~なぜ奈良に? あの人の来寧記~
奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第4回となる今回インタビューしたのは、毎日新聞大阪本社で学芸部専門記者を務め、奈良をはじめ関西圏の宗教界や文化財を主に取材している花澤茂人さん。
花澤さんは、毎日新聞社への新卒入社を機に首都圏から奈良に移住。初任地である奈良支局で多くの寺社取材を担う中で、奈良が持つある魅力に気づきます。そんな奈良とのつながりはのちに、苦悩の中にいた花澤さんを救い、心の支えとなっていきました。
花澤さんがご家族と暮らすならまちの古民家にお邪魔し、さまざまな経験の中で見出した奈良の良さについてお話いただきました。
空気感が心地良く好きになった奈良。ご縁あって初任地に
花澤さんの出身は千葉県千葉市。寺社などにはほとんど関心を持たず少年時代を過ごしたそうですが、社会人になるまでの間に徐々に奈良との関わりができていきました。
花澤:「初めて奈良に行ったのは、中学3年生の時の修学旅行でした。奈良に1泊、京都に2泊で、滞在時間は奈良の方が短かったにも関わらず、町の空気感がなんとなくいいなと思ったり、唐招提寺の千手観音さんに強烈なインパクトを受けたりと、楽しくて強く印象に残ったのは奈良だったんです」
その後、大学生になると、京都の友人を訪ねたり、大学の友だちと夜行バス旅をしたりと、よく京都・奈良に足を運ぶようになった花澤さん。当時は「京都より奈良が好き」という意識はまだあまりなかったものの、中学時代にも感じた「なんとなくいい」の感覚を再び奈良で体感していたようです。
花澤:「京都ももちろん歴史ある町ですが、基本的には新しい町なのだなと思いました。一方、奈良は町全体が昔のままという印象を受け、そんな町の空気がなんとなく体に合って心地良いと思っていました。
特に感動したのが、仏像のいる空間の空気感。奈良のお寺のお堂に入った時、あまり手が加えられていない“ありのまま感”や、時間が昔のまま止まっているようで現代にいる感じがしない感覚がすごくいいなと思っていましたね。何回か通ううちに、仏像や寺社への興味は増していきました」
就職活動の時期を迎えると、最終的にこの「仏像好き」という自身の特性を軸に、ご縁のある会社を探していきました。
花澤:「企業の利益を追い求めて働くという在り方が自分には合わないと思っていて、大学院に行くなど勉強し続ける道も一時は考えていました。そんな時、ゼミの友人が新聞記者を志望していると知って。今となっては青臭いなと思うのですが、『新聞記者なら企業の利益だけでなく、社会正義やより良い世の中をつくるためにも働けるかも知れない。ずっと勉強も続けられそうだ』と考え、マスコミ志望で就活を始めました。
会社と自分との接点を探って模索を重ねた末、新聞に文化財の報道がある点に着目しました。ちょうどその頃、高松塚古墳の壁画保存の問題が話題になっていた時期で、自身が仏像好きであることや、文化財を守り伝えていく報道に携わりたいという思いを伝え、毎日新聞社に採用していただきました。
初任地希望調査には奈良と京都を書いていたんですが、その希望が通りまして、最初の赴任先はなんと奈良に!新入社員が集められて辞令を交付される場で『花澤茂人。奈良支局』と言われて、思わず『よっしゃ!』とガッツポーズしましたね!奈良に住めることが本当に嬉しかったです」
取材を通して感じた、奈良で大切にされているもの
2005年、花澤さんは毎日新聞社に入社し、初任地である奈良に引っ越して新生活をスタート。新聞記者として奈良の町を忙しく奔走する日々が始まりました。
朝も夜もほとんど関係なく取材で駆け回り、地域の事件やスポーツ、行政など、さまざまな担当を経験して新聞記者としての基礎を固め、3年目で念願の文化担当に。花澤さんは自身の関心をフルに活かし、奈良の寺社や文化財などの取材にありったけの熱量を込めて取り組んでいきます。
花澤:「春日大社の春日若宮おん祭や、興福寺の法要、東大寺の大仏さまのお身拭いなど、寺社の色々な行事に参加させていただいて、その体験を伝える『やってみた』系の記事を多く書かせてもらいました。
とにかく寺社が大好きなので、取材の時は有名人に会いに行くような感覚で。初めて興福寺の取材に行った時も『憧れのあの興福寺のお坊さんに会える!』とものすごくドキドキしていました。そうした『ただ会社に言われたからではなく、大きな関心を持って取材に臨んでいる』姿勢が寺社の方々にも伝わったのか、新たな取材の機会をいただくなど、寺社との関係はだんだんと深まっていきました」
