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五條の素晴らしさを料理を通して伝えたい インタビュー:五條源兵衛 料理長 中谷 曉人さん

 奈良県南西部、南和地域の中心都市として古くから栄えた五條市。江戸の風情が残る新町通りの一角、築250年の建物内にあるのが和食レストラン「五條 源兵衛」です。五條で育った多種多様な野菜で構成される料理は多くの人の心を捉え、2017年にはミシュラン一つ星を獲得しました。今回は、この店で料理長として腕をふるう中谷曉人さんにお話をお聞きします。料理の道に入ったきっかけや五條という場所で得たさまざまな出会い――。食を通して見える五條の魅力とはどんなものでしょうか。

江戸時代から栄える五條の町

 本日は、「五條 源兵衛」にようこそお越しくださいました。当店がある五條新町通りは、江戸時代から昭和にかけての商家が今も多く残る地域です。江戸時代には幕府の天領となり、大坂と紀伊を結ぶ交通の要衝として大いに栄えました。

 当店の建物も、築250年という歴史あるもの。取り壊しの危機にあったものを地元企業である「柿の葉すし本舗たなか」の創業者が保存のために買い取り、さらに地元有志で立ち上げた「株式会社あすも」が建物を借り受けて飲食店として運営しています。現在は僕が料理長と会社の代表取締役を務め、主に地元の野菜を中心とした料理をご提供しています。

 僕は五條の生まれではなく、隣町にあたる和歌山県橋本市というところで生まれ育ちました。橋本から電車で4駅という距離にも関わらず、五條に足を踏み入れたのは、料理人になってから。タイムスリップしたかのような古い町並みと、他にはない多種多様な野菜、そして町の歴史を守り続けるたくさんの人たち。源兵衛という店は、五條という町の魅力に支えられています。今日は、僕が五條で料理をするようになった理由や、ここ五條という場所の素晴らしさについて、お話できればと思います。

料理の世界に憧れて

 小学生の頃にはもう「料理人になりたい」と思っていました。両親が共働きだったこともあって、料理に抵抗がなかったんです。近くの川で釣った魚を捌いたり、スクランブルエッグなどの簡単な卵料理をつくったりすることは当たり前でした。それでもう、自分は料理ができるんだと思い込んだんです。幸せな勘違いですよ(笑)。

 同じころ、テレビでは『料理の鉄人』という番組が流行っていました。毎週、和食やフレンチ、中華などさまざまなジャンルの料理人が、その日のテーマとなる食材を使って料理の腕を競うというものです。料理人たちの素晴らしい技術や、華やかな演出に「こんな世界があるのか!」とすごくワクワクしましたね。なかでも、和食に憧れました。料理をする様子は華やかですが、出来上がったものは決して華美ではない。そこに痺れました。

 人より早く料亭に修行にでれば、早く技術が身に付くのではないかと思っていたんです。中学にも高校にも「行きたくない」と親に宣言するんですが、そのたびに「高校までは出ておきなさい」と諭されて。高校は自宅から近い橋本高校に通いました。そこはたまたま、ほとんどの生徒が大学受験をする進学校でした。「高校を出たら料亭で働きたい」という私の希望を聞いて担任の先生もびっくりしたと思います。
 
 橋本高校から直接料理の道に進んだという実績がなく、自分で修行先を探そうかと思っていた矢先、「奈良に働きながら通える短大があるよ」と先生が教えてくれました。調理師免許も取れるということでしたので、奈良調理短期大学校に通うことにしました。奈良とのご縁ができたのはこの時からです。

奈良の料亭での修行時代に気づいたこと

 短大では日本料理を専攻し、講師の方から紹介していただいた「西大和さえき」という料亭で働くことに。訓練生として料亭の寮に住まい、働きながら通学することになりました。高校までは家で料理をしていたと言っても、ほんのお手伝い程度。料理の基礎はさえきで学びました。

 当時の和食の世界では、最初の1年は包丁を持たせてもらえません。洗い物と、お客様をお迎えするところから修業がスタートし、盛合せの盛り付けなどをする八寸、魚の下処理や焼き物を担当する焼き場、刺身を担当する板場、そして最も大事な料理の味付けを担当する煮方(にかた)へと持ち場が上がっていきます。持ち場ごとの仕事を、時間をかけて順序よく理解できるというわけです。さえきでは焼き場までを担当することができました。

 さえきの親父さんからは、本当にさまざまなことを学びました。最も印象に残っているのが、僕の仕事を見て「それは料理じゃない、そんなことでは美味しいものは出されへんで」と言われたこと。段取りよく進めて、あとはお客様の前に出すだけというところまでしっかり準備していたのに、どこがダメなのかと戸惑いましたね。

 なぜ怒られたかというと、準備の段階で仕上げまでして完成させていたからです。下準備は必要ですが、美味しく食べていただくためには、仕上げは運ぶ直前にしなくてはなりません。そのことが、最初はわかっていなかった。当時の僕は、効率を重視するあまり大事なことを見落としていました。この経験は、今の僕の料理にも生きています。

