奈良、旅もくらしも

「移住者だからこそ、旅人視点でお客様に寄り添える」奈良移住者インタビュー:ホテル尾花 蓑輪美恵さん【前編】

~なぜ奈良に? あの人の来寧記~

奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第3回となる今回インタビューしたのは、奈良市高畑町のホテル尾花に勤める蓑輪美恵さん。

蓑輪さんは千葉県から移住し、奈良に暮らして9年目になります。幼稚園教諭経験を活かし、奈良にやってきてからはホテルマンとして働いており、ホテル リガーレ春日野を経て、現在はホテル尾花に勤められています。

奈良まほろばソムリエ検定1級を取得するほど奈良の知識が豊富ですが、実は奈良について詳しく知ったのは移住後のことで、それまでは奈良には全く興味も関わりもなく暮らしていたそうです。蓑輪さんがどんなきっかけで奈良にやってきてホテルマンとなり、奈良をどのように知り、どんなところに魅力を感じているのか、お話を聞きました。前編・後編の2本立てでお届けします。


「向いている」と言われて関わり続けた、幼児教育の世界

千葉県船橋市で生まれ育った蓑輪さん。最初の仕事は幼稚園の先生で、その後も数回転職していますが、奈良に来るまでは一貫して千葉県内で幼児教育関係の仕事に携わり、「この頃の経験が現在のホテルの仕事の礎になっている」と語ります。

同じ業界で勤め続けた背景にはやはり「子どもが好き」といったモチベーションがあったのかと思いきや、意表を突く回答が飛び出します。

蓑輪:「やっぱり子どもが好きだからこの道を選んだって思いますよね。でも、実は全然そんなことなかったんです。

高校3年生の時、当時お付き合いしていた彼が『向いていると思う』って言ったんですよ。私は『自分はこれが好き!』『こうしたい!』というのがあまりなく、人に勧められたら『向いているのかも知れない』と思い込む癖があって(笑)。子どもが嫌いではないにしても、『好き!』『興味がある!』というほどでもないのに、高校卒業後は短大の幼児教育学科に進みました」

進学すると、周囲の学生は「子どもが好き」「幼児教育に興味がある」「昔からピアノを習っていた」という人だらけ。一方で蓑輪さんは、幼児教育への関心は他の学生ほど強くない上に、ピアノの経験もなく、絵や工作なども苦手で、泣きながら課題をこなす日々を過ごします。

蓑輪:「向いていると思って簡単に入ってしまったら、得意なことは何もなくて、気持ちが折れそうでしたね。でも、この道に進んだのだから、クリアしなければ!と思い、必死に勉強して。教育実習先の先生方にも支えられて、なんとか先生になれました」

短大卒業後は私立幼稚園に就職。子どもたちと一緒に過ごしてカリキュラムをサポートし、子どもたちが登園していない時間にはカリキュラムや行事などの準備を進めるという、常に園児たちの学びを支える毎日の中で、この仕事と自身の特性で合致する部分を見つけます。

蓑輪:「幼稚園の仕事は、子どもたちを後ろから支えてその能力を引き出す、いわばエンパワーメント。例えば、工作のための道具など素材は用意するけれど、それをどう使ってどう遊ぶかは園児たち自身に任せる、という風に。だから、私が『こうしてほしい!』『これをおすすめしたい!』などという強い我を持っていなかったことが、幼稚園という場ではむしろ良かったのでしょう。

ちなみに、高校時代は男子バレーボール部のマネージャーをしていて、自分がプレイヤーになるよりも、誰かが取り組んでいるのを支える方が本気になれるタイプでもあって、そういった面でも適性はあったのかなと。今となっては、高3の頃に彼に言われたことは、間違ってはいなかったんだなと思います」

