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懐かしくて新しい!奈良発サンダルブランドから「地域のハブ」へ―インタビュー:HEPディレクター 川東宗時さん

ご近所へちょっと買い物に出かけたり、ベランダで洗濯物を干したり、土間で作業をしたり――。どんなときにも気楽に履けるものとして、かつてはどの家にも1足はあった「ヘップサンダル」。「つっかけ」と呼んで愛用していた人も多いのではないでしょうか。そんなヘップサンダルをルーツとするブランドが、奈良県大和高田市にあります。

「現代のライフスタイルの中で面白がってもらえて、作り手が誇りを持てるサンダルになれば」と語るのは、履物ブランド「HEP(ヘップ)」を立ち上げた川東宗時(むねとき)さん。ブランド誕生のいきさつや、奈良の地場産業である履物づくりについてお話を伺いました。

昔ながらの履物から生まれた新ブランド

HEPの人気モデル「DRV」

「HEP」は2020年にデビューしたばかりの履物ブランドです。シンプルで少し丸みを帯びたフォルムが親しみやすく、履いてみるとその軽さに驚きます。

ルーツとなったヘップサンダルは、映画『ローマの休日』が由来なのだそう。主人公を演じるオードリー・ヘップバーンが履いていたサンダルを、親しみをこめてそう呼ぶようになったのだとか。

もともと奈良は履物づくりが地場産業として根付いている土地柄。大和高田や御所、三郷といったエリアでは、戦後から合皮のサンダルや雪駄づくりがさかんに行われてきました。川東さんの実家である「川東商店」は、1952年から70年以上にわたって大和高田市でヘップサンダルづくりに携わっています。創業当初は、履物の資材を卸すことがメイン。やがて製造や商品企画も手がけるようになります。

昔はどの家の軒先にもあった「ヘップサンダル」

川東「子どもの頃から、ヘップサンダルは身近な存在でした。でも、3代目社長である父からは『会社を継いでほしい』と言われたことは一度もなかったですね。僕自身も家業に関わることは考えていませんでした」

ファッションに興味があった川東さんは、大学卒業後に繊維の専門商社へ就職。アパレルの販売員や生産管理、OEM(他社のブランド製品の製造)、バイヤーへの営業など、さまざまな業務を担当しました。この経験を通して、改めて実家の仕事の面白さに気づいたと川東さんは言います。

川東「アパレル業界でいわゆる“川上から川下まで”を経験してとてもやりがいを感じていました。でも、ふと振り返ると実家でもサンダルで同じことをしていたんですよね」

ファッション業界を4年経験し、海外企業での仕事を経て、再び奈良に戻った川東さん。「次の仕事が決まるまで」と実家を手伝うようになり、あることに気づきました。

川東「サンダル製造の主軸は安価な海外の工場に移行し、国内でも安く大量につくることが求められるようになっていました。手に取ってもらうことも減っていて、このままでは衰退していく一方。サンダル業界全体にネガティブな雰囲気が漂っている気がしました」

在庫の整理や価格の見直しといったテコ入れをしたものの、簡単に解決するものではないことは明らか。ヘップサンダルという製品そのものの付加価値を高める「新ブランド創設」が、川東さんがたどり着いた結論でした。

川東「日本のモノづくりの現場は、ヘップサンダルと同じように衰退の危機を迎えているところが多いです。新潟県燕三条や、福井県などで、再び勢いを取り戻しているケースもたくさんあることを学びました。実際に現地を見に行くと、ブランドを立ち上げて作り手主体でモノを届けていることが新鮮でした。そこで、ヘップサンダルにもまだまだポテンシャルがあると確信して、2018年頃からブランド創設の準備を始めました」

ここから、川東さんの挑戦が始まります。

「らしさ」を見直して新たなブランドイメージをつくる

ブランド立ち上げのために川東さんが選んだのは、家業の「川東商店」を継ぐのではなく、曾祖父の時代の屋号である「川東履物商店」として独立開業するという道でした。

川東「新ブランドの構想を聞いた誰もが『成功するはずがない』と思っていました。父の会社を継いで社内ブランドとして始めようとすると、これまでのやり方との摩擦が生まれて、思い通りのテンポでは進まないことも多い。同じ敷地内ではありますが、覚悟を決めて独立することにしました」

アパレル業界の経験はあっても、イチからブランドをつくるのは初めて。川東さんは、奈良で出会ったデザイナーと共にアイデアを練っていきました。

履物や製造の知識がまだほとんどなかった中で、まず考えたのは「そもそも、ヘップサンダル“らしさ”とは何か」ということ。ヘップサンダルと呼ばれる履物にはさまざまなデザインがあり、明確な定義はありません。昔ながらの履物の良さを生かしながら、新たなブランドイメージを作るための試行錯誤が続きました。

