~なぜ奈良に? あの人の来寧記~
奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いを伺う企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第6回は、奈良新聞社にて文化担当記者を務める伊藤波子さん。前編記事では、夫の転勤に伴って体験した中国生活や、帰国後に起こった心境の変化で神社巡りが好きになり、奈良に通うようになったお話を伺いました。
後編となるこの記事では、伊藤さんが奈良移住をどのように実現したのか、移住後に就職した新聞社でのお仕事の様子、奈良で暮らして起こった変化などについてお聞きします。
周囲の反対を振り切り、移住と離婚を強行突破
「奈良に住みたい!」と理想を描いていたところに離婚話が持ち上がり、奈良移住を実現できるかと思った矢先、心配する親族や友人に離婚を猛反対されてしまった伊藤さん。この状況をどう打開したのでしょうか。
伊藤:「強行突破しちゃいました(笑)。あまりにも周囲の反対が凄くて迷っていた時もあったんですが、社寺を巡って自身を見つめる中で自分がどうしたいかはわかっていましたし、息子も『奈良がいいんじゃない』と背中を押してくれて。腹が決まり、親には何も言わずに準備を進め、新居を決めてから改めて離婚の報告をしました。
あの時の私にあったのは『奈良に住みたい、奈良で働きたい、奈良をもっと知りたい』の気持ちだけ。それしか道がなかったんです。不安がなかった訳ではありませんでしたが、不思議と何とかなるだろうという感覚がありましたね。中国生活で鍛えられていたので、『日本語が通じるから大丈夫!』と思えたのも大きかったと思います(笑)。
親にはものすごく怒られましたが、『私が笑顔でいれば安心するだろう』くらいに思って、あまり気にしすぎないようにしましたね」
理想に近づける職場に就職。週末は神様・仏様へのご挨拶回り
2018年、奈良に居を移した伊藤さんは、ハローワークで紹介された奈良日日新聞社に就職。企画部で営業事務を担当し、奈良日日新聞の制作に携わることになりました。
伊藤:「和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んだ時の憧れから、ものを書く現場に興味があり、関わりたいと思って入社しました。移住直後にこんな求人に巡り合えて、本当にラッキーでありがたかったなと思います。この時はまだ『記者になりたい』とまでは思っていなくて、『記者の皆さんを補佐します!』というスタンスでした。週刊新聞だったので、毎週1つの新聞ができあがっていくのを傍で見ていて、とても楽しかったです。
また、移住前は奈良に友人知人はいなかったので、職場の人たちは移住して初めて知り合った方々でした。猛烈に奈良に住みたいと思って勢いでやってきたものの、地縁のない場所での新生活はやはり心細い時もあり……。そんな時、職場の皆さんが私たちの事情を理解して助けてくださった場面も多々あり、ありがたかったですね。今でも交流のある、すごく大切な人たちです」
この頃の出来事で、伊藤さんが「とにかく楽しかった!」と熱量たっぷりに語るのが、奈良の社寺巡りです。
伊藤:「月曜から金曜まで働いて、お休みの土日には毎週末、県内の社寺を息子と一緒に巡りました。なぜかというと、息子が『取り敢えず、80か所回ろう!』と突然言い出したから(笑)。なぜ80か所なのかはわかりませんでしたが、奈良の神様・仏様の近くにいたいと感じたことが一番の移住理由だったので、『まずは神様・仏様へのご挨拶回りが必要ってことなのかな』と受け止めて、毎週ひたすら巡礼しました」
伊藤:「巡ったすべての社寺で『引っ越してきました。これからよろしくお願いします』とご挨拶して、80か所巡りは1年かからずに達成しました。楽しくて楽しくて仕方がなかったですね!」
憧れの文化担当記者に。社寺を巡って文章を書く日々が実現
伊藤さんの入社から半年後、奈良日日新聞社は奈良新聞社と統合することになり、2019年4月に奈良日日新聞の最終号が発刊されました。この時の記事が、伊藤さんの進路に大きな影響を与えます。
伊藤:「当時の上司が最終号の取材で橿原神宮に行くことになり、『いいな~行きたいな~』と言ったら、私も同席させていただけることになりました。お話を横で聞いていたら、インタビューの最後に『何か聞きたいことは?』と話を振ってくださったので、1つ質問させていただいたところ、その質問が採用され、記事に掲載されたんです。
自分の質問が紙面に載っているのを見て、すごく嬉しくて。入社当初こそ自分の立ち位置は記者さんの補佐だと思っていましたが、この時、『やっぱり私も、人にお話を聞いて読者に伝える仕事がしたい』と自分の気持ちを確信しました」
会社の統合で奈良新聞社の社員となった伊藤さんは、総務部で経理を担当しながら、記者になるための行動を重ねていきます。