私立幼稚園に5年勤めたのち、蓑輪さんは商業施設内の託児施設に転職。応募者の数はとても多かったそうですが、独自の視点や創意工夫をもって選考を通過します。

蓑輪:「当時、『井の中の蛙になっていないかい?』とアドバイスをくれた方がいました。幼稚園は小さな世界で、確かに外の世界のことは全く知らないなと思っていたところ、地元の有名な商業施設で託児施設のスタッフ募集があり、応募することにしたんです。

ただ、見様見真似で職務経歴書を書いたものの、『なんとつまらない!』と思ってしまって。そこで、幼稚園で撮った様々な写真でアルバムを作り、『こんな仕事をしてきました。今後はこういうことをしたいです』と書き添えて、履歴書などと一緒に送るという突拍子もないことをしたんですが、施設の方々は感銘を受けてくださったようで、選考を通りました。変わっているでしょう?(笑)」

その後も複数回、幼児教育関係の仕事に転職し、キャリアを重ねていった蓑輪さん。一貫して幼児教育に携わったのは、この業界に入った時と同じく、人の勧めがあったといいます。

蓑輪:「転職時に勧めてもらえるのは、やはり幼児教育関係の仕事が多く、向いていると言っていただけるのであればやってみようかなと。

一度その仕事に就いたら精いっぱい頑張りたくて、託児施設時代は異動で広報の仕事を任されたことを機に広報の学校に通いましたし、さらに転職して保育関係の仕事に就いた際には保育士の資格も取りました。『この仕事を与えられたら、ここまでできないと!』と、自分に高い目標を課すタイプなんです」

なお、蓑輪さんのこの特徴は、のちに奈良に移住した時にも大きく影響してくることになります。

唐突な移住の誘い。奈良とのご縁を感じる出来事も

蓑輪さんと奈良とのつながりができ始めたのは、幼稚園を辞め、幼児教育関係の仕事で経験を重ねていた2010年。元同僚の女性がきっかけでした。

蓑輪:「彼女は同じ会社で働いていた時だけでなく、お互いが転職しても会って近況を報告し合うような仲の知人でした。そんな彼女が『今、平城遷都1300年祭で奈良にめちゃめちゃ通っている。空がとても広くて、できたばかりの大極殿も素晴らしくて、奈良がすごく良い!』という話をしてきて。

当時、奈良に全く関心のなかった私は『へ~。そんなに好きなら住んだらいいのに!』と軽いノリで一緒になって盛り上がるだけでしたが、2012年に彼女がとうとう奈良に物件を見つけ、引っ越しの準備を始めた時、『その物件にもう1部屋、貸していただける部屋がありますけど、住みますか?』とお声がけいただいたんです」

蓑輪さんはその当時、奈良の地に足を踏み入れたことは一度もありませんでした。修学旅行で奈良に行った経験もなく、奈良に何があるのか、どんなお寺や仏像があるのかも知らない状態。学校の勉強でも歴史は特に苦手で、奈良の歴史も全くわからなかったそうですが、迷うことなくこの誘いを受けます。

蓑輪:「人から勧められたことを『いいかも』と思い込む癖がまた出てしまったようで、『これは良いきっかけやチャンスになりそうだな』と、すんなり受け入れました。

ちょうどこの頃に『関東でやりたいことはもうなさそう』と感じる出来事が重なっていたことや、紹介してもらった物件の条件も良かったこと、幼稚園教諭免許や保育士資格を持っていてどこでも働ける安心感もありましたね。また、今となっては奈良の皆さん、本当にごめんなさい……『奈良を拠点に、京都や大阪に遊びに行けるな』とも思っていました(苦笑)。

その後は、部屋の図面や写真を送ってもらうだけで、現地には一度も行かずに引っ越しの準備を進めました。既に人が住んでいて、ライフラインもしっかり整った場所なのだから、問題ないだろうと思って(笑)」

