、私たちが所属する河合垣内が執り行う「馬頭観音祭」の案内が届きました。今年は5月9日、母の日に開催とのことです。ルチャ・リブロのある鷲家地区には、伊勢街道が通っており、集落の真ん中にはその道標も建てられています。道標から村役場方面に進み、新河合橋を渡って振り返ると、橋の脇、鷲家川沿いに細い路地が通っており、その先に小さな可愛い祠を見つけることができます。これが伊勢参りや、人々の移動を支えたであろう馬たちの守り神・馬頭観音の祠です。

お供えものには人参やピーマンなどの野菜も。他地域だと、飼料を煮出したお粥や、餅を供えるところもあるそう


 祭と言っても垣内だけで行うぐらいのごく小規模なものです。大まかには、のぼりを立ててお供え(野菜やお菓子、ジュース等)をして、皆でお経を上げるという流れです。以前は近隣のお寺さんに来てもらってお経を上げていましたが、今回はこのお社を普段から維持管理してくださっているご近所さんが代表して般若心経を上げてくださいました。本来は読経の前に口上があるのだそうですが、「また(お寺さんに)聞いとかなあかん」とのことでした。いつか口上が聞けたなら、続報でお伝えできたらと思います。

川沿いの岩盤上に建つ馬頭観音の祠

 お経を上げてもらう間に、垣内の人たちがお焼香とお参りをします。その後はのぼりを片付け、お供えものもカラスに狙われないように回収し、ご近所さんちの玄関先で分配します。一人暮らしの方もおられるので、「人参食べるー?」「いや、めんどくさいなぁ」「レンジでチンしてアレしたら…」というように話しながら分配します。ご近所さんは普段の馬頭観音の維持管理について、「主にお正月の前、お盆、昔はお彼岸辺りにも掃除していた」と話しておられました。地域清掃の時にも本当に丁寧にお掃除される方なので、祠もすごく綺麗になさっています。落葉の季節には祠に葉っぱが積もってしまい大変で、きりがないのだとか。この小さな祠、お祭りについて何か記録が無いかと本を開いてみると、『東吉野の旧街道』(東吉野村教育委員会)に以下のような記述を見つけました。

河合橋南詰かみ手、一七七六番地 河合敏氏宅の川側、岩盤上に祀られている祠は、馬頭観音である。伊勢街道の宿場町として、旅人の安全とともに、旅や物資輸送に力を尽くした馬をはじめ、動物の霊を祀っている。現在も、毎年五月、河合垣内の人たちが中心となって、ていねいな例祭をとり行っている。

[『東吉野の旧街道』 (東吉野村教育委員会, 1997)p.114より]

『東吉野の旧街道』の地図には「河合橋」として登場。大きな橋の上手に馬頭観音が祀られている。  この本が編纂された頃には橋の名前が河合橋だったようで、現在の新河合橋は1997年以降にかけ替えられた新しいものなのではないかと思われる

 村の暮らしにどんな風に馬が関わって来たのかということが知りたくなり、さらに本を手に取ります。『東吉野村村史 史料編上巻』(東吉野村教育委員会)には、特に近世編に馬にまつわる記録がちらほら見られます。

寛政九年に編まれた「伊勢参宮名所図会」には馬とともに旅する人々の姿も多数登場する

 牛馬放生場の設置を巡るトラブルへの嘆願書や、街道の宿駅で、人馬の継ぎ立てを行う伝馬所があった鷲家村の様子、また和歌山藩の人馬継ぎ方の負担が重いため、賃金値上げを願い出る嘆願書が史料として記載されていました。以前にも書いた通り、鷲家は紀州藩の飛び地で街道が通っている宿場町だったので、現在も鷲家の中心集落には、本陣跡や旅籠の名残を残した家々が軒を連ねています。

鷲家集落の中にたたずむ道標。以前は三叉路の中心にあった。この三叉路では昔、盆踊りも行われたという
鷲家集落の中、現在の鷲家郵便局付近に紀州藩の本陣があった

 『東吉野の旧街道』、『東吉野村郷土史』(東吉野村教育委員会)には、以下のように記録され、馬や人が多く行き交った当時の様子が伺い知れます。

紀州藩では、越部(※1)と鷲家に本陣や伝馬所を設けて、藩の旅程の重要拠点とした。宿場町となった鷲家のうちでも、この付近は、中心地となったところである。

[『東吉野の旧街道』 p.7より]


(※1)越部とは東吉野村の隣の隣、大淀町の大字です。

 このような賑わいを見せた時代もありましたが、移動手段の変化等とともに旅籠や店屋は少なくなり、馬も姿を消していきます。『東吉野村村史 史料編下巻』近代編で鷲家地区と馬についての記録が出てくるのは、明治16年(1883)の「鷲家村村史」の中だけです。牛馬の数が記載されており、牡馬が二頭のみ鷲家にいたようです。

 現在ではこの街道を往来するのは馬でなく、自動車へと変わりました。それでも馬頭観音のお社が綺麗に掃き清められ、お祭がひっそり続いているおかげで、お伊勢参りや参勤交代を支えた馬たちの黒い瞳を思い描くことができます。当時の往来の風景をアスファルトの道に重ねてみれば、馬の歩くペースで旅した時間間隔を、ほんの少し取り戻せるような気がしてなりません。

\青木さんからのお知らせです/

▮新刊発行されました 『山學ノオト2(二〇二〇)』
著:青木真兵 青木海青 装丁:武田晋一 出版:エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)
“日常を取り戻したいのだけれど、そもそも僕らの「日常」とはどんなものだったのだろう。”   奈良県東吉野村。人口一七〇〇人の村の山あいに佇む一軒家、人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」。自宅を開放して図書館を運営する夫婦が、仕事に、生活に、山村と街を、あるいは彼岸と此岸を往復しながら綴った日記に、エッセイや草稿「研究ノオト」を収録した、日記帳第二弾。 https://www.habookstore.com/出版-publish/山學ノオト2-二〇二〇/

執筆者紹介

連載「山とレファレンスブック」
文/青木海青子


編集部から

青木海青子さんは、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャリブロ)の司書です。同館のキュレーターであり夫である青木真兵さんとともに、同館を運営しています。今回の連載は、海青子さん曰く「山で暮らす中で聞いた話に加えて、それを手がかりに本を紐解いてみる」もの。同館が東吉野村という山間地にあること、「レファレンス」という図書館の重要な役割。おふたりの著作『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)とともにご覧ください。「レファレンスブック」というと通常は辞典や図鑑等を指しますが、ここでは広く参考資料というニュアンスで使っています。

最終更新日:2021/10/12

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