奈良、旅もくらしも

【連載】山とレファレンスブック「第9回 私が思う奈良らしさ」青木 海青子

 東吉野村は奈良県の東に位置し、隣県の三重にほど近い山村です。川の水が澄んでいて、静かで美しいところです。私たちは2016年よりこの山村で暮らしてきました。山の暮らしの中でそれまで知らなかった習慣や行事、言葉、感覚に出会い、ワクワクして、誰かに話したくなりました。そんな訳でエッセイとして、暮らしの中で見聞きしたものを留めたり、調べてみたり出来たらと考えたのでした。

 近所の史跡「天誅組終焉の地」を掃除していたら、「ここは何があるんですか?」と男性に声を掛けられました。私は「ここは幕末の志士・天誅組の一員である吉村寅太郎さんが幕府軍に討ち取られ、一時埋葬された場所です。今は別の墓地に埋葬されています」とお答えしました。そうすると男性は「では、ここには何もないんですね」と応じました。

巨石が鎮座する天誅組終焉の地の史跡。吉村寅太郎は近くの川付近で討たれたのだそう

 また、こんなことがありました。史跡の掃除の後にルチャ・リブロを開館していたら、史跡見学のついでに寄ってくれたお客さんがありました。それでつい「史跡、掃除しておいてよかった〜」と言ったら、お客さんは「え?史跡はお姉さんがボランティアで掃除してるんですか?」と尋ねられました。

 この二つの出来事に感じることは、私が思う奈良の奈良らしさにどこか深いところで繋がっているように思っています。まず、1つ目の男性の件。私は「天誅組終焉の地」の史跡を何もない場所だとは考えていません。自分でも説明した通り、「幕末の志士・天誅組の一員である吉村寅太郎さんが幕府軍に討ち取られ、一時埋葬された場所」だと理解していますし、「ここで無念ながら討たれた人が居た」と思う村の人達が、この場所に碑を設け、大切に手入れしてきたことを伝え聞いているからです。遺体がない、という意味では何もないのかもしれませんが、私にはそうは思えません。ただ、ともすれば「何もないんですね」ということになってしまいそうになるのが、奈良の奈良らしいところなのかもしれないとも思います。上記のエピソードを読んで「いや、何かあるでしょう」と感じてもらえる方がいたとしたら、奈良の素敵なところってそういうところかもと耳打ちしたくなります。

 またお客さんが史跡の掃除を「ボランティア」と表現したことも、何となく根っこは同じところにあるような気がするのです。私達は特にボランティア精神で史跡の掃除をしているわけではありません。共同墓地の清掃に関しても、地区の方から「青木さんとこはお墓無いから、無理に参加せんでもええよ」と言っていただくのですが、それを言ったら共同墓地に一緒に眠っている天誅組志士だって、誰の親戚でもないわけです。けれど皆さん、志士のお墓も綺麗に掃除なさいます。無念ながら討たれた人が居たという歴史に思いを馳せ、静かに眠ってほしいと願ってのことだと思います。こういう場所が暮らしの中に当たり前に存在することに、私は日々驚き、喜びを覚えています。だからこそ、「ボランティア」ではなく暮らしの一環として、村の方々のやり方に倣って掃除をしています。暮らしの中でいくつもの時間を旅できるなんて、こんな楽しいことはないと思うからです。「何もない」と思うとそうかもしれないけど、目を凝らしてみるときっと見えてくる。それこそが、私が奈良らしいと思う奈良の魅力です。

【東吉野村役場『東吉野ガイド』(2010) p.100より】
鷲家地区にある共同墓地(湯ノ谷墓地)。旧高見村で戦死した藤本津之助はじめ、多くの志士が祀られている。同書には、「鷲家地区では古くから、地元の小学生によって「湯ノ谷墓地」と「吉村寅太郎原瘞処」の清掃活動が続けられてきた。」との記述も

執筆者紹介

連載「山とレファレンスブック」
文/青木海青子


編集部から

青木海青子さんは、人文系私設図書館Lucha Libro(ルチャリブロ)の司書です。同館のキュレーターであり夫である青木真兵さんとともに、同館を運営しています。今回の連載は、海青子さん曰く「山で暮らす中で聞いた話に加えて、それを手がかりに本を紐解いてみる」もの。同館が東吉野村という山間地にあること、「レファレンス」という図書館の重要な役割。おふたりの著作『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)とともにご覧ください。「レファレンスブック」というと通常は辞典や図鑑等を指しますが、ここでは広く参考資料というニュアンスで使っています。

最終更新日:2023/01/13

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