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【連載】学芸員はツライよ「第1回 古田織部と吉野の花見」中東洋行

文・タイトル絵/中東洋行

少なくともこの場所では、お初にお目にかかります。

わたくし、生まれも育ちも大和の国。姓は中東、名は洋行。明日香の南、山々が高々と続いていく吉野に職場まかりあります。ありがたいことにご縁をいただきまして、吉野の文化財のために粉骨砕身。とかく学が浅いもので、西へ行きましても東へ行きましても、ご厄介かけがちなる若造でございます。

さてさて、差し出がましくもこのわたくしめ、この場におきましては皆々様の見る目、聞く耳、味う舌に、触る手、嗅ぐ鼻この五感のうち、見る目、聞く耳の代わりをあい務めさせていただきたい次第。

吉野の“だけ”じゃない物語を、この言う口でもってお伝えいたしますことから、ミルメ・ユークチ・キクミミのみっつの出だしを借りまして、ここでは吉野のミユキと発しておきましょう。以後お見知りおきおかれまして、今日よりのち、お引き立てのほどお頼み申します。

さぁさ、皆様お立ちあい。まま、言の葉の調べと共に、夢と現をまたにかけ、吉野という猫箱にて紡がれてきたものがたりの世界をご案内。
本日ご案内いたしますのは―…

やはり「吉野といえば」の、花見にまつわるお話から始めることにしましょう。

それにしても、桜とはなんと不思議な花でしょうか。パッと咲き誇る華やかさ、にぎやかさ、美しさ。サッと散りゆく潔さ、寂しさ、切なさ。そして、どこかほんのりと漂う怪しさや気味悪さ。桜吹雪に舞う花びらが一片々々異なるように、様々な感情が心を吹き抜けます。

余談ですが、勤め先でこんな電話を受けたことがありました。

「桜の木の下には死体が埋まっていると聞きましたが、吉野の桜は修行中に命を落とした修行者のお墓だったりするのですか?」
 ※(実話)

その日は嫌な想像をしちゃって、一日ブルーでした。誓って言いますが、吉野の桜の、…大半は墓標じゃありませんから!
(桜葬をしているお寺があるので、言い切れないのが悲しい…。)

コホン、話を戻します。

桜への思いに様々な感情があるように、桜の花見にもいろんなものがあります。三千人とも五千人ともいわれる人数で行われた、ド派手な秀吉の吉野の花見。まだ見ぬ桜を訪ね歩いた、西行法師の吉野の花見。そして、これからお伝えするのは、ちょっと怪しい吉野の花見の物語です。

時をさかのぼる事、今から400年前。秀吉の吉野の花見から5年後、天下分け目・関ケ原の戦いからみれば1年前にあたる、1599年3月6日(※本当は21日)のことでございます。吉野山の竹林院で「利休亡魂」と書かれた額をかかげて花見をする一行がおりました。この利休とはかの有名な茶人・千利休のこと。8年前にあたる1591年2月28日、秀吉によって切腹を命じられたその人で間違いありません。

この花見のメンバーには、利休七哲に数えられる古田織部がおりました。
織部は武将であり、織部焼の創始者であり、当代の茶人の名人だった人物です。アニメ化もされたマンガ『へうげもの』(講談社)などで耳なじみの方も多いのでは。

織部は秀吉の吉野の花見にも参加していたようで、この時すでに吉野の桜を知っていました。もしかして、秀吉亡き後に、吉野の桜でもって亡き師匠を弔ったのでしょうか。さもありなん、という気がしますよね。

ところが、少しおかしな点があるのです。この時の花見に利休の血縁者はおらず、縁者も織部を除いてあまりおりません。そもそも、利休が亡くなって8年ということは8回忌?9回忌?になっちゃいますよね。そんな年忌って…??違和感があります。

そして、関ケ原の前年という、社会全体に不穏な空気が流れていたことが簡単に想像できるときに、なぜ敢えてお花見を?しかも、日付を偽装してまで…。

この理由について、実は関ケ原の戦いの前哨戦とでもいえるような、陰謀渦巻くお茶会だった、という見解などが出されています。一方で、千利休が実は切腹していなかった、という説がでているようで、これが事実なら命日の計算からすべてくるっちゃいますから、やっぱり本当に弔いの花見だった可能性も捨てきれないのでしょうか…。あぁ、もうわからない!

謎が謎を呼ぶ展開、ミステリーとしては大いに盛り上がってきたところですが、なんとなんと今回はここでお時間がいっぱいいっぱい。いずれにしても織部が吉野で花見をしていたことは間違いなく、その内容がちょっと怪しいとう様子は感じていただけたのではと思います。今年は織部のミステリーを肴に花見というのは如何でしょうか。

ネタ本

  • 国分義司 『古田織部と徳川家康』(柘植書房新社、2016年刊行)
  • 諏訪勝則 『古田織部』(中公新書、2016年刊行)

執筆者紹介

中東洋行 なかひがしひろゆき
吉野歴史資料館学芸職員
1986年、奈良県生まれ。大阪教育大学を卒業した後、関西大学大学院で考古学を勉強し、今は吉野町役場で文化財の担当や資料館学芸職員をしています。吉野はたくさんの物語がつむがれ、語られ、のこされてきた場所。ウソもマコトも、ウソのようなマコトやマコトのようなウソも。いろんな話が共存する、さながらシュレディンガーの猫箱の世界です。虚実いりまじる物語の世界で、さぁ次は何を訪ねましょうか。

最終更新日:2021/03/13

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