そんな花澤さんがさまざまな取材に赴く中で、とりわけ印象的だったと語るのは東大寺修二会(お水取り)です。
花澤:「お水取りは取材を通して知れば知るほど、『ここに生きている本物があった』という感覚になりました。寺社の行事は昔からずっと続いているといわれるものでも、どこかで断絶していることもありますが、お水取りは連綿と続いてきたことをすごく感じたんです。
例えば声明(しょうみょう)は、長い年月をかけて練られた末に今の形になったことがすごくよくわかります。また、意味がよくわからなくとも伝わってきているから続けている、という動作などもたくさんあります。そうした“本物感”に惹かれて、たくさんの寺社を取材させていただいた中でも、お水取りに特に大きな関心を抱くようになりました」
東大寺修二会をはじめ、奈良の寺社に関わる多くの取材をする中で、花澤さんはある気づきを得ます。
花澤:「たくさんの信仰や祈りの場に関わらせていただいて、奈良の『目に見えないものをとても大切にする』という面に気づきました。神仏への祈りは数字で表せるような合理的なものではなく、自分の財産が増えるなど目に見える成果を必ず生むわけではありません。それでも、奈良では目に見えないものが日常的に大切にされていて、地元の方も寺社の行事に当たり前に参加するなどしています。そんなところがとても魅力的に映り、奈良のことがもっと好きになっていきました」
軸足をもう一つ持ちたくて得度。仏教が新たな世界を見せてくれた
奈良支局の文化担当として活躍していた花澤さんですが、2011年、京都支局に異動となります。
花澤:「もちろん奈良から離れたくはありませんでしたが、異動しなければならないこともわかっていたので。京都の宗教界も取材したかったですし、いつでもお水取りに帰ってこられる場所をと考え、『奈良以外なら京都しかない』と出した異動希望が通り、京都支局員になりました」
京都に引っ越した花澤さんは、地域の事件などの取材を担う記者として新天地での仕事を始めますが、2年目に京都府警担当となって早々に凄惨な事件に直面します。
花澤:「担当になって10日ほどで祇園の軽ワゴン車暴走事故があり、さらにその11日後には亀岡市でも車の暴走事故が発生しまして、私は事故現場や被害者周辺の取材を多く担当しました。今でこそ事件事故の被害者への取材はできるだけご負担をかけないようにと配慮して行う体制ができてきていますが、当時はまだ各社の記者が一人ずつ被害者の家にピンポンを押すような状況で。そのような中、遺族の方にお話を聞かせていただくこともありました。
その後、事件担当を外れてからも大きな事件事故が頻発して、度々取材に駆り出されました。真夏に足を棒のようにしながら、『亡くなった子の写真を持っていませんか』と被害者の家の近所を聞いて回ったことも……。
第二の事件事故が起こらないように、できるだけ核心に迫る報道をすることが大切だと頭では理解していましたが、一方で、『私には、こんなに苦しんでいる人たちにここまでして取材する資格があるのか?』と自問自答することもありました。被害者の辛い思いに触れる機会も多かったというのもあり、この頃は心を無にして仕事をするような感じで、精神的にかなりしんどかったです」
花澤さんは仕事へのモチベーションを徐々に失っていきましたが、そんな時、脳裏に浮かんだのが「得度すること」でした。
花澤:「メディア界の価値観の中だけで生きていると、自分の中で何かが歪んでしまいそうと感じました。その価値観が合う人はもちろんそれでいいのですが、自分にはこの世界の中だけで生きるのはしんどくて。もう一つの軸足を持ちたいと考え、少し前に同業他社の友人が得度していたことに影響を受けて、得度することを思い至りました。
そこで、お水取りの取材で知り合って尊敬していた東大寺の上司永照(かみつかさえいしょう)さんに相談し、2泊3日の講習会を経て得度したんです」
講習会では仏教や東大寺の基礎知識、僧侶としての心構えなどの講義ののち、儀式が行われて得度に至ります。花澤さんはその後も、得度した人に向けた講習会に定期的に参加し、毎朝自宅でも僧侶の服を着てお経や線香をあげる生活を実践し、仏教の学びを重ねていきました。
