奈良、旅もくらしも

【連載】山とレファレンスブック「第5回 峠を上るみち」青木 海青子

 東吉野村は奈良県の東に位置し、隣県の三重にほど近い山村です。川の水が澄んでいて、静かで美しいところです。私たちは2016年よりこの山村で暮らしてきました。山の暮らしの中でそれまで知らなかった習慣や行事、言葉、感覚に出会い、ワクワクして、誰かに話したくなりました。そんな訳でエッセイとして、暮らしの中で見聞きしたものを留めたり、調べてみたり出来たらと考えたのでした。

 「山とレファレンスブック」第1回で、村の北側の入口である佐倉峠の話を書きました。その時は、徒歩や乗合自動車、自転車といった峠を上る手段や、それを用いる人々に着目しましたが、今回はその道すじに光を当てようと思います。

 家人が消防団の集まりで、ひだる地蔵近くにある原っぱの草刈りをして来ました。

現在のひだる地蔵近く、看板とフェンスの向こうに広がるのは旧街道

「この原っぱは何なんでしょうか?」と消防団の方に尋ねたところ、「昔の峠の道はこっちやったんよ」とのこと。その後、50年ほど前に大阪から村に越したご夫婦にお話を伺ったら、「古い(峠の)道の方は、クネクネしとった。道がガタガタで車が跳ねそうやったけど、桜が綺麗やったよ」と。佐倉峠は、桜峠だったようです。そんなお話を受けて『東吉野の旧街道』を開くと、やはり新国道の東側にかつての峠を上る道があり、いま現在「自然と心のふれあい運動」と書かれた看板のある辺り、かつて「日の森茶屋」があった「日の森ぐち」に旧道の入り口があるとの記述が見られます。また、以下のように言及されます。

 この道路、特に、佐倉峠付近の開発は、東吉野の北の玄関口としての役割を果たすための大きな課題であった。また、この開発によって、東吉野が、上市を中心とする吉野経済圏から、宇陀・桜井経済圏に移行するきっかけとなった。
『東吉野の旧街道』 (東吉野村教育委員会, 1997)p.144より

現在の道の東側に残る旧道への入口。車で入ることはできない
『東吉野の旧街道』p.151掲載の「佐倉峠付近図」。昭和40年代の改修で無くなったS字に曲りくねる旧街道の道すじを伝える

 佐倉峠の開発がなければ、当館を「村の入口付近に位置する」とご紹介することはなかったし、宇陀方面が生活圏となっている現在もなかった訳です。その改修は元々、急勾配で、雨や凍結による崩落が激しい峠の道に悩んだ人々の願いを受けて、明治18年(1885年)に端を発しています。そこから明治29年(1896年)に起きた「明治の大洪水」の被害を受けて大改修が明治32年(1899年)、33年(1900年)に行われ、峠の頂上への曲がり道が「大曲り」と呼ばれるようになりました。その後この大曲りをさらに緩やかにする工事が、昭和6年(1931年)に完成したといいます。さてここで、「山とレファレンスブック」第1回でもご紹介した山添満昌『東吉野見聞録』に再び手を伸ばしてみましょう。

私たちの村に乗合自動車が走り出したのは、大正十年(一九二一)五月です。当時の松山町(宇陀市大宇陀)から鷲家口(小川)に開通しています。
山添満昌『東吉野見聞録』(東吉野村教育委員会, 1999)p.76より​​

 1921年というと、まだ「大曲り」が緩やかになる以前のことですから、佐倉峠の急勾配を上る際には皆で自動車を押したというのも頷ける話です。それからも災害等による復旧や、改修工事が繰り返し行われたということです。特に昭和34年(1959年)の伊勢湾台風では、頂上の切り通し部分が崩落して道路を塞ぎ、人々はしばらく明治初期のように山の頂上部を伝ったのだそうです。このようなエピソードからも、旧道や過去の人々の暮らしを知っておくことの大切さを痛感します。また、ひだる地蔵さんの岸壁部分も、崩落を起こしたのだとか。伊勢湾台風の被害については、また別の機会にもっと詳しくお伝えできたらと思います。

『東吉野の旧街道』p.146掲載のひだる地蔵。1997年当時の祠は、今より素朴な印象

 先述のご夫婦が、「昔は荷物の配送は、村までは来てくれんで、桜井の駅に留め置きやった。お中元で果物なんか貰うと、取りに行けんで腐ってしまうこともあったから、駅の人に電話して、「食べてしまって」って言うたりしとった」とお話くださいました。峠の道は村の暮らしをも便利に変え、私たちはそのおかげで村に移り住むことができました。けれど駅に留め置いた果物を皆で食べるような不便さに付随したのどかさに、どこか憧憬を覚えるのは私の無いものねだりでしょうか。

佐倉峠道改修事業完成記念碑。碑文全文は『東吉野の旧街道』に掲載。「…佐倉峠 古来、険峻羊腸物貨杜塞シ、…」の文言が印象的

\海青子さんが装画を手掛けた書籍が発行&刊行記念イベントが大阪と名古屋で開催されます/

『手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ』

青木真兵 著 定価:1,980円(本体1,800円)
注目の在野研究者・移住者・図書館主宰者による土着人類学宣言! 奈良の東吉野村で人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」を主宰する著者が、若手研究者たちとの対話を通じて、「土着の知性」の可能性を考える考察の記録。あたらしい人文知はここからはじまる。

【刊行記念イベント】
●2021/12/12(日) 内田樹×青木真兵 
『手づくりのアジール 「土着の知」が生まれるところ』刊行記念トークイベント なぜ「土着の知」が必要なのかーこれからのデモクラシーのために 梅田 蔦屋書店(大阪)
●2021/12/15(水) 柿内正午×青木真兵 
『手づくりのアジール』&『町でいちばんの素人』『会社員の哲学』刊行記念トークイベント:「読む生活・書く生活・喋る生活ー二人のデカメロン 2」青木真兵、柿内正午」ON READING(名古屋)

執筆者紹介

連載「山とレファレンスブック」
文/青木海青子


編集部から

青木海青子さんは、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャリブロ)の司書です。同館のキュレーターであり夫である青木真兵さんとともに、同館を運営しています。今回の連載は、海青子さん曰く「山で暮らす中で聞いた話に加えて、それを手がかりに本を紐解いてみる」もの。同館が東吉野村という山間地にあること、「レファレンス」という図書館の重要な役割。おふたりの著作『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)とともにご覧ください。「レファレンスブック」というと通常は辞典や図鑑等を指しますが、ここでは広く参考資料というニュアンスで使っています。

最終更新日:2021/12/12

TOPへ