奈良、旅もくらしも

「移住者だからこそ、旅人視点でお客様に寄り添える」奈良移住者インタビュー:ホテル尾花 蓑輪美恵さん【後編】

~なぜ奈良に? あの人の来寧記~

奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いを伺う企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第3回は、奈良市高畑町のホテル尾花に勤める蓑輪美恵さん。前編記事では、蓑輪さんが奈良にやってくる前の生活や、突然の移住の誘い、奈良のホテルマンへの転身などのお話を伺いました。

後編となるこの記事では、蓑輪さんが奈良の歴史や文化を猛勉強して奈良の深みを知り、その魅力に気づいていくエピソードをお聞きします。

知識ゼロから勉強スタート。お客様との交流で奈良の深みにハマる

奈良に移住し、ホテルに勤め始めた当時の蓑輪さんは、奈良に関する知識が全くと言っていいほどない状態だったといいます。

蓑輪:「奈良の地名からわかりませんでしたね。ホテルの宴会場の名前だった『畝傍』が読めませんでしたし、お客様と連絡を交わす中でも知らない地名がどんどん出てきて、『帯解ってどんな字?』『真美ヶ丘ってところがあるんだ』と、新しい情報を日々吸収していました」

そんな折、これまで幼児教育に携わる中で多くの場面で現れてきた、蓑輪さんのパワフルさが発揮されます。

蓑輪:「ここでも『この仕事を与えられたら、この道に進んだのならば、ここまでできなければ!』と考え、奈良の歴史や文化の勉強を始めました。職場の人に勉強してと言われたわけではなく、『フロントカウンターに立つにあたって、奈良の知識を持っていないとまずいのでは』と思い、自主的に取り組み始めたんです」

蓑輪:「まずは奈良の地域史の本を読み、ノートに書き写してまとめました。本は好きですし、新しいことを学ぶのは面白かったです。ただ、『覚えなきゃ!』と必死でもありました。春日大社の4柱の神様も、今では当たり前にそらんじられますが、当時は全く頭に入ってこなくて。

机に向かう勉強だけでなく、現地にも足を運ぶようにしました。地元にいた頃、本好きの私に『本で知ったことは知ったことの半分にしかならない』と助言をくださった方がいて、その言葉を思い出してリアルな体験も大事にしようと思い、社寺など学んだ場所にはどんどん出かけるようにしました。

特に東大寺・春日大社・興福寺はたくさん歩きましたね。すると、『ささやきの小径って何だ!?』『ここを行くと新薬師寺に行くんだ!』など、新たな疑問が湧いたり発見があったりして、さらに学びが深まっていきました」

仕事以外のほとんどの時間を勉強に費やした蓑輪さん。そういった自主的な勉強だけでなく、ホテルのお客様とのやり取りからも多くの学びがあったそうです。

蓑輪:「お客様が質問してくださったことにどこまで答えられたかを振り返り、弱かった部分があればそこを強化できるように改めて勉強するなど、お客様に育てていただいていると感じる場面が多くありました。

当時、奈良まほろばソムリエ検定2級を受けたのですが、それもお客様からお話を伺っていてわからないことが出てきた際に、それは知っていないと恥ずかしいことなのか、『勉強不足で申し訳ありません。教えていただけますか』と言って良いものなのか、という物差しが欲しくて受けたんです。

こうした積み重ねの中で、徐々にお客様のお話に共感できるようになっていきました。お客様が奈良を訪れた感動を、学んだ知識をベースに理解できるようになり、『皆様が好きな奈良』がわかり、多種多様な奈良の魅力を知ることにつながりました。奈良は知れば知るほど奥深いと感じ、私自身も奈良の深みにハマっていきましたね」

ノイローゼ気味になるほどのさらなる猛勉強。奈良の歴史がのちに心の支えに

移住して3年が経った2016年。蓑輪さんはホテルサンルート奈良(現在のホテル尾花)に転職します。きっかけは、同ホテルの中野社長との出会いでした。

蓑輪:「市民講座の『奈良ひとまち大学』の授業に参加して中野社長と出会い、なら国際映画祭のボランティアに誘われ、お手伝いしていたところ、当時のホテルサンルート奈良で働かないかとお誘いをいただきました。

