奈良、旅もくらしも

【連載】奈良さんぽ「第7回 記憶の秒針」もりきあや


お日様が沈んでいくと、
西の稜線と朱雀門近くの白い穂、
東の若草山までが緋色に染まってた。
陽が途切れて紺色になったあたりには、
もう星が出ていて。
空いっぱいの、昼と夜のグラデーション。

ある休日、奈良市街に向かう車内で娘が言った。彼女は、毎日平城宮跡の中を帰る。話してくれたのは、日没後のまだ夕陽が残る中を、踏切待ちしている時の風景。同じ風景を一緒に見ているような気持ちになった。「いいところに住んでいるなぁ」としみじみ思う。風景の豊かさもそうだけれど、娘の口から一編の詩のような言葉たちを聞けたことがうれしかった。数年先、数十年先、ふとした瞬間に思い浮かぶのは、こんな日常の場面かもしれない。娘はその風景を。私は娘と話したこの時を。

さて今日は、興福寺五重塔の特別公開に赴くのが主な目的だ(※特別公開の前期は終了。後期は2022年3月1日〜3月31日)。しかし、奈良市街を私的にブラブラすること自体が、実は相当に久しぶり。近鉄奈良駅の行基菩薩の噴水を見ながら、大通りを少し登って行く。出店がチラホラ。奈良公園に着く。どうやら現実よりも、私の心理が余計に籠もってしまっていたらしい。控えめではあるけれど、賑わいを感じた。

退職をきっかけに西国三十三カ所の御朱印巡りを始めた母は、南円堂で御朱印をいただくために並んでいる。私と娘はしばらく待機。隣には、五重塔をバックに記念撮影をする人たち。代わる代わる、塔を手のひらに乗せているようなポーズをとって、撮影が終わるとマスクをつけて画面チェック。うふふと笑い合う様子を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。

拝観した後は、猿沢池から三条通りへ。時間が止まったような土産物店、母が嫁いだ頃からある老舗飲食店、人気の和菓子店。この日の私は、新しく整った店よりも、懐かしさに心が向いていた。東向き商店街に入ると、時間軸をさらに遡り、学生の頃に友と訪れた雑貨店、もう随分前に閉館した映画館が記憶の中によみがえった。

映画館の隣にあったちょっと不思議な喫茶店。十数年前、当時の私は何を思ったのか、地下への階段をゆっくりと下り、一人で店の扉を開けたのだった。それまで何度も店の前を通っていたけれど、踏み込むことができなかったのに。「コーヒーを注文すると、メザシが一緒に出てきたんよ」と娘に話す。「え〜!なんで?」と娘は顔をしかめるけれど、これが良く合ったのだから。掛け時計、置き時計、とにかく時計がいっぱいあって、店内に流れるジャズといろいろな音色の“カチコチ”に包まれていると、反対に時間を忘れた。今でもどこかに店があるのかもしれないと思えるくらい、ファンタジックだった。生きているうちに、またあんな店に出会えるだろうか。願わくば、もっと歳を重ねた頃に出会い、幾度となく通いたい。寡黙な店主が、「いらっしゃい」と、かすかに笑ってくれるくらいに。

ピアノ教室の送り迎えをしてくれていた父が、待ち時間を潰していたパチンコ屋がこの辺りにあったっけ。学生時代に通ったあの古本屋が閉店するんだって。この店は昔たこ焼き屋で、友人と一緒に食べたなぁ。笑いながら走り寄る父の靴音。年月の積もった本の匂いと頁をめくる音。いつも何気なく優しかった友人の声。

記憶というのは、おもしろい。思い出に残そうという気合いもなければ、引き出しにしまったつもりもないものが、ある時ふっと顔を出す。大切な人たちの、いつかの胸中に、ひょっこり顔を出した私は、どんなだろう。それを考えると、一緒にいられるうちに、目一杯素直に「あなたが大切だ」と伝えておかなくちゃと思うのだ。

夕陽が沈みきった後も、刻々と変化するグラデーションの上映は続く。この広い空をぼんやりと見ているだけでも、奈良は美しいと心底思える。

執筆者紹介

もりきあや
奈良市在住。ライター・編集者として活動する中で、地元である奈良の魅力に気づく。新聞の県版でコラムの連載、カルチャーセンターで奈良を案内しながら、さらにどっぷりはまっていく。この連載でさらに奈良が好きになる予感。著書に『おひとり奈良の旅』(光文社知恵の森文庫)。

最終更新日:2021/12/08

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