奈良、旅もくらしも

【連載】学芸員はツライよ「第2回 吉野はどこから来たのか」中東洋行

文・タイトル絵/中東洋行

わたくし、生まれも育ちも大和の国。姓は中東、名は洋行。明日香の南、山々が高々と続いていく吉野に職場まかりあります。

差し出がましくもこのわたくしめ、この場におきましては皆々様の見る目、聞く耳の代わりをあい務め、この言う口でもってお伝えしたい次第。以後お見知りおきおかれまして、今日よりのち、お引き立てのほどお頼み申します。

さぁさ、皆様お立ちあい。まま、言の葉の調べと共に、夢と現を股にかけ、吉野という猫箱にて紡がれてきたものがたりの世界をご案内。本日ご案内いたしますのは―…

みなさま、吉野(正確には、吉野山から山上が岳までの「金峯山」と呼ばれるエリア)がどこからきたのか、ご存じですか?

…どこからきたって、今も昔も奈良県の南側にあるじゃないか、

とツッコミがきそうな質問からはじめてみました。きっと皆さま、吉野の地面や山々がどこから来たのか聞くなんて、馬鹿らしい質問をするものだとお思いのことでしょう。そのご意見!えぇ、ごもっともです。

ですが。ですが、です。

むかしむかしの物語をたどりますと、吉野は別の場所からきたのだ、という話が存外多くあるのです。今回は、そんな物語をご紹介しましょう。

「吉野が別の場所から来た」という話は、今から1000年前の平安時代には見ることができます。『吏部王記』という書物がその源泉となる様ですが、残念ながら逸文となっています。明らかにわかるのは、『奥義抄』という本。そこには、こう書かれております。

―吏部王の記に、吉野山は五台山の一部(かたはし)が雲に乗って飛んできたのだ、と書かれている。(文化遺産オンライン ウェブサイトより)

また別の本では、こんな記事もあります。

「金峯山は始め、西海の西にあり、五雲に乗って飛来した」
「漢土の金峯山が飛び移ってきた」
「天竺仏生国の巽がにわかに欠けて飛来した」
「霊鷲山の辰巳の角が崩落して、五雲に乗って飛来した」
「霊山の巽の角が飛来して金峯山となった」…などなど。

つまり、吉野は“海の彼方”や“中国”や“インド”から飛んできた、というのです。歌の世界ではかつて、吉野を「もろこしの吉野」と呼んでいたようですが、この理由を“吉野が中国(唐土)から飛来した説”に求める考えもあったようです。

かつての日本では、中国やインド由来のものは(特に仏教で)特別扱いされていました。ですので、これらの物語は、吉野(金峯山)がそれだけ神聖な場所なのだ、と言わんがためのものかもしれません。事実、平安時代の吉野は「3ヵ月は身を清めないと行けない場所」だったのですから。

なんだ、そんな昔の作り話をしたかったのか、とお思いの方。…まだ終わりませんよ?実は、最近の地学の研究によって、これらの物語が“ある意味”間違いではないかもしれないことが分かってきました。ここからは、マジの話です。

皆様はプレートテクトニクスという説はご存じですか?地球の大地はマグマに浮かぶ何枚かの岩盤(プレート)からできていて、このプレートが動くことで大陸が移動したり、地震が起こったりする、という説です。

この説によれば、海の底にあるプレートでは、沸き上がるマグマによって次々と新しい大地がつくられているそうです。新しい大地が湧き上がってくると、もともとの古い大地は端へ端へと押しやられていきます。…大地の世界も世知辛いようです。

この押しやられた古い大地は、長い年月の後に別のプレートとぶつかります。これ以上進めなくなった古い大地は、ぶつかった別のプレートの下に追いやられ、またマグマへと還っていくのです。

この“古い大地”と“別のプレート”がぶつかる時、“古い大地”は“別のプレート”にゴリゴリとぶつかりながら沈んでいきます。“古い大地”だって真っ平ではありません。当然、でっぱった部分もあります。このでっぱり部分は“別のプレート”の下に潜り込むとき、ゴリゴリとこそげ取られてしまうことになるのです。

こそげ取られた“古い大地のカケラ”は、更に長い年月をかけて少しずつ溜まっていき、やがて海上に押し上げられます。こうして、新たな大地が海上に表れるのです。

一体何の話を読まされているのだとお思いのみなさま、お待たせしました。つまり、こうしてできた大地が、吉野をふくむ紀伊半島のようなのです。

長い話を縮めていうと、日本に人々が住みはじめるより前に、はるか南の海底の土が運ばれに運ばれてできた大地が吉野だったのです。地理学の研究が、本当に吉野が海の彼方からやってきたことを、明らかにしたのです。

そう思うと、平安時代にあった“吉野飛来説”、これは嘘からでた真だったのでしょうか。それとも、むかしの人にはプレートテクトニクスがわかっていたのでしょうか。…まさか、いや本当に???なんとも魔訶不思議な物語、と申すほかないお話でございました。

さてさて。これにて、たくさんある“吉野飛来説”読み終わりでございます。次はどんなお話をご紹介しましょうか。いずれにせよ、また別のお話でお会いすることといたしましょう。

ネタ本

  • 大和大峯研究グループ著『大峰山・大台ケ原山』(築地書館、2009年刊行)
  • 首藤善樹・金峯山寺著『金峯山寺史』(国書刊行会、2004年刊行)

執筆者紹介

中東洋行 なかひがしひろゆき
吉野歴史資料館学芸職員
1986年、奈良県生まれ。大阪教育大学を卒業した後、関西大学大学院で考古学を勉強し、今は吉野町役場で文化財の担当や資料館学芸職員をしています。吉野はたくさんの物語がつむがれ、語られ、のこされてきた場所。ウソもマコトも、ウソのようなマコトやマコトのようなウソも。いろんな話が共存する、さながらシュレディンガーの猫箱の世界です。虚実いりまじる物語の世界で、さぁ次は何を訪ねましょうか。

最終更新日:2021/04/14

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