お声がけいただいた時は、ありがたいという気持ちがありながらも、『ハードルが高くて無理そう』とも思ってしまいました(苦笑)。その時は観光の中心地から離れた落ち着いた場所で働いていましたので、観光地のど真ん中である高畑町での勤務は難しそうと感じてしまって。

ただ、この時も人からの勧めを受け入れる癖がいつも通り出まして(笑)。『きっとそういうチャンスなのかな』『これが今の自分に課せられていることなのかな』とすぐに思い直し、お役に立てるのであればやってみようと、お誘いを受けることにしました」

ホテルサンルート奈良への転職のオファーを受けた頃、ちょうど奈良まほろばソムリエ検定1級の試験が重なるタイミングでもあり、蓑輪さんは1級の合格を目指します。

蓑輪:「『転職するなら1級まで取得してからでないと!』って思っていました。別に合格しなくても雇ってもらえますし、1級がないと勤められないなんてことは全くなかったんですが、仕事を与えられた際に自分に厳しい目標を課す性質がこの時も出てしまって。『せっかくお誘いいただいたのだから、1級まで取ってお役に立ちたい!』と、自分を追い込む日々が始まりました。

天皇の系譜やお寺の伽藍配置を家中に張り出して覚えたり、過去問題を解き続けたり。この時、あまりに自分を追い込みすぎて、ノイローゼ気味になってしまいましたね。

それまでやってきた、本を読んでノートにまとめて現地を歩いて、といった勉強は楽しいものでしたが、試験勉強となると知識を詰め込まなければならないプレッシャーがあり、やはり辛いものがあって。いつも検定のテキストを開いていないと不安で泣き出しそうな状態でした」

蓑輪:「1級の試験当日は、会場で号泣するかと思いました。自信のない問題はあとで見直そうと、取り敢えずどんどん解き進めていったら、自信の持てない問題が30~40問続いてしまって絶望しました。

また、奈良まほろばソムリエ検定は、試験開始から一定時間が経つと途中退席が可能になるんですが、私が自信の持てない問題を前に苦闘している横で、続々と他の受験者が帰っていくんです。『うわ~!みんな帰っていく!』と取り残されたような気持ちになってさらにプレッシャーがかかり、『もうダメだな……』と思いましたが、この時はなんとか奇跡的に合格できました!」

ホテル リガーレ春日野に勤めた3年間は、仕事の傍らで勉強を続ける日々を過ごしていた蓑輪さん。この1級合格を節目に、自身を追い込むように奈良のことをひたすら学ぶ生活はひと区切りしましたが、この頃までの学びは仕事に活かせるのみならず、蓑輪さんの精神的な支えにもなっていると語ります。

蓑輪:「私は、職務経歴書がうまく書けないからとアルバムを作ってしまうなど、ちょっと変わっているところも多いです。でも、奈良の歴史を勉強したら、大陸から渡ってきた文化を自分たちなりにアレンジした古代の人たちのことを知り、『日本人ってそういうタイプだったんだ』『私、すごく日本人らしかったんだ!』と、自信を持てました。

また、奈良は色んな文化が混ざり合うシルクロードの終着点として、外から入ってきたものを受け入れる土壌が昔からあったからこそ、他県からやってきた私のことも受け入れていただけて、今日まで過ごしてこられたのではとも思いました。

コロナ禍が始まった時も、不安でいっぱいでしたが、これまでも様々な時代で『この先、どうなるだろうか』と不安を抱きながら猿沢池から同じ空を見上げ、苦難を乗り越えてきた人がきっといただろうと、奈良に生きてきた先人たちのことを思いました。奈良はそうした先人たちの時代と地続きにつながっている土地であることにも思いを馳せ、心の支えになりました」

移住者だからできる旅人への共感。旅行者も奈良の魅力の一つ

現在、ホテル尾花で日々多くのお客様を迎える蓑輪さん。これまで積み重ねてきた奈良の知識を活かすだけでなく、「外から来た人」「異業種の経験がある人」だからこそできる接客も意識しているそうです。

