奈良、旅もくらしも

奈良国立博物館「特別陳列 お水取り」に初出陳の油甕について

 東大寺二月堂修二会(お水取り)の時期に合わせて毎年開催されている「特別陳列 お水取り」が、今年も2023年2月4日(土)から3月19日(日)まで奈良国立博物館東新館にて開催中です。

 法会に用いられた法具や、儀式の様子を伝える古文書、東大寺ゆかりの絵画や出土品などの展示を通じて、1200年以上続く「お水取り」の一端に触れることができ、会場に流れる練行衆の声明を聞きながら、お水取りの行法をより理解できる展覧会になっています。
 ほぼ毎年鑑賞しているお水取り好きを自負する私ですが、局での聴聞が制限されたコロナ禍にあっては、修二会のお声明を聴くだけで感無量になってしまいます。

 そのお水取り好きを見込まれて「奈良、旅もくらしも」で「お水取り」展のレポートをすることになったのですが、実は初出陳の「油甕」が私の書いているブログを通してのご縁が元でお目見えしたという経緯があり、今回のレポートは、初出陳の「油甕」に焦点を当てた・・・というより展覧会レポにかこつけた「油甕がここに至るまでの道のり」について書いてみようと思います。
(「油甕」以外の出陳品についてのレポートはブログ「奈良倶楽部通信part:III」をご覧ください)

 この「油甕」は、かつて灯明を灯す油を寺に納める油屋だった「松石家」から奈良文化財研究所に寄贈された織豊期備前大甕(安土桃山時代の備前焼の大甕)で、「三石入」という文字と、縦横3本線を直交させた窯印が入っています。(三石とは540リットル)
 また「松石家」は、奈良倶楽部最寄りのバス停近くにあるお宅です。

 ご近所のお宅がかつて油屋をされていたと知ったのは2011年のこと。
 二月堂修二会の「油はかり」に出仕されている百人講の方が松石家のご親戚の方で、その方から偶然にもお話を伺ったのでした。
 そして2011年2月18日の「油はかり」について松石家のことも含めて書いたブログ記事『奈良倶楽部通信 part:II: 「油はかり」と百人講』を、2015年に仙台市の松石家の方が見つけて下さったことからこのお話は始まります。

 仙台松石家のご主人・松石安雄さんは奈良の松石家(松石源三郎商店)の直系の方になるのですが、仕事の関係で仙台に住みそのまま仙台で生涯を終えられた方。
 松石源三郎商店を継いだ奈良松石家も昭和前半期には油屋を廃業されていたようですが、油屋の古い建物はそのまま残しておられました。

 1990年代終わりころに油屋の古い建物を壊して駐車場にされる時に、蔵の土中に埋まっていた油甕の多くを処分することとなり、埋甕として並んでいた油甕の中の一番大きな甕をひとつ、仙台松石家の松石安雄さんが引き取ることになりました。

 仙台松石家に引き取られた油甕は、2011年の大震災でも倒れることなく大切に保管されていましたが、当主の安雄さんが亡くなり、その後 仙台の家を処分することになった時に、この大甕をどうすればいいかと、跡を受け継いだ松石聡美さんが引き取り先を探して奔走された中で、奈良倶楽部のブログを見つけて連絡をくださったのが2015年8月のこと。

 一方、連絡をもらった私の方も全くもってどうしていいかわからず、備前の素焼きの大甕と聞いて、料亭や旅館の玄関に花入れとして使うのもいいから旅館ホテル組合に相談しようか、または東大寺と関係のある油甕なら東大寺に連絡しようかと思案を巡らせておりました。

その頃、打ち合わせなどでよく会っていた方々にもお知恵拝借できないかと相談したところ、奈良文化財研究所(奈文研)で、焼き物が専門の研究者がいるという連絡を受け、お話を進めてもらっているうちに、研究資料として引き取ってくださることになり、それが奈文研の神野 恵(じんの めぐみ)先生との出会いになりました。

 引き取り手がないと廃棄するしかないとまで思い詰めていた聡美さんにとって、この出会いは奇跡のような出来事だったようで、ご自身は奈良に伝手がないながらも、お父様(安雄さん)の奈良に対する思いを聞いていたことや、松石家の直系だと自負されていたことを知っていたので、何とかしてこの大きな甕を残したいという一念だったそうです。

 お水取り展初日に駆けつけて下さった聡美さんと、奈良松石家当主の今年89歳になる幸子さんと、神野先生、そしてほんの少しご縁を取り持った私とで展覧会を観賞しました。
 そのあと、読売新聞社の取材を受けたのですが、松石家の聡美さんと神野先生がおっしゃった言葉が印象的でした。

 仙台から奈良に運ばれて7年ぶりに再会した油甕を会場で見て、いろんな人のネットワークが繋がって展示してもらえたこと、奈良松石家の幸子さんと見に来られたことにも感動していると聡美さん。
 神野先生からは、奈良から仙台へと引き取られ、廃棄や震災など何度も危機を乗り越えて奈文研に辿りついた油甕について「文化財は残したいという執念が繋がって残る」という名言をいただきました。
 焼き物は環境が変わると割れやすく、奈文研の収蔵庫にしばらく寝かして7年越しに出陳できた油甕。また機会を作って奈文研の収蔵庫でお披露目ができればともおっしゃってました。

 江戸時代から修二会の燈明油を東大寺に納めていた松石家に残る油甕を会場で目の当たりにして、この甕から掬われた油が東大寺二月堂へと運ばれていく様子を想像し、奈良倶楽部周辺の雑司村(ぞうしむら)の人々も修二会を支えていたことに想いを馳せながら見学致しました。

 最後になりましたが、神野先生の研究論文をご紹介します。
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/7896/1/BA67898227_2017_070_072.pdf?fbclid=IwAR2js2iRZNYjiiCo7y2tjNF1LG8MLbLaW80QXXvPdMBJP0Pxn9AS-AjhOxQ

 油甕から松石家のこと、そして東大寺と油倉村のことなどが考察されていて、論文中の地図から、奈良倶楽部周辺に存在していた油倉のことが気になっています。
 尚、記事中の油甕の写真3枚は神野先生より拝借しました。

  • 「特別陳列 お水取り」
  • 会期:2023年2月4日(土)から3月19日(日)まで
  • 会場:奈良国立博物館東新館
  • 休館日:2月6日(月)、20日(月)、27日(月)
  • 開館時間:午前9時30分~午後5時(毎週土曜日は午後8時まで)
  • ※入館は閉館の30分前まで
  • ※東大寺二月堂お水取り期間(3月1日~14日)中、3月12日(籠松明の日)は午後7時まで、土曜日以外は午後6時まで 
  • 観覧料金:大人700円 大学生350円

(文・小さなホテル奈良倶楽部/谷規佐子)

最終更新日:2023/03/03

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