奈良への引っ越しを決め、それを周囲の人に伝えていくと、蓑輪さんと奈良とのご縁が急速に結ばれていくような不思議な出来事が続々と起こります。

蓑輪:「私が移住することを伝えるまでは一度も奈良の話をしたことがなかった方たちから、次々と奈良関係の話が飛び出してきたんです。

あるお友達は『阿修羅を見るのに7時間待ったことがあるの』と、お財布の中から東京国立博物館の阿修羅展のチケットを出して見せてくれて、『そんなに好きだったの!?』と衝撃でした。また別の友人は『日本の中で一番好きな場所は室生寺なの』と話してくれて、私は『室生寺ってどこ!?』という状態でしたがすごく驚きました(笑)。さらに他の友人二人からは、それぞれのご主人が奈良出身の方だと判明して。

極めつけは、私の退職に伴って仕事の引き継ぎで入って来た女性が、ものすごく奈良好きな方だったこと。奈良大学の通信で勉強したり、奈良まほろばソムリエ検定も取得したりするような奈良のベテランさんで、私がアジア料理好きだと知ると『奈良に行ったら、絶対にコムゴンさんに行ってくださいね』とお店の紹介までしてくれました。

母も『いつ行こうかしら』と遊びに来る気満々で。奈良への引っ越しは何の障壁もなく、何かに送り出されるようにしてスムーズに進んでいきました」

初めてのホテル勤めで、幼稚園の経験が活かされた

2013年2月、奈良に居を移した蓑輪さんはまず、見るもの・聞くものすべてが初めて尽くしの奈良で、生活を整えることに専念します。

蓑輪:「『衣料品を買うなら大和西大寺まで行くと良いな』など、この土地での生活のスタイルを吸収しながら、仕事を探していました。しかし、『資格があるからどこかで働けるだろう』という予想に反して、1か月間仕事が決まらず、焦っていました。

幼児教育関係の経験が活かせそうなところに応募してみたものの、どこも書類が通らなくて。『この人は奈良に引っ越してきて、何をしたいのだろう』と思われたのかも知れません」

そんな中、出合ったのが奈良市法蓮町にあるホテル リガーレ春日野の求人でした。

蓑輪:「面接では『奈良の観光の知識はありますか?』と聞かれ、『ありませんが、頑張ります』と熱意を伝え、採用していただけました。ホテル勤務は未経験でしたが、人に接するという面で、ホテルの仕事には幼稚園の経験に通ずるものがあり、接客はそれほど苦労せずに新しい環境に入っていけました」

この他にも、幼稚園の経験がホテルの仕事に活かされた場面は予想外に多かったといいます。

蓑輪:「幼稚園に勤めていた時には、園児だけでなく、園児の兄弟姉妹の名前も全員覚えて接していました。これは全員覚えなさいと言われていたわけではなく、子どもたちから家族の話を聞いたり紹介してもらったり、日々のコミュニケーションの中で自然と覚えていったものです。先生は大勢の園児を見ていますが、園児とその家族は先生一人をよく覚えていますので、『園児(とその家族)と先生』ではなく『人と人』として接しようと思っていたんです。

それはホテルでも同じで、スタッフは何百・何千というお客様と接しますが、お客様は私一人をよく覚えていらっしゃいます。ホテルでも『お客様とスタッフ』ではなく『人と人』の意識で接することで、一度お会いしたお客様の顔やお名前、お話したことなどをしっかりと記憶して、お客様お一人おひとりと丁寧に接することができました」

蓑輪:「また、幼稚園では仕事のスケジュールの中にクリスマスや節分といった季節の行事が当たり前に組み込まれていましたので、ホテルでも暦を意識したおもてなしが自然とできたことも良かったですね」

想定していなかった異業種への転職ながら、これまでの経験を活かして、新天地・奈良で活躍し始めた蓑輪さん。しかし、奈良のホテルマンとして、避けては通れない大きな問題がまだあったのです。それは、奈良に関する知識が全くなかったことでした……!

後編に続きます。後編では、蓑輪さんが猛勉強して奈良の深みにハマり、奈良の魅力に気づいていくエピソードをお届けします。

(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)

ホテル尾花
https://obana.nara.jp/

最終更新日:2022/04/18

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