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茶筌の里・高山に新しい風。毎日が修行! 「茶筌師見習いと嫁」の奮闘記【前編】Interviewee:谷村圭一郎さん、ゆみさん

~編集者・徳永祐巳子のふむふむ人訪記~

編集者の徳永です。ふむふむ第5回はまたまた生駒へ行って参りました!

向かったのは、生駒市高山の「翠華園 谷村弥三郎商店」。茶筌の新しい使い方を提案する「SUIKAEN」として、「茶筌師見習いと嫁」として活動している若夫婦を訪ねました。

実は、茶筌を作り続けて42年目の伝統工芸士・谷村弥三郎さんは、14年前に前職で私が編集をしていた「naranto(ナラント)」という雑誌の取材でお世話になっておりました。雑誌を見返しながら、「懐かしいですね〜」と弥三郎さんと思い出話で盛り上がってしまいましたが、今回はその息子の圭一郎さんと嫁のゆみさん、そしてときどき弥三郎さんです。どうぞ!

若夫婦の谷村圭一郎さん(右)とゆみさん

徳永:まずは弥三郎さんに。今、茶筌や茶道人口はどのような状況下にありますか?

弥三郎:日本の斜陽産業として産地が半分から3分の1くらいになってきています。茶道の市場規模は約5000億円と言われていた時代もありましたが、今は1000億を切っています。茶道人口もピーク時の3分の1で、5年後にはその半分になると言われています。

徳永:私の周りには結構お茶をされている方が多いように思いますが、昔ほどではないんですね。今高山の茶筌の職人さんは何軒くらいですか?

弥三郎:もともと50軒あったのが、今は18軒に。ここ4、5年でも何軒か減っていくでしょうね。後を継いでも、継がなくても困る状態ですね。

徳永:どちらにしても心配ですね。谷村さんのところは、もともと息子さんが後を継がれる予定だったのでしょうか?

弥三郎:継がないなら、もうええかなという感じはあったんですけどね。

徳永:ではお二人に。今は「見習い」ということで活動をされているのですね。

ゆみ:そうですね。Instagramでは「茶筌師見習いと嫁」として発信しています。

圭一郎:茶筌をもっと身近に感じてもらいたいなと思ってこうしました。

ゆみ:私は嫁いできたときにすごく敷居が高いイメージしかありませんでした。それを少しでも親しんで欲しいなと思い、見習いと表現していたら、お客様からも「見習いくんと嫁ちゃん」と呼んでいただけるようになりました。お客様からはいろいろアドバイスもいただき、応援してもらえるようになりました。

圭一郎:お客様との距離が縮まるようになりましたね。

徳永:見習いとして活動されたのはいつからですか? 

圭一郎:もともと神戸で勤めていたのですが、会社を退職し帰ってきました。僕は事務の仕事を手伝い、嫁は写真が趣味なので、写真や動画を通してビジュアルでしっかり伝えていくことをしていました。そして、2020年7月17日に新しく英字の「SUIKAEN」をスタートさせました。まだまだ修行の身なので毎日ひたすら茶筌づくりを練習しています。

徳永:英字にしたのはなぜですか?

ゆみ:茶筌という商品は変わらず、もう少しカジュアルに新しい提案をしていくブランドとして英語にしました。

圭一郎:茶筌も茶道も、お客様は大きく二つに分かれるんです。する人、しない人。イエスかノーか。イエスの人たちへのアプローチは今までのブランドで、ノーの人たちへのアプローチは英字で。イエスの人とノーの人を一緒にしてしまうと今まで買ってくださっていたお客様があまりいい思いをされません。でも、ノーの人からしたら敷居が高くて使えないので、その方たちへの提案を「SUIKAEN」でしていきます。

茶筌師を目指し、練習を繰り返す日々を送る

徳永:すみ分けですね。伝統を守りながらも時代に合わせて挑戦し続けていくことは大切ですね。新たな挑戦はどうですか? 

ゆみ:最初に新しいデザインとして色糸の茶筌を提案しましたが、そもそも茶筌を知らない方が意外に多くて。「どこが新しいんですか?」と言われ、茶筌の使い方からお教えする感じでした。私も茶道と無縁の家庭で育ちましたから何も知らない状態で嫁ぎ、使い方も保存の方法もわからない状態でした。お義父さんや職人さんから色んなことを教えていただくと、茶筌は変えることはできない、変えない素晴らしさがある。だから茶筌と何を変えていけばいいのかを考え、茶筌を使ったレシピを動画で配信したり、糸の色を変えるだけではなく、それぞれデザインの違う茶筌に名前と意味を付けました。意味を持つ茶筌を作り出してからは、プレゼントに選んでもらえるようになり、名前、糸の色、デザインで、季節に応じて購入していただけるようになりました。視野が広がったと思います。

徳永:商品に名前がついているんですね。

ゆみ:商品によってうれしいエピソードもあります。例えば「環(たまき)」。生まれてくるお子さまと同じお名前ということで、ご主人が奥様へのプレゼントに選んでくださったり、桜を見たら自然と笑顔になれるという意味を込めた「笑(えみ)」は、娘さんの合格発表の日にお祝いの意味を込めて一服をプレゼントしたいというお母様が購入してくださったり。

徳永:いいですね。人生のワンシーンに高山茶筌が登場しているのですね。

圭一郎:元々季節感のないもので、茶筌は茶道の中でも消耗品ですが、時間をかけて一つひとつ手で作られ、お茶の席ではお客様に対しておもてなしを表現する道具として使われているものです。もっと身近なものとしても使っていただきたいです。

徳永:お茶をしていなかったら使うことがないのですが、プレゼントに喜ばれるとか