念願の店長に。五條の割烹店で迎えた転機

 短大卒業後もしばらく西大和さえきで働き、その後、奈良県内や橋本市内のいくつかの店でお世話になりました。ある時、お店に納品に来られていた業者の方から、「五條で店長を探している人がいるよ」とお話をいただいたのが五條とのご縁の始まりです。五條市内に居抜き物件を持っているオーナーがいるので、そこで何かお店をやってみないかと。料理人であるからには自分の店を持ちたいと思っていましたので、二つ返事でお引き受けしました。

 オーナーと何度も話し合い、なんとか小さな割烹料理店をスタートしました。割烹と言っても、近所の方を相手にする居酒屋さんのようなものです。海のない場所なので、魚料理は地元の方に喜ばれました。パスタや焼鳥、だし巻きなど何でもやりましたよ。学生時代にフグ免許も取得していたので、季節になるとフグなんかも人気でした。

 幸い、お店にはたくさんの方に来ていただくことができました。地域の方としっかり繋がりを持つことで、さらなるお客様を呼び込める土地柄です。近隣の店に足を運んで、居合わせたお客さんにボトルを差し入れるといった営業活動も功を奏しました。五條のフリーマーケット・かげろう座に参加して主催者の方と知り合えたり、近隣の飲食店と五謝会というグループをつくるなど、地域の方とたくさんお会いできましたね。

 お店をオープンして4年ほど経ったある時、初めて来店されたお客様に「この店やめて、新しいプロジェクトやらへんか」と声をかけられたのが、源兵衛に関わることになったきっかけです。お店はそこそこ上手くいっていたのに、いきなり「店やめたら」ですから、それはもう驚きましたよ(笑)。当時、五條新町は文化庁から重要伝統的建造物群保存地区に選定されることが決まっていました。その中の建物の一つを改装し、おもてなしの拠点となる飲食店にするというプロジェクトが進んでいて、料理人を探しておられたんです。

 店は上手くいっているけど、このまま狭い地域で限られた人のための仕事を続けていては、かつて憧れた『料理の鉄人』のような舞台には立てない。番組は終了していましたが、子どもの頃の気持ちを思い出しながら、「料理人としてもっと違うことにチャレンジしてみてもいいのではないか」と考えました。今思えば、大きな転機でしたね。

五條の野菜との出会いと「源兵衛」誕生

 地元の有志が立ち上げた株式会社あすもに入社し、料理長を務めることになりました。まちおこしと言えば、NPO法人を思い浮かべる方が多いと思いますが、あえて営利団体がつくられたんです。普段は地元で建築やインフラ関係、酒造などさまざまな会社を経営している方が取締役となり、基本的には地元で全てが完結する仕組みづくりが行われていました。画期的な試みだったと思います。

 国や県からのバックアップもあり、建物の改修は古民家再生で数多くの実績があるアレックス・カーさんが監修。地元の工務店や建具店が工事を進め、大がかりなプロジェクトが進行していきました。店の屋号は、江戸時代にこの地域の庄屋を務めていた中屋源兵衛から名前をいただくことに。大正時代に建てられ、お医者さんが長く住まわれていた向いの日本家屋も宿泊施設「やなせ屋」として改修が行われました。

 ハード面の整備が進む一方で、業態やメニューなどのソフト面は紆余曲折の連続でした。地域の方からは、県外の方はもちろん、自分たちも集まって飲食できる場所がほしいという要望がありました。僕が割烹店でやっていたようなメニューを、そのままこちらでやればいいと。一方で、国や県は県外から五條に来るお客様のためのおもてなし拠点にしたい。「そのスタイルをその場所で、補助金を使ってやる価値はあるのか?」という見解でした。僕はちょっとした板挟み状態だったんです。

 メニューを考える中で決め手となったのは、地元の生産者さんとの出会いです。なかでも衝撃だったのは、年間400種もの野菜を育てる田中さんと、在来種を自然農法で育てる芳田さんのお2人。世の中にこんなに美味しいものがあったのかと、驚きました。少量多品種で育てられるため、他の地域にはなかなか出回らないものが多かったんです。経済的な指標だけでは測れない、豊かな町なんですよね。これこそ、五條でしか味わえないもの。ゆくゆくは肉類を出すにしても、最初の5年は野菜オンリーで頑張ろうと決めました。

 とはいえ、最初は「葉っぱしかでてこぉへん(出てこない)」「野菜だけではお腹いっぱいにならへん」とメンバーからの評判は散々で(笑)。奈良は特に食べ物に関しては保守的な地域ですから、ごちそうにはお刺身や肉が必須。いろんなメニューをズラッと並べる、いわゆる御膳スタイルが喜ばれます。地元の人にとって、新鮮な野菜なんて当たり前のものだという認識。「地産地消」という言葉もまだなく、野菜がこんなに喜ばれるものとは思ってもみなかったようです。

