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【連載】佐保の山辺は 色づきにけり「第1回 過去を体験する−春日社夏越の大祓−」池田裕英

文/池田裕英

1年の半分が過ぎようとしている6月の晦日、各地の神社で夏越(なごし)の大祓式(おおはらえしき)という行事が行われます。大祓式は、日々の暮らしで知らず知らずのうちに身についた病や不幸の原因ともいわれる罪や穢れを祓い、これから迎える暑い夏を無事に乗り切れるよう願う神事です。

以前、奈良市の春日大社の夏越大祓式に参列させていただいたことがあります。参列した人々には、人を形どった白い紙が渡されます。そこに名前と生年月日を記し、念を込めながら自分の身体をその人形で左・右・左と三度なで、息を細く長く3回吹きかけた後に聖流水谷川に架かる橋の上から川面に向かって投げ入れます。

その際、人々は人形にいろんな想いを込めたことでしょう。神への感謝、世の中の平穏、病気の平癒や家族の健康などなど。私はこの時、奈良時代の人々も同じように願っていたんだろうな、と思い、なんだか奈良時代に居るような感覚をおぼえました。

水谷川の水面に浸る人形(2013 年6月筆者撮影)

平城京の発掘調査をしていると、井戸や溝、川といった水に関わる場所で薄板を人の形に加工した「人形(ひとがた)」という遺物を目にすることがあります。

木製の他、銅や鉄といった金属製のものもあり、大きさも 10cm 程度からなかには1mを超えるものもあって、素材や大きさはさまざまです。平城宮跡の壬生門前の堀からは 200 点以上もの人形が出土しています。平安時代の法律書である『法曹類林(ほうそうるいりん)』に引用された史料には、大祓を大伴(おおとも/※1)・壬生(みぶ)二門の前で行うとあり、壬生門前の例は奈良時代に大祓が行われたことを示すものと考えられています。

※大伴:平城宮の正門「朱雀門」は「大伴門」とも呼ばれていました

また、平城宮内の溝から出土した人形には裏面に「左目病作□今□日」と書かれたものがあり、右京二条三坊からは右脇腹あたりに木釘が打たれたものが見つかっていて、病の治療に関わるものとみられています。

朱雀大路西側溝 SD2600 出土の人形
独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所
『奈良文化財研究所紀要 2017 』2017 所収

平城京は「咲く花の匂うが如く」と詠われましたが、その一方で様々な問題を抱え、『続日本紀』や『正倉院文書』をみると、人々が飢えや衛生環境の悪かさらくる疫病、重い税や上昇する物価、過酷な労働に苦しむ様子がうかがえ、まるで現代の新聞を読んでいるかのようです。奈良時代の人々は、そういった苦しみから逃れたい一心で、人形に自らの想いを込め、水に流したのだと思われます。彼らは安らぎを何処に求めたのでしょう、現世か、それとも来世だったでしょうか。

人形、という遺物は何も語りませんが、大祓式に集う人々の姿をとおしてそれをみるとき、現代の私たちと変わらずさまざまな病気や不安、悩みをもちながら奈良時代を生きた人々の手振り言問いが見聞きできるような気がします。奈良を旅した際、またはお暮しの地域で一度そういった行事に参加されてみるのは如何でしょうか。そのとき、奈良時代を体験できると同時に、歴史はけっして過去のことではなく、現代を、そして自分を見つめることでもあると実感いただけると思います。

執筆者紹介

池田裕英 いけだひろひで

奈良県奈良市生まれ。奈良大学文化財学科を卒業後、奈良市教育委員会で遺跡の発掘調査に従事。現在は遺跡や庭園、動植物を統べた「記念物」の保存・活用を担当しています。幼稚園から就職先まで全て奈良市内で済みました。この小文が、みなさんが奈良を巡る際のしおりのようなものになれば幸いです。

最終更新日:2021/06/02

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