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「全国を見て回って、やっぱり奈良がいい!と思った」奈良移住者インタビュー:CHEESE CAFE soan 町田美保さん【前編】

~なぜ奈良に? あの人の来寧記~

奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第5回となる今回インタビューしたのは、近鉄奈良駅近くの餅飯殿センター街にある商業インキュベータ施設「もちいどの夢CUBE」で、チーズをコンセプトにしたカフェ「CHEESE CAFE soan」を営む町田美保さん。

町田さんは大学時代を奈良で過ごした後、劇団員として約1年半の全国巡業を経て、約20年の東京生活を経験。その後、自身のお店を営むために2021年8月から再び奈良の住人となり、同年11月にCHEESE CAFE soanをオープンしました。

お店のオープンから約1年という節目を迎えた町田さんを訪ね、大学時代の奈良での思い出や、全国を巡った時に考えたこと、飲食・販売などに携わった東京生活、奈良に戻ってお店を開いた背景や思い、様々な経験を経たからこそ感じる奈良の魅力など、お話を聞きました。前編・後編の2本立てでお届けします。

流れに身を任せて奈良の大学へ。奈良観光を楽しみ尽くす学生時代

町田さんの出身は静岡県浜松市。両親が奈良・京都好きで、子ども時代は奈良にも何度か旅行に連れてきてもらっていたそうです。

町田:「『大学は奈良女に行ってほしい』と親に言われながら育ちました(笑)。子どもの頃は、奈良は旅行先の一つという認識で、私としては特別な思い入れはあまりなかったのですが、結局、奈良教育大学に進学しました。場所だけ、親の希望が叶いましたね(笑)。

奈良教育大学への進学は本当に偶然でした。本を読んだり絵を描いたりするのが大好きで、絵本作家になりたくて、美大に行きたかったのですが、親から『国公立でなければダメ』と言われて。国公立大学で美術ができるということで美術教員を目指すことにしましたが、体調不良でセンター試験がうまくいかず、たまたま学校の先生に推薦してもらったのが奈良教育大学だったんです」

流れに身を任せ、奈良で大学生活を始めた町田さん。大学に通いながら奈良観光を楽しむような日々を過ごし、奈良の魅力にどんどん開眼していきます。

町田:「奈良の町が楽しくて面白くて、日々あちこちを歩き回っていましたね。よく深夜に大学の課題の絵を描いてから、明け方に町をお散歩していたんです。当時住んでいたきたまちから、東大寺の二月堂や大仏殿、そして奈良公園一帯へ、朝日を浴びながらぐるっと巡る時間がすごく癒しでした。大学周辺にあるささやきの小径や春日大社の辺りもお散歩コースでしたね。自然も文化財も豊かな町に、感性がものすごく刺激されて、『奈良、いいなぁ~』という気持ちがどんどん深まっていきました」

友達と青春の時間を過ごした思い出も、町中至るところにあるそうです。現在出店している餅飯殿町もその頃から大好きなのだとか。

町田:「今はもう閉店してしまったのですが、当時有名だった『ちから』という甘味処にかき氷をよく食べに行きました。また、一人暮らしを始めて、私も友達も器に凝りたい年頃だったので、食器専門店『器まつもり』さんの器をプレゼントしてもらったり、『まつもりさんの器、可愛いよね~!』ってよく盛り上がったりしたことも。

二月堂にも友達としょっちゅう行きましたね。二月堂の横にある茶店『龍美堂』さんのわらび餅がすごく美味しくて、『わらび餅、食べに行こっ!』とよく声をかけ合っていました。

夜中のささやきの小径の辺りを、『怖い~!なんか出るんちゃうか~!?』って言いながら、大勢で肝試しのように歩いたこともあります。ただ、これは危ないのでマネはしないでくださいね(苦笑)」

離れて気づいた奈良の良さ。憧れの美術の仕事で直面した壁

大学在学中は奈良の楽しさを味わい、奈良に惚れ込んでいた町田さんですが、卒業後に奈良で働くという選択肢は当時まだなかったそうです。

町田:「大学では美術教員養成課程で学び、地元に戻って教員になる未来をイメージしていました。ただ、当時は就職氷河期真っ只中で、教員採用試験はとても厳しく、不採用になってしまって……。

やっぱり物を創る仕事がどうしてもしたいと思っていたところ、大学の就職課にたまたま、横浜にある影絵の児童劇団の求人が貼り出されているのを見つけて。芸術的な創作ができてお金も稼げる上、大学のサークルで人形劇をやっていたという共通項もあり、『これだ!』と思って飛び込んでみることにしました」

就職のため、東京で暮らし始めた町田さんは、ほどなくして奈良の良さに気づきます。

町田:「『やっぱり奈良、良かったな』ってすごく思いました。狭い道に車が入ってくるだけでなぜか無性にイライラしてしまうなど、東京では何をするにもスピードや効率重視と感じてしまう場面が多く、セカセカした空気が合わないなと感じていましたね。一方で、奈良のことを思い返すと、時間の流れがゆったりしていて、自分に合っていたなって思いました」

町田さんは劇団の中でも全国の小学校を公演して回るチームに配属され、影絵の役者を担いながら、約1年半かけて、ほぼすべての都道府県を巡りました。その時にも思いを馳せていたのは奈良でした。