川東「スリッパやビーチサンダルなど、日本発祥の履物は実はたくさんあります。なのに、日本を代表するサンダルブランドは意外に少ない。ここは狙い目、絶好のチャンスだと思っていました。

僕がやるなら、まったく新しいファッションブランドではなく、ヘップサンダルや川東商店の歴史をふまえたものを発信しなくてはならない。そのためには、まず自分たちの強みを整理する必要がありました」

「自分たちらしさ」と同時に、ユーザーに面白がってもらえることも大切にしたと川東さん。どんなときに、どんな人に履いてほしいかも、具体的なイメージを膨らませていったと言います。

川東「僕の実感として、街で履くスタイリッシュな靴や、『ラクだけど、誰かに会うのは抵抗がある』靴はたくさんあっても、その中間が意外に難しい。

例えば、地元の友人に会いそうな『アルル(編集部注:イオンモール橿原。地元の人は親しみを込めてこう呼びます)』に何を履いていくかはいつも迷います(笑)。日常で気楽に使える“ご近所履き”でありつつ、脱力しすぎないスタイリッシュさもある履物が欲しいと思ったんです。

それに、ただ安価で手軽なだけのものではなく、生活に上質さを求める人にふさわしい履物にしたいとも考えました。古民家にも現代の家にも馴染むサンダルって、選択肢が少ないんじゃないかと感じていたんです」

ブランドの「らしさ」を確立し、次に取りかかったのはプロダクトデザイン。川東商店にある膨大な量のヘップサンダルを研究し、デザインを検討しました。

川東「いきなりプロダクトをつくるのではなく、まず『自分たちらしさ』を固めていくのがブランドづくりの肝だと思います。レトロなものをただ懐かしむのではなく、新しいことにも挑戦するつもりでした」

作り手探しの光明となった「祖父とのつながり」

懐かしいだけではなく、新しいものにしたい。その想いを実現するため、川東さんがこだわったのは「ユニセックスで展開すること」「黒一色でスタートすること」の2つでした。履物業界では難しいチャレンジだったと言います。

川東「男女でデザインが異なり、とくにレディースはカラフルな色を何色もそろえるのがヘップサンダルの常識。でも、HEPはジェンダーレスなデザインにしたかったんです。

小さい足の男性がレディースをすすめられたり、大きい足の女性がメンズをすすめられるのはストレスを感じるもの。どんな人にも気軽に履いてもらうためには、ユニセックスで展開することは必須でした。

黒一色にしたのは、サンダルのぽってりしたフォルムを際立たせるためです。色数を絞ることで在庫を抑え、製造コスト削減にもなります」

サンダル界の常識に捉われないがゆえに、つくり手探しには難航したと川東さん。かつて奈良県内に150軒あったと言われる履物の製造工場は、10分の1にまで減っていました。

川東「川東商店は父の代から製造を海外の工場に発注していたため、国内でお付き合いしている工場はありませんでした。国内でも安く大量につくることが重要視されている状況で、僕たちが求めるものをつくってくれる工場を探すのは大変でした」

奈良や大阪の工場をリストアップし、1軒ずつ連絡するも断られることがほとんど。サンプルを依頼したものの、デザイン通りに仕上がらず取引を断念することも。履物づくりの厳しい状況を目の当たりにした川東さんですが、思わぬ発見もありました。

川東「取引にはつながらなくても、『おじいちゃんに履物の原料を卸してもらってた』とか、『よく一緒にゴルフに行ったよ』といったような、当時の話から会話が盛り上がることが少なくなかったんです。僕のような素人が門前払いをされず、話を聞いてもらえたのは、祖父の代のつながりを覚えてくれていたからこそ。感謝したいですね」

粘り強く交渉を続け、ようやく見つけた奈良県内の1軒の工場と取り組みがスタートしました。

デビュー前から積極的に発信し、反響を得る

約1年半の準備期間を経て、2020年にデビューを果たしたHEP。川東さんは、正式なリリースの前から積極的にブランドの情報発信を行っていました。

川東「SNSでの発信はもちろん、奈良県内のカフェで、トークセッションを主催したりしました。プロダクトがまだ手元にないのに、『準備中です』といろいろなところでお話していたんです(笑)。奈良県内の事業者の方々と交流するきっかけになり、たくさんの方に応援していただきました」