 プロジェクトメンバーは、それぞれの思惑があるものの「素晴らしい建物を、多くの人に喜んでもらえる場所にしたい」という意識は皆同じ。「テーブルを窮屈に詰め込むのではなく上質な家具を置きたい」という意見が一致してから「100席は難しい」という結論に至るのは自然なことでした。「席数を考えると、定食や居酒屋メニューでは採算が合わない」「近隣と同じような業態にしては先人を邪魔することになる、それは避けたい」「ならば、野菜オンリーで近隣とは違ったメニューにするのもいいのではないか」こんな風に、誰かの意見をただ否定するのではなく、ゴールを意識する話し合いが行われることで店の形が見えてきました。

 ようやくオープンした源兵衛ですが、古民家の導線に慣れず「1時間経っても料理がでてこない」とお客様から苦情をいただいたのは苦い思い出です…。箱膳にしていたものをコースに切り替えるなど、サービスに工夫を加えるうちに口コミが広がり、県外のお客様に来ていただけるようになりました。健康志向が高まってきたこともあり、野菜のコースはとても喜ばれるように。県外の若い世代を呼び込みたいと考えていた地元の方からも、野菜オンリーの料理を次第に理解してもらえるようになりました。

料理を通して伝えたいこと

 当店には献立がありません。テーブルごとに、あるいはお客様の状態に合わせて1人1人に違う料理を出すこともあります。普通の飲食店ならば、献立が先にあり、食材は献立に沿って調達するもの。ですが、僕は先に畑から野菜を集めて、そこから即興的に料理を考えます。農家さんにも野菜の種類や大きさを指定したりはしません。農家さん自身の意思でつくり、食べてもらいたいと思う大きさに育ててもらう。そこで味が変わってくるように思うんです。そうして集まった40種類ほどの野菜を、10皿のコースに仕立てます。

 どんな野菜があるか、ですか。イタリアの苦味野菜であるプンタレッラ、西洋のミニカボチャ・プッチーニなどは耳慣れないのではないでしょうか。在来種なら、瓜の一種であるペッチンもなかなか見る機会がないと思います。季節のものですと、春のタケノコはぜひ召し上がっていただきたいですね。名人が朝堀りしたものは、えぐみが全くなくて、忘れられない味ですよ。ホップの花も、季節のほんの短い間しか食べられない貴重な野菜です。

 お付き合いのある農家さんの畑には、時間が許す限り足を運びます。「今種を蒔いたよ」「もうすぐ食べごろになるよ」と教えてもらいながら、畑の様子を見ているんです。収穫した野菜は畑でまずかじります。口に入れた瞬間の甘味や苦味の力強さは感動的です。その時の味をお皿にそのまま載せるのが僕の役割です。

 野菜には、ひとつひとつ食卓に届くまでの壮大なストーリーがあります。なぜこの姿なのか、五條のどんな場所で育ったのか、なぜこの料理法にしたのか。季節の表情も含め、スタッフがご説明させていただきます。僕も調理場の作業が終わればなるべく店に立って、お客様にご説明しています。料理人として、作り手のストーリーを伝えたいという気持ちもありますし、何よりお客様が食事を楽しまれている様子を見るのが好きなんです。

「地域のつなぎ役」として五條の素晴らしさを世界に伝えたい

 数年前から株式会社あすもの代表取締役となり、併設のやなせ屋の運営にも携わるようになりました。この建物をつくられた医家さん、保存に尽力された地元の方、県や国の職員の皆さん、そして何より地域の生産者の方々がいなければ、今僕がここに立つこともなかったでしょう。僕は先人の残してくれたものや、地域の方がつくったもの、さまざまな人の力を集めて新しい形をつくる「地域のつなぎ役」でありたいと思っています。五條が数百年かけて作り上げてきた魅力を、500年、600年先に伝えていきたいですね。

 今後は、五條をはじめとする奈良南部の魅力をお伝えできるツアーを企画したいと思っています。五條新町通りから吉野、十津川は意外と近く、歴史や自然など見ごたえのあるスポットはたくさんあるんです。地元の特産品や、野菜や果物などの農家さんをご紹介しつつ、農家さんから持ち帰った野菜を当店で召し上がっていただく。こんな流れができたら、また新たな奈良の魅力を知っていただけえるのではないかと。さらには、店内のバックヤードを改造した加工場の増設も検討しています。採れたての野菜を、お客様が加工場で自分だけのおみやげを作れるようにしたいんです。コロナ禍で今はまだまだ旅行は厳しい時期ですし、理想の実現にはそうですね…10年くらいかかるかな。気の長い話ですが、数百年かけてこの場所をつくってこられたと考えると、目先のことばかりを追いかけてはいけないと身が引き締まります。

 地域の味を現地で味わい、それぞれの故郷に持ち帰っていただく。そうすることで、五條の魅力がやがて世界に広がっていけばと考えています。第二の故郷のように、気軽に通っていただけたら嬉しいです。

(インタビュー・構成: 油井やすこ 撮影:北尾篤司)

五條 源兵衛
住所:奈良県五條市本町2丁目5−17
営業時間:
 お昼の営業 11:00~12:30(1部)
       12:30~14:00(2部)
 夜の営業  17:30~20:30(完全予約制)
定休日:火曜日
駐車場:あり
Web:https://genbei.info

最終更新日:2021/06/25

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