奈良、旅もくらしも

【連載】奈良で外遊びしてみました「入れる古墳をめぐろう!」@桜井市」naka

第2回 「入れる古墳をめぐろう!」@桜井市
難易度 ★★☆(中級)

文/naka

古墳めぐり≒奈良の大人の嗜み

“奈良で外遊び”がテーマのこの連載。初回の「焚き火&BBQ@吉野川」は、まさに外遊びのど真ん中ともいえる内容で、好意的なご感想もいただきました。ありがとうございます。

気分を良くしての連載2回目ですが、選んだネタは【入れる古墳めぐり】です。

「古墳をめぐるなんて、それって外遊びか?」などという声も聞こえてきそうですが、ごもっともです。

私自身ちょっと不安に思ったので、事前に担当編集さんに「これ、いけるかな?」と相談したんですが、その反応が「いけてます!」的なものだったので、遠慮なく話を進めたいと思います(責任転嫁)。

そもそも、新潟県の端っこに生まれ育った私にとって、古墳は決して身近なものではありませんでした。古墳とは教科書に出てくる単語であり、「須恵器」とか「墾田永年私財法」と同レベルの縁遠さでした。

しかし、奈良へ通い始めてみると、古墳って身近にめっちゃあるんですよ。極論ですが、奈良盆地に存在する“こんもりとした丘”のほとんどは古墳です。墳丘の全体が畑にされていたり、墓地になっていたりと大きく改変されているものも多いですが、その下は誰かが埋葬されていた古墳である可能性大なのです。

そこまで身近な古墳ですから、子どもたちの遊び場にもなっています。

奈良に生まれ育った方からは、よく「昔はよく古墳にのぼったりして遊んだものですよ」なんてお話を伺ったりしますし、さらには「石室の内部も入れたんですけどね」なんてレベルだったりします。それも、現在は立入禁止となっている超大型の古墳だったりするのですから、私のような他所から来た人間にとっても、ただただ羨ましい限りです。

しかし、さすがは奈良ですね。県内には今なお“石室内部へ入ることができる古墳”というものが多数存在しています。石室の内部は薄暗く、懐中電灯を片手に奥へと進むと、かつて貴人の亡骸が弔われていた石棺があったりします。

人様のお墓に立ち入っておいて失礼な言い草になりますが、これはまさに“探検気分”です。ちょっとした“インディー・ジョーンズ気分”と言っ……たら過言ですね(笑)

しかも、子どもの頃なら単なる探検ごっこだったかもしれませんが、大人になった私たちは、考古学的な知識を身につけることで、よりディープに古墳めぐりを楽しむことができるのです。

その古墳の築造年代や大きさ、形状など、さまざまな情報を検討し、「この古墳の被葬者は誰なんだろう?」と妄想を働かせる。そういった贅沢な楽しみ方もできるのも、奈良だからこそ。ぜひ身近すぎる「古墳」というものに興味を持って、巡って、入って欲しいと思うのです。

探検気分!崇峻天皇のお墓を巡ります

そんな古墳めぐり企画に真っ先にご紹介したいのが、桜井市にある「赤坂天王山古墳(赤坂天王山1号墳)」です。こちらは探検心はもちろん、歴史的好奇心も存分に満たされる場所です。

何と言っても、ここに埋葬されているのは、日本史上で唯一、臣下に殺害された第32代・崇峻天皇と考えられています。古代史の中でも最も悲劇的な最期を遂げた天皇が埋葬されたであろう場所なのです。

ちなみに、ここは明治22年までは崇峻天皇の正式な墓所とされていましたが、現在は宮内庁からは認められていません。約2.4km離れた「倉梯岡上陵」を崇峻天皇陵としています。しかし、識者の間では「赤坂天王山古墳こそが崇峻天皇の本当のお墓である」というのが定説となっているのです。

そして、そんな(おそらく本当の)天皇陵は、今でも石室内へ入ることができるんです!

