奈良、旅もくらしも

【連載】奈良さんぽ「第11回 帽子の中のはっぱ」もりきあや


秋に明るく咲く花、庭先のシュウメイギクが可憐だ。実家からひと株分けてもらい、2年前にキンカンの木の下に植えたのが、今年は元気に増え一目30ほどの蕾を付けている。一層冷え込んだ朝の光を受けて、花弁の白が一層輝く。深まる秋の入り口だ。

コロナの波が引き、娘の中学校では半日ではあるものの全学年の運動会が行われ、小学生の息子はバスに乗って遠足に行けた。「友達とお弁当を見せ合いっこできたの、2年ぶりだったよ」とうれしそう。ということは、今まで寂しさや物足りなさをどこかでずっと感じていたのだろう。いまだに保育園のことを懐かしむことがあるのも、友だちとの距離が近かったからだと思う。学校からは、まだチラチラと感染の知らせが携帯に届くけれど、落ち着きつつあることは、街の人を見ていても感じる。グーッと縮められたバネが、早く戻りたいと外に向けての力に変わっているような。その一方で、あんなに煩わしがっていたマスクを外すことに抵抗が生まれたりもしている。なんだか恥ずかしいのだと言う。

そして近頃の彼の心配は、戦争やミサイルのこと。すべて自分ごとに感じてしまうので、ニュースで映ることがやがて自分や家族にも降りかかると想像して、一時は食欲も落ちてしまった。休みの日も、動き回る私の後を常に付いてくる。離れることが心配で、不安なのだ。頭の中では、きっと悲しい場面が渦巻いている…。

子どもたちの想像力は、もっとワクワクする方へ向かわせてあげたい。だけど、見えないふりをするのは違う。私もちゃんと受け止め、一緒に考えて、手をつなぎながらたくさん話をしないと、と思う。


心の忙しさと体の疲れを感じていた金曜日の夜、「明日は晴れ」の予報を聞いて、無性にどこかへ出かけたくなった。そうだ、風に吹かれ、秋の花を見に行こうよ。ということで、あり合わせのおかずとおにぎりを用意して、馬見丘陵公園へ。

皆考えることは同じなようで、駐車場はいっぱい。見頃のダリアからは一番遠くの駐車場にやっと停め、園内をぐるりと散歩しつつ向かうことになった。この日は10月も半ばだというのに太陽はまだまだやる気満々で、気温はどんどん上昇。木陰を選んで歩いても、すぐに汗がにじんでくる。ナガレ山古墳に上がってみると、たくさんの人が見晴らしを楽しんでいた。ベンチとテーブルを見つけると、早めの昼食とした。こうして止まって眺めていると、人出が元に戻っていることを肌で感じる。荷物を軽くして、散歩再開。

色づいた桜の葉がハラハラと落ちている。きれいだねと話していたら、娘がかぶっていた帽子を脱いで、桜の木の下へ。不思議なもので、つかまえようと構えると、なぜか葉っぱが落ちてこない。風のいたづらか、桜のたわむれか。ゆらりゆらゆら遊ばれつつも4〜5枚を帽子に入れて、えへへと満足そうな娘。その顔を見られただけでも、来た甲斐があったというものだ。

コキアやコスモスを横目に、姉弟でどちらのドングリの方がピカピカか言い合ったり、暑いから帰りたいとしゃがみこんだり、ダリアにたどり着くころには全員汗だくになっていた。ダリアたちは大きさも色も形も実に様々で、その名前や佇まいから生み育てた人たちの愛情が垣間見える。一日一日が積み重なって、この子たちが大きくなり、やっと花を咲かせたのだと思うと、歩き疲れた私の背も少し伸びる。

来た道を戻り、涼をとって帰路につくことに。「お花見が終わったらアスレチックで遊ぶんだー」と意気込んでいた息子も、流石に歩き疲れたようで、「やっぱりもういい」と言ってアイスを頬張っている。秋というには少し暑すぎたけれど、緑の中を歩く心地よさを満喫させてもらった。日頃、お世話をしてくださっている方々に感謝、感謝。ありがとうございます。


執筆者紹介

もりきあや
奈良市在住。ライター・編集者として活動する中で、地元である奈良の魅力に気づく。新聞の県版でコラムの連載、カルチャーセンターで奈良を案内しながら、さらにどっぷりはまっていく。この連載でさらに奈良が好きになる予感。著書に『おひとり奈良の旅』(光文社知恵の森文庫)。

最終更新日:2022/10/21

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