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「奈良の神様・仏様と出会って、自分を生きられるようになった」奈良移住者インタビュー:奈良新聞社 伊藤波子さん【前編】

~なぜ奈良に? あの人の来寧記~

奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第6回となる今回インタビューしたのは、奈良県の地方紙・奈良新聞を発行する株式会社奈良新聞社にて文化担当記者を務める伊藤波子さん。

伊藤さんは中部地方を主な生活圏としながら進学・就職・結婚したのち、家族の転勤に伴って中国生活を経験。帰国後、神社巡りをするようになったことで奈良の魅力に気づき、移住を決意。移住後は株式会社奈良日日新聞社(のちに奈良新聞社と統合)に再就職し、未経験から記者となり、現在は社寺取材を主に担当されています。

神社や奈良が好きになった背景や思い、奈良に暮らして変化したことなど、お話を聞きました。前編・後編の2本立てでお届けします。

自分の「やりたい」気持ちよりも、周囲の声や条件で道を選んでいた

三重県桑名市で生まれ育った伊藤さん。奈良の隣県で過ごした子ども時代、ご家族の影響で、すでに奈良や社寺との接点があったそうです。

伊藤:「父が奈良好きで、社寺にも比較的関心のある家庭だったため、子どもの頃はよく家族旅行で奈良に行きましたね。奈良公園に行ったり、お寺を巡ったり。遠足など学校行事で訪れることもありました。ただ、当時の私にとって奈良はあくまで、日帰りで行ける小旅行先の一つ。まだ特別に関心を持つ場所ではありませんでした」

ご家族との思い出を楽しそうに語りつつ、伊藤さんはこんな思いもポソリとつぶやきます。

伊藤:「親が結構厳しかったんですよね(苦笑)。なので、『こうしなさい』と言われたことに素直に従う子どもでした。大事に育ててもらいましたが、自分のやりたいことをやった記憶はあまりないんです」

高校を卒業すると愛知県の大学に進学し、法学を専攻。主に民法を学んだ経験を活かし、卒業後は地元で自動車保険を扱う損害保険会社に就職します。

伊藤:「道路交通法や損害賠償などについて学んでいたので、勉強したことを活かせますし、家からも通えたので、条件が合うなと思って就職を決めました。正直、『この仕事がやりたい!』という熱意があった訳ではありませんでしたね」

入社後、配属されたのは事故対応の部署。伊藤さんは保険請求の電話対応を担当し、カスタマーや事故相手から電話越しに怒鳴られ続ける日々を過ごしました。

伊藤:「保険請求の電話をされる方は、『車をぶつけられてケガした!』など、怒っている状態から入ることが多いんです。本当は事故を起こした相手への怒りなんですが、それを私にぶつけてくるんですね。『私のせいじゃないのに!』という気持ちを押し込めて、ひたすら謝る毎日。精神的にしんどくて、辞めたいと思いながら勤めていました。

とにかく大変だったんですが、一方で鍛えられた時期でもありました。『初対面の人を不快にさせず、円滑に話すにはどうしたら良いか』を学んだので、今の仕事にも活きていると思います。この経験があったから、記者として毎日様々な人にインタビューすることも、怖気づかずにできているのかなと」

環境も文化も異なる中国暮らしで胆力がついた

就職から3年後、伊藤さんは結婚して仕事を退職。男の子を産み、育児に励んでいた2013年、夫の転勤に伴って中国・上海で暮らすことになります。

伊藤:「当時の中国は経済成長の只中。かつての日本と同じように、成長の代償として環境問題が深刻で、家族の健康を守ることを常に必死で考える生活でした。

現在の様子はわかりませんが、私が暮らした当時は、大気汚染物質のPM2.5が特に凄まじかったです。外はいつも焦げたようなにおいが漂い、日本で霧が発生した日のようにかすんでいて、強い風が吹かない限り、青空はほぼ見えませんでした。

外出する時はネットなどで公開されている大気汚染指数を見て、平気そうならマスクをつけて出かけていたので、コロナ前からマスク生活でしたね。洗濯物は常に部屋干し、窓はほとんど開けられない、咳や喉の痛みが出るなど、日本とは全く異なる生活環境に神経をすり減らしていました」