伊藤:「総務部に記者さんが来る度に、『私もそっちに行きたい!』と羨ましく思いながら過ごしていました。そんな中、社内でデジタル推進のためのアイデアが募られた時には案をたくさん出してみたり、年1回の人事異動希望調査では『神社やお寺を回って仕事をしたいです』と書き続けてみたり、社内で色々と発信してみたところ、2年で編集部に異動となり、それも文化担当記者になれました。本当にありがたいことです」
伊藤さんは文章を仕事にするのはこの時が初めて。思うように行かない場面にも出くわしますが、自身の憧れた方向へと着実に歩みを進めていきます。
伊藤:「主な取材内容は県内の社寺、博物館、美術館、発掘関係など。取材は1日1~2件、自分一人で行ってインタビューと撮影をし、大体はその日のうちに原稿をアップ。翌日には発行されるので、聞くべき質問、撮るべき写真などを取りこぼす訳にはいきません。そういった緊張から、記者になって最初の3か月くらいは必死すぎて、あまり覚えていないんです(苦笑)」
伊藤:「そうして色々と経験させていただく中で、県内のお寺を巡る連載記事をカメラマンと一緒に担当していた先輩社員が退職することになり、この連載を引き継がせていただけることになりました。『伊藤さん、やってみないか』って声をかけていただけて。恐れ多いと思いつつ、連載名を『大和古寺・お参り日記』と変え、私は文章の担当としてありがたくやらせていただくことにしました。
この連載で意識しているのは、主観と説明のバランスです。私の思いが入りすぎてしまっては読者に伝わりにくいですし、説明ばかりではHPやパンフレットとほぼ変わらない内容になってしまいます。このバランスがうまく取れず、上司に怒られて修正したことも実は少なくないんです。
お寺を巡って文章を書くことは、『古寺巡礼』を読んだ時から憧れていた、正に私のやりたかったことですが、『自分のためではなく読者のために書く』という新聞記者としての基本的な姿勢を大切に続けていきたいです」
奈良の神様・仏様と出会ったから、自信を持って自分の人生を歩めている
「自分の人生を自分らしく生きたい!」とスイッチが入ってから、スピード感をもって希望を次々と実現してきた伊藤さん。彼女の支えとなっていたのは、奈良の社寺、神様・仏様です。
伊藤:「それまでは誰かが『良い』と言う道を歩いてきましたが、奈良の神様・仏様と出会って、その近くで暮らすようになって、自分としっかり向き合えるようになり、自分に自信を持てるようにもなりました。
公私ともに様々な機会に社寺を訪ねて、奈良の神様・仏様は大きくて優しくて広い存在だと思ったんです。天河神社にお参りして涙があふれてきたのも、それを体感したからかも知れません。そのような大きな存在から見たら人間はみんな一緒なので、他人と比べずに自信を持って自分の人生を生きていけます。なので、奈良に来てからは周囲の声は気にせずに、全部自分で決めて、自分で人生を歩いている感覚があります。
ちなみに、移住を強行して怒らせてしまった親は、今は私たち親子の様子を見て安心しているようです。奈良に旅行に来ることもありますし、父はたまに私の連載を読んで感想を共有してくれることも。『私が笑顔でいれば安心するだろう』と、思った通りでした(笑)」
伊藤:「自分と向き合って、自信を持って人生を歩む上で、私は祈りの力を信じています。興福寺の辻明俊さんに取材した際、こんなお話を伺いました。『祈るということは“意に乗る”。自分が願ったことに対して乗る、つまり動くということ。そうすると思いが届いていく』と。私がずっと続けてきたことは、祈りだったんだと思いました。奈良移住も記者の仕事も、やりたいなと願っていたことに対して動いてきましたから。
奈良の社寺に関わっていると、こんな風にハッとする気づきがたくさんあります。今後は、そうした学びや気づきも読者の皆さんに伝えられるような記事が書けたらと思います」
幼い時から、自分のやりたいことよりも周囲が良しとすることに従ってきたという伊藤さん。奈良の神様・仏様との出会いから、自分らしい人生を大切にするようになり、ご自身のやりたいことを着実に実現してきました。移住直後にご挨拶回りをした80社寺をはじめとする、奈良の多くの社寺の神様・仏様が伊藤さんの思いに応えてくれたのでは……なんて想像をしてしまうくらい、神秘的かつパワフルな移住エピソードでした。
伊藤さんが県内各地のお寺を訪ねる連載「大和古寺・お参り日記」は、お寺の歴史など基本情報はもちろん、伊藤さんが体感したお寺の空気感、仏様がまとう雰囲気なども描写され、臨場感や没入感のある素敵な文章で彩られています。個人的には、どことなく和辻哲郎の『古寺巡礼』の文体に近いものを感じ、「正に、伊藤さんの“祈り”が実現した企画だ!」と思わずにいられませんでした。奈良新聞をお手に取られた際にはぜひ読んでみてくださいね。
(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)
奈良新聞社
https://www.nara-np.co.jp/
最終更新日:2023/07/10