町田::「全国の色んな町を見た時にも、『日本の中で奈良、最高だな』って思いました。自然が豊かな町や都会的なところなど、全国には色々な場所がありますが、奈良は厳しすぎないちょうどいい自然がありながら、交通の便の良さなど都市としての利便性も兼ね備え、一番住みやすいと思ったんです」

「やっぱり奈良が合っていた」という思いを頭の片隅に置きつつ、町田さんは自身のキャリアに苦悩します。

町田:「役者を務めた後、希望していた影絵の美術担当になれました。美術に関われる仕事だったので、やっぱりすごく楽しかったですね。でも、だんだんと限界も感じてきて。

描くのは好きなんですが、真剣にやればやるほど、自分が求めている表現やレベルに技術がどうしても追いつかないことを痛感しました。睡眠時間もギリギリで取り組んでいたんですが、それでも理想の表現に届かなくて。無理をしても届かない、才能の壁のようなものにバーンとぶち当たり、辛くて苦しくて、退職することにしました」

料理の世界へ転身。やりがいに心躍り、自分の未熟さを思い知った

ここから町田さんは、のちのCHEESE CAFE soanへとつながる、料理やお菓子の世界へと歩を進めていきます。

町田:「これまですごく楽しかった『物を創る』ことが、仕事になったら苦しくなってしまって、どうしようと思っていた時に、料理を作ることが楽しくなって。要するに、逃げ場を見つけてしまったんですよね。

私は、やりたいことと楽しいことしかしないタイプ。昔からお菓子作りも好きでしたし、『これやってる方が楽しい』『取り敢えずこっちの方に行ってみよう』というノリで、料理の道に進んでみることにしたんです」

まず、広尾のケーキファクトリーでケーキ作りを始めた町田さん。当時、カフェ文化が盛り上がっていた中目黒や表参道周辺の様子に影響を受け、目黒のカフェでも働き始めます。

町田:「カフェのキッチンに入って、料理を学びながら働いていました。すごく雰囲気の良い職場で、従業員みんなが生き生き・のびのびと働いていたからか、お店の売上もガンッ!と伸びて、とてもやりがいを感じて。この頃から『私もいつか自分のお店を持てたらいいな』と思うようになりました」

この目黒のカフェは結婚を機に退職しますが、「やっぱり好きなことがしたい」と、今度は料理教室のアシスタントを務めることに。この教室での経験を町田さんは、「すごく辛かったが、この経験がなかったらお店は開けなかったほど、ありがたい時間」だったと語ります。

町田:「当時の私は、カフェで楽しく働きながらお店の数字も伸ばした経験から、正直『私できる!』と自信を持っていました。ですが、教室の先生はものすごくレベルが高く、求められることも段違いで。自分が積み上げたものが何一つ通用しなくて、毎日怒られて、高くなっていた私の鼻はバキーンと折られました。

よく覚えていることの一つが、教室で使うタッパーの話。洗って拭いたタッパーを『完全に乾いてから蓋を閉めるように』と言われて、風が当たる窓際に置いて乾かしていたんですが、タッパーの蓋が窓から建物の外に落ちてしまって。この時も『こういうことで全部がダメになるのよ』と怒られて、『なんでそんなに意地悪なこと言うんだろう?』と思っていました」

町田:「でも、東京から奈良に移住する直前に料理教室当時のことを思い出し、先生が伝えたかったことが後からわかりました。『ちょっとの気の緩みや、先を見通せないことが大きな失敗につながってしまうって教えたかったんだ』と……。先生からしてみれば全く意地悪ではなく、ただ私が未熟だっただけでした。お店を出した今の私が思い返すと、『そら怒られる』『すみませんでした』と思うことばかり。大変でしたが、何だかんだで全部身になっています。

とはいえ、当時はやっぱり辛くて、この教室もその後辞めることにしました。先生から『あなた、料理やらない方がいいと思う。でも、あなたはやると思うけどね』なんて言われて、『もう料理やりません……』って泣きながら退職したんですよ(苦笑)」

販売接客の道へ……と思った矢先に起きた人生の急展開

料理教室の先生の“予言”が数年後に実現するとは露知らず、町田さんはもともとダブルワークとして働いていたカルディコーヒーファームでの販売接客の仕事に自分の適性を見出します。

町田:「接客の際に、自分が選んだワードでお客様から好感触を得られることが多くて、言葉を選ぶのが得意なんだと気づきました。好きなのは創ることですが、向いているのは販売だとわかったんです。カルディの仕事が楽しくて、パートから正社員になりたいと思いながら働いていました」

そんな町田さんに2018年頃、離婚という大きな転機が訪れます。

町田:「『人生って、そんなことあるの!?』と思うくらいの衝撃でした。青天の霹靂とは正にこのこと。開き直らないとやっていられないほど辛くて、『これからは、好きな場所で好きなことします!』と一気にギアチェンジしました。その時に浮かんだ夢が、目黒のカフェ時代から思い描いていた『自分のお店を持つこと』。場所は奈良です!」

後編に続きます。後編では、CHEESE CAFE soanの開業準備から再びの奈良移住へ至るエピソードや、町田さんが東京など他の地域を見たからこそ感じた奈良の魅力をお届けします。

(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)

CHEESE CAFE soan
https://twitter.com/Soancheese

最終更新日:2023/02/24

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