水や食品、医療環境なども日本と大きく異なる部分があり、自分たちが納得できる生活環境をつくるために、自ら動いて情報収集や発信をすることを徹底していたそうです。

伊藤:「日本には慎ましくしているのが美徳のようなところがありますが、中国はどんどん発言してナンボ!という文化です。黙っていては何も伝わらず、スルーされてしまうので、『これってどういうこと?大丈夫?』と思うことはしっかり声を上げて確認していました。

この頃も本当に大変でしたが、おかげでかなり胆力がつきました。この生活がなかったら、私はこの後、奈良移住を実現できていなかったかも知れません(笑)」

「自分を生きたい」と思うように。神社巡りの中で奈良の魅力に開眼

2017年、伊藤さんは体調を崩した息子さんと共に帰国。静岡で二人暮らしを始め、伊藤さんの心境に変化が訪れます。

伊藤:「社寺、特に神社へお参りに行くのが好きになったんです。この時は、日本と異なるところが多くて緊張が続いていた中国生活が終わり、息子も大きくなって子育てがちょっと落ち着いてきた、という一息つけたタイミング。

そんな中、少し余裕が生まれたからなのか、ふと『私がやりたいことって何だろう?』『自分の人生を自分らしく生きたい』と、ものすごく考えるようになりました。それまでは、幼い時から自分のやりたいことをあまりせずに生きてきたので、これは大きな変化でした。

そこで惹かれたのが神社でした。神社にお参りすると、神様と対話することで、『自分は何がしたい?どう生きたい?このままでいいの?』と自分に向き合えて、『自分に戻る』感覚がありました。その感覚が、自分らしく生きたいと思っていた当時の私にマッチしたのかも知れません。また、長く中国にいたので、神社特有の雰囲気に日本らしい魅力を感じたというのもあります」

各地の神社を巡りたいと、ネットでリサーチをしていた伊藤さんの目に飛び込んできたのが、奈良の天河大辨財天社(天河神社)でした。

伊藤:「『呼ばれないと行けない』『なかなか辿り着けない』なんて書いてあって、すごく気になって。行ってみたら、神様の前で涙が止まらなくなっちゃったんですよ!なぜかはよくわかりませんが、忘れられない体験です」

伊藤さんはこの旅行をきっかけに、奈良で興味を惹かれる社寺をいくつも見出し、奈良へと頻繁に通い始めます。

伊藤:「息子と一緒に泊まりがけで何度も行って、ハマってしまいました。奈良の神社は私にとって『自分に戻る』感覚が特に強くて、しっくり来たんですよね。また、飛鳥の風景にも魅了されました。流れる風や木々から自然を感じられる、日本の原風景のような景色がすごく好き。中国生活では外出が難しく、異文化に囲まれていたので、日本的なものや自然に触れることに焦がれていたみたいです。

『奈良には今まで何回か来ていたのに、なんでその魅力に気づかなかったんだろう?』と思いながら夢中で通って、県内ほぼすべての市町村を巡りました。気づいたら息子も奈良を好きになってくれていたんですよ」

伊藤さんはこの頃、のちに新聞記者の道へとつながっていく、ある「憧れ」を抱く体験もします。

伊藤:「父が和辻哲郎の『古寺巡礼』を手渡してくれたんです。読んでみたら、お寺を巡って書いた文章が本になることや、それに共感してお寺を回る人がたくさんいるということに衝撃を受けました。子どもの頃はよく日記をつけていたので、日記のような感覚で自身の思いや体験を残せたら素敵だろうなと、淡い憧れを抱くようになりました」

何度も通ううち、「奈良で暮らしたい!」「奈良の神様・仏様の近くにいたい!」という気持ちがどんどん増していった伊藤さん。しかし、その思いに逆風が吹き荒れます。

伊藤:「家庭内の事情で離婚話が持ち上がりまして。私は『これはもう、奈良に行って良いというサインだ!』と思ったんですが、私の親からも親族や友人からも『別れることはないんじゃないか』って猛反対され、ものすごく引き留められてしまって……」

後編に続きます。後編では、伊藤さんが奈良移住や文化担当記者の目標を叶えていくエピソードや、奈良に暮らしてご自身に起こった変化などについて語っていただきます。

(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)

奈良新聞社
https://www.nara-np.co.jp/

最終更新日:2023/07/10

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