桜井市倉橋にある「天王山古墳群」。いくつかの古墳が集まった群集墳となっています。入口部分には獣避けの柵がありますので、出入りする際にはしっかりと閉めるようにしましょう。

古墳群の中心となるのは「赤坂天王山1号墳」です。古墳時代後期(6世紀末)のもので、一辺が約45m前後ある大型の方墳です。横穴式石室が南に向かって開口しているのですが……、

これが狭い!身長167cmのコンパクトな成人男子(=私)が身をかがめて、ようやく通れるくらいの大きさです。

頭をぐいっと入れて、中へと進みます。

奥へ進んでもこの低さです。強力な照明を灯しているのでまだ明るいですが、内部はもちろん真っ暗です。

奥に安置されている石棺まで到達しました。

開口部から見たところ。羨道部分の約8.5mにわたって天井の低い状態が続きます。
ちなみに、ウチの奥さんは気味悪がって石室の中には入ってこようとしません。私だって虫や蛇が少ない冬にしか入りたくありません。「マムシに注意」の看板が設置してあるような場所ですので、くれぐれもご注意を。

横穴式石室の奥へとたどり着くと、約4.2mという高さまで抜けています。その中心に、二上山で採取された凝灰岩を用いた刳貫式家形石棺が安置されています。過去に盗掘を受けているため、遺物などは知られていません。巨石を用いて立派な作りで、まさに天皇を埋葬するのに相応しい規模だと言えるでしょう。

すぐ近くにある「天王山2号墳」。開口部は埋もれてしまって、わずかな隙間しかありません。

1号墳の裏手には「天王山3号墳」もあります。かつてはここも石室内部まで入ることができたのですが、現在は閉鎖されています。

※宮内庁が管理する崇峻天皇陵「倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)」は、天王山古墳群から約2.4kmの位置にあります。この周辺には、聖林寺・メスリ山古墳・上之宮遺跡などもありますので、合わせてぜひ。

※崇峻天皇に関わる2つの古墳巡りは、JR桜井駅を起点とすると約9.7kmのウォーキングコースになります(車でも巡れます)。JR桜井駅→赤坂天王山古墳(3.9km・45分)→崇峻天皇陵(2.4km・30分)→桜井駅(3.4km・40分)


最高レベルの美しい石室「文殊院西古墳」

桜井市の古墳の魅力はこれだけではありません。こちらは名刹・安倍文殊院の境内地にある「文殊院西古墳」です。もともとは直径30m規模の古墳だったと考えられています。その内部へ入ってみると……、

石室を構成している石が、すべて美しく整えられているのがわかります。古墳時代の末期(7世紀中ごろ)にもなると、ここまで技術が進化しているんです!当時この一体を治めていた阿倍氏の有力者で、左大臣にまで上りつめた阿倍倉梯麻呂のお墓との説が有力とされています。

石室内部をよく観察するとと、美しさへのこだわりが見えてきます。この画像の中段・向かって右側の石は、実は横長の形をしていますが、縦に1本の線を刻み、他の石とサイズを合わせたように見せています。また、隣り合った石同士の文様が合うように並べてあったりと、古墳職人(?)の心意気を感じますね!


民家の裏手にひっそり存在する「艸墓古墳」

「文殊院西古墳」から徒歩数分の距離にある、「艸墓(くさはか)古墳(カラト古墳)」もお勧めです。民家の脇のこんな細い路地を通らないとたどり着かない、ある意味では到達難易度の高い古墳です。

民家の裏にぽつりと存在する「艸墓古墳」。28×22mの方墳で、高さは8m。7世紀前半頃の築造です。千年以上もここにあり続け、きっとたくさんの奈良のお子さんたちに遊び場にもなってきたんでしょうね。

こちらも開口部の高さは低めですが、ちゃんと整備されており、比較的入りやくなっていますのでご安心を。

奥には刳抜式の家型石棺が安置されています。こちらからだとまったく破損していないように見えますが、裏手には盗掘穴が空いています。石棺の表面にはお経のような文字が墨書きしてあったりします。ここを守り続けてきた人々の思いが伝わってくるようです。

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執筆者紹介

連載「奈良で外遊びしてみました」
文/naka

最終更新日:2021/04/21

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