奈良、旅もくらしも

【連載】わたしと奈良「第3回 奈良に住むまでの思い出話」谷規佐子

文/谷 規佐子

連載第2回では、奈良市内の中学校に通う3年間の、特に東大寺境内や奈良公園界隈での思い出話を綴りました。京都府の南の端っこの田舎から奈良市内に通学していた中学時代。1回だけでは書き尽くせないくらいの濃ゆ~い3年間の出来事をもう少し追加で、その後、高校・大学・社会人を経て、奈良倶楽部開業で奈良に住むまでの思い出を、記憶の底から掬いあげて、今回も書いていきます。

さて、中学も3年生になると、学校帰りにウロウロと商店街の方に足を向けることが多くなります。当時、奈良市役所は今の奈良市ならまちセンターのところにあり、その近くの餅飯殿センター街は賑やかで人通りの多い商店街でした。

その頃、ティーンルックやセブンティーンといった雑誌を読んでお洒落に興味を持った思春期真っ盛りの私は、男物ファッションの「VAN」などアイビールックが大好き。「VAN」も「JUN」もあった餅飯殿センター街でウインドウショッピングをして、三条通りにあった「駸々堂」や「南都書林」といった本屋を覘くのが寄り道の楽しみでした。
花芝商店街のベニヤ書店では、「星の王子さま」に夢中になって一気読み。今でもこの辺りに来ると「星の王子さま」を思い出してしまうから不思議なものです。

商店街といえば、学校への通学路となっていた船橋通りも、当時は油阪に近鉄の駅があったので、ここから船橋通りを抜けて通学する奈良高生、附中生で賑やかでした。寄り道するパン屋さんやお菓子屋さんなど覚えていますし、絵描きに憧れていた当時、船橋通りのアイボリー画材店で油絵の道具一式を買ってもらったことは、ペインティングオイルの匂いと共に懐かしく思い出されます。そのアイボリー画材店さんとは、奈良に来て絵を描くことを再開してからまたお付き合いが始まり、我が家の先代ワンコはアイボリーさんから譲り受けたのでした。

その他に、初めて一人で映画館に入ったのも中学生の時。中3の三者懇談の帰りに、本屋さんに寄って参考書を選びながら、母に「映画を一人で見て帰ってもいい?」と尋ねて許可をもらって観たのがダスティン・ホフマン主演の「卒業」。中3の高校受験前に「初めて一人で映画館に入る」という経験が、今はそれほど珍しいことではないかもしれませんが、当時の私にはとても勇気のいることで、友楽会館という映画館とともに忘れられない思い出です。

余談ですが、その母が一人で映画を見た最後が、今はホテル尾花の「尾花劇場」だったという話を、この連載を書き始めてから母と昔の思い出話をするようになって聞いたのです。結婚するまでは、銀行勤めの帰りに大阪・難波で週に一回は映画を見て帰ったという映画好きの母。新婚早々の昭和30年、淡島千景が大好きで「江島生島」がかかっていた尾花劇場へ、父が出張で留守の間に一人で観に出かけ、それがたまたま訪ねて来た姑にわかって、それ以来一人で映画を見に行くことが気まずくなったという話。

宿泊業繋がりで親しくしているホテル尾花さんと母とのちょっとした繋がりを聞いて、65年も昔のことながら、今もどこかで繋がることができる奈良に、アイボリー画材店さんとの繋がりもそうですが、代替わりしても続く奈良ならではのご縁を感じます。奈良は小さな町だけれど、住んでみてしばしば「深い町」と感じられるのも、そういったところにあるのではと思います。中学3年間はクラス替えなしで、同級生の住んでいる住所で奈良市以外の地名を知りました。御所と書いて「ごせ」、結崎、平群、安堵、櫟本、田原本・・・。奈良に住んで、これらの地名を目にするたびに、あの同級生はどうしているかなと思い出しています。

中学の校外学習で印象に残っているところが、春日野原生林の巨樹巨木巡りと、平城宮跡。実はどちらも風邪だったか高熱で欠席したのです。欠席したからこそ、校外学習のプリント冊子をよく読んで頭に残っているのかもしれませんが、奈良に住んでから家族で巨樹巨木巡りをしたり、平城宮跡に遊びに行った時は、その欠席した分を取り返したような気持ちで張り切ったものです。

そうそう、昨年、NHK奈良放送局が鍋屋町から奈良市役所の前に移転しましたが、鍋屋町にNHKが誕生したのは中学生の時。そのオープン記念にスタジオに遊びに行って、スティーブ・マックイーンのポスターをもらったのも思い出の一つです。

そんなこんなで、たっぷり奈良の空気の中で過ごした中学時代から、高校・大学は京都へ、そして大阪で就職して、結婚して東京へ。

自分の立ち位置が奈良から離れたことで、奈良に関しての思い出は少なくなっていきますが、高1の時に東向商店街のお店でアルバイトをした帰りに見た猿沢池の盆踊りや、大学4年の教育実習で再び母校に通った2週間や、卒論を、大学のある京都の図書館よりも近い奈良県立図書館で調べたりして毎日通っていたことや、結婚して東京で暮らしても里帰りの度に奈良市内のレストランへ食事に連れてもらったことなど、奈良にまつわる出来事はいくらでも楽しく思い出されます。

中学卒業後、高校・大学のある京都や、就職先の大阪で出会った友人達が、木津川市の自宅に遊びに来ると、じゃぁと案内するところは奈良ばかりでした。15~6歳から奈良を観光案内してきたことを、この連載を書いていて改めて思い出して、今は宿の女将として観光地奈良を案内する仕事をしていることに、これは私のライフワークなのではないかと思って喜びを感じています。

でも反対に、地元のことをよく知らないまま過ごしてきたので、今更ですが京都の南、山城の歴史についてもっと知らなければと思い始めています。

そして今思えば、こんなに楽しい思春期の3年間を奈良で過ごしたからこそ、宿泊業を始める時にどこでするかと候補地を考えたときに、自然に「奈良の地」が思い浮かんだのだと思うのです。奈良に呼ばれてとか、奈良のすごい吸引力とか、自分の強い意志などではないのですが、優しい土地柄で住みやすいことを、きっと肌で知っていたのだと思います。

奈良との有難いご縁がこうして始まるのですが、では実際に住んでみてそこでお商売をしてみて、どういう風に感じたのでしょうか・・・? 次回は住んでみての奈良について綴ってみようと思います。


執筆者紹介

連載「わたしと奈良」
文/谷規佐子

最終更新日:2021/09/28

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