満を持してデビューを迎えたものの、コロナ禍で外出が困難になった時期と重なってしまいます。予定していたイベントや展示会が全て中止になるという、波乱の幕開けでした。川東さんは急遽オンラインショップをオープンし、直販で苦しい時期を乗り越えていきます。デビュー前から発信していたHEPのコンセプトに共感した人からの「応援購入」が増え、口コミで人気が広がっていきました。

川東「スタート当初は『生活道具の一つとして気楽に使ってもらえたら』と考えていたのですが、ファッション好きの方や美容師さんもHEPを愛用してくれたのは嬉しい驚きでした。ブランドの方向性がブレないなら、間口を狭める理由はありません。本格的なファッションアイテムとして、アパレル業界とのつながりもつくるようにしています」

その言葉のとおり、国内アパレル大手の「ZUCCa」や大和郡山市の靴メーカー「オリエンタルシューズ」とタッグを組んだ別注商品を展開。実はブランド立ち上げ当初から、コラボレーションで別注商品を展開することは視野に入っていたと川東さんは言います。

川東「HEPを黒一色でスタートさせたのは、別注商品を展開しやすいようにという狙いもありました。黒だけなら、展示会で『他の色はないですか?』と必ず聞かれるはず。それなら『御社のブランドでつくりませんか?』とご提案しやすくなります。アパレル業界でバイヤーさんに向けた営業をしていた経験から思いついたアイデアです」

さらには、全国にファンを持つ銭湯「小杉湯」や宿泊施設ともコラボレーションし、ポップアップイベントを開催。着実にファンの裾野を広げています。

新たな発信拠点が完成。奈良の旅の「ハブ」になりたい

ブランド創設から3年が経った2023年6月、HEPの新たな発信拠点として「ヘップランド」がオープンしました。川東商店の元倉庫だった建物をリノベーションし、全商品を展示・販売するほか、バーカウンターやドリンクコーナーも備え、イベント空間としても利用できます。隣接する物流倉庫では、検品や出荷作業が行われています。製造の一部を担う裁断機などの機材もあり、間近でものづくりの現場を見学することができます。

さまざまな機能を備えるヘップランドですが、何より力を入れたのは実はトイレなのだそう。長らく汲み取り式だったトイレを最新の水洗式に一新。手すりの代わりに設置されたのは、なんと棍棒です。掃除用具入れにはスピーカーが備えられ開けると音楽が鳴る仕組み。なんともユーモラスな空間をつくったものですが、そこには特別な想いがありました。

川東「創業以来、70年以上も川東商店のトイレは汲み取り式でした。普通ならとっくに改装されてもおかしくないのに、話題にものぼらなかったのは、業界全体の後ろ向きな雰囲気と無関係ではなかったでしょう。

ネガティブなイメージを刷新し、作り手やスタッフのみんなが誇りを持って仕事をするためには、トイレからまず変えなくてはと考えたんです。どうせつくるなら皆さんに楽しんでほしくて、やりすぎるくらい、いろいろな仕掛けをちりばめました」

川東さんの次なる目標は、ヘップランドを「奈良観光のハブ」として機能させること。大和高田市は、奈良の各エリアをつなぐのに最適だと言います。

川東「奈良と言えば思い浮かぶ歴史的な寺社があるエリアと、豊かな自然や食文化が楽しめる“奥大和”と呼ばれるエリアのちょうど中間地点にあるのが、ヘップランドがある大和高田市のいいところです。『ここに来たら面白い情報がある』『他にない体験ができる』、そんな場所にしたいですね」

ブランドのスタート前から発信を続け、奈良県各地の作り手や事業者と交流を続けてきたのも、ハブ拠点としての強みになると川東さん。

川東「履物の製造現場はもちろん、奈良の重要な地場産業を支える企業や、個人で活動をしている作家さん、職人さんといった、魅力的なものづくりをする方々が奈良にはたくさんいらっしゃいます。一見さんでは入れない場所も、これまでのつながりを活かして、いずれご案内できたら」

すでにプライベートでメディア関係者や県外の知人を案内し、評判は上々なのだそう。鹿や大仏といった「奈良らしい」観光のイメージが定着しているからこそ、奈良の産業観光を体感してもらったときのインパクトは絶大だと意気込みます。

川東「奈良の歴史や自然が素晴らしいのは周知の事実。でも、もう一つの側面である多彩な産業の魅力もぜひ知ってほしいです。ヘップサンダルの魅力が現代にも通用したように、奈良の産業にはまだまだ可能性が詰まっています。ディープな魅力を、いろんな形でお伝えしていきたいですね」

新たな履物ブランドから、奈良の魅力がますます広がっていきそうです。

取材・文=油井やすこ

最終更新日:2023/08/16

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