蓑輪:「私は他県から来た人間なので、旅する人の感覚や感動もわかります。『電車に乗って、どの辺りで奈良に来た感じがしますか?』『近鉄の車窓に大極殿が見える瞬間、良いですよね!』など、旅行者目線でのお話もできます。

そうしてお客様と気持ちを通わせられると、『奈良でどんな体験がしたいのか』というお客様の思いをキャッチしやすくなります。景色の写真を撮りたい、おいしいパン屋さんに行きたいなど、お客様の気持ちに寄り添って旅の提案ができるんです」

蓑輪:「このようなお客様とのやり取りにも、幼稚園勤務時代に培ったエンパワーメントの経験が活かせていると感じます。これはつまり、お客様の思いを実現するために情報など必要なものは用意しますが、何を選ぶかはお客様自身にお任せする、自分はあくまで旅のサポートをする者だという姿勢です。

幼稚園だけでなくホテルにおいても、『私はこれをおすすめしたい!』と自分を強く持っておらず、人を支える方が性に合うという性質が功を奏しているのか、提案したことをお客様に選んでもらい、楽しんでいただける機会は多いです。お役に立てて嬉しく思います」

たくさんのお客様と接する中で、蓑輪さんは歴史や文化とはまた違う奈良の魅力に気づきます。

蓑輪:「奈良を旅する人たちは、めちゃくちゃポジティブなんです。

例えば、吉野に出かけたあるお客様は、帰りのバスを逃したものの、駆け込んだお店でタクシーを呼んでもらい、タクシーが到着するまでの間にお店で貴重な物を見せてもらったという体験をすごく嬉しそうに語ってくださいました。

東大寺修二会の期間中だった今年の3月12日も、『今年は12日にはお松明は見られないんです』と、知らずにいらっしゃった多くのお客様にご案内しましたが、憤慨や後悔などする方は全然いらっしゃらなくて、皆さん、『来年はいつ来たらいいかしら?』などと言ってくださって。

何かアクシデントがあった時にも気持ちを切り替えてプラスの面を見たり、ネガティブを吹き飛ばすような楽しいエピソードを語ってくださったりするお客様ばかりなんです。奈良は歴史や文化はもちろん、そこを旅する方々もまたキラキラと輝いていて魅力的だなと感じています」

最後に、これから奈良でどのように暮らしていきたいかを伺いました。

蓑輪:「今後もいただくご縁を大切にしていきたいです。そうして人と出会ったり、ご紹介をいただいたりということは誰にでもあると思うんですが、私の場合はそれをものすごく大事にする傾向にあり、その結果、奈良に辿り着いて、とても幸せに暮らすことができています。

アウェイな場に飛び込むことにあまり迷わないので、奈良に暮らしてからもあちこちに顔を出させてもらっていますが、これまでは奈良の人たちの『外からやってきたものを受け入れる』ところに守られて、そのように暮らしてこられたのだと思います。

図々しいかも知れませんが、これからも可能な限り、そんな奈良の方々に甘えさせていただき、もっと関わりを深めていけたらと思っています」

関わる多くの人からもらった数々の助言や提案。蓑輪さんはそうしたご縁を迷いなく受け入れて大切にする中で、いつしか奈良とつながり、今日の奈良観光を支える人になりました。

取材時も、可愛らしい鹿の折り紙を作って温かく迎えてくださり、人との関わりや人の気持ちに寄り添うことをとりわけ大事にしてきた方なのだと、お話の内容と合わせてしみじみと感じました。そのように他者に温かな眼差しを向ける方だからこそ、奈良の魅力を問われた時、奈良の地を行き交ってきた古今の様々な人々を挙げられたのでしょう。

蓑輪さんがお客様の気持ちを受け止めて旅をサポートし、旅行者の方が奈良を満喫する――これからも奈良にそんな光景があふれるのを想像して、ほっこりとした気持ちになったインタビューでした。

(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)

ホテル尾花
https://obana.nara.jp/

最終更新日:2022/04/18

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