花澤:「学び続ける中でとりわけ大きな気づきとなったのは、東大寺の橋村公英(こうえい)さんのお話でした。『仏教者は物見の塔にのぼって、自分の姿を見下ろすことが大切』だと。これは、自分が今の感情の中だけに捉われていることを、外から客観視することが大事だという意味です。
例えば、何かに腹を立てている時に『あぁ、自分は今、怒っているんだな』と外から眺め、なぜ怒っているのかと冷静に考えると、一時の感情に捉われず、心を落ち着けることができます。仏教で特に良くないとされているのは“偏る”ことなので、何事も行きすぎないようにする視点が大切なんですね。
このように仏教を学び、さまざまな新しい視点を得られたことで、精神的に追い詰められそうになった時、気持ちが落ち込みきらないうちに自分を違う世界にずらし、辛い思いから抜け出ることができるようになっていきました。道がないと思ったところにも視点を変えれば道はあり、どんなことがあってもきっと乗り越えていけると、心を強く持てるようになりました」
目に見えない祈りが暮らしを包み込む奈良
2015年、大阪本社の学芸部に異動となった花澤さんは、ほどなくして再び奈良に住まうようになりました。最近ではならまちにある築100年の古民家をリフォームして家族で住み始め、腰を落ち着けた暮らしを営んでいます。記者としては現在、寺社を主に取材しているため、奈良が取材地になることも多いそうで、奈良とのつながりは日々深まっているようです。
花澤:「奈良はホームタウンという感覚があり、奈良での取材は安心感がありますね。初めてお会いする方を取材しても、共通の知人がいることも多く、つながりを感じられるのも嬉しいです」
奈良との関わりは記者の仕事以外にも広がりを見せています。奈良支局時代の知人から寺社の行事に声をかけてもらったり、ならまちの御霊神社の氏子として同社の例大祭の実行委員をしたりと、奈良の信仰に深く関わる暮らしを送っているそう。そんな日々から改めて感じるのは、奈良支局員の頃から体感していた、奈良に満ちる祈りの空気でした。
花澤:「やはり奈良の良さは、町の人が目に見えないものを大切にし、祈りが自然に生活に溶け込んでいることだと思います。
私たちは日々、何かを選択する際に、経済的な利益や時間的な効率など何らかの基準をもって判断しますが、奈良ではそのような場面で神仏への祈りや先人たちの思いなど、目に見えないものを大切にする比重が大きいと感じています。
こうした奈良の在り方は、合理性が重んじられる世界だけで生きることが苦しいと思っていた私に、新しい世界を示してくれました。そして私は、仏教というもう一つの軸足を得て、人生が豊かになったんです」
奈良で数多くの祈りの場面、とりわけ仏教やお寺と深く関わってきた花澤さんの経験は、より多くの人と仏教をつなぐ場へと昇華されています。
花澤:「2020年、『つなぐ寺』という毎日新聞社のプロジェクトが私を中心にして始まりました。これは、ポータルサイトを通じて、法話などの動画を配信している僧侶たちを紹介し、悩みを抱える人とお寺をつなぐというものです。
このプロジェクトの発足は、奈良の祈りの世界に触れてきた私の経験がきっかけの一つとなりました。『関心はあるけど、踏み込めていない』人とお寺をつなぎ、目に見えない世界が自分を見つめ直す機会になると伝えられたらと思っています」
花澤さんが新聞記者として一人の市民として奈良に関わる中で見出していった町の魅力。それが、「祈りや目に見えない世界と共に在る」ことでした。
現代日本ではとかく、儲かること、効率的なこと、すぐに役に立つこと、目に見えて成果が出ることなどに注目が集まりがちです。もちろん、それも一つの価値観であり、世の中を動かす大事なエネルギーでもあり、それが肌に合う人もいますが、一方でそれだけでは苦しくなってしまう人もいます。奈良はそんな人たちに「合理的なだけが世界じゃない」と新たな視点を見せてくれる場所なのではないでしょうか。
奈良の寺社や行事、文化財などを見つめる時、目には映らないが確かに存在する、それらを包み込むものにも思いを馳せる――そんな眼差しを教えていただいた取材でした。
(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)
毎日新聞 花澤茂人
https://mainichi.jp/ch200459424i/%E8%8A%B1%E6%BE%A4%E8%8C%82%E4%BA%BA
つなぐ寺
https://www.tsunagu-dera.jp/
最終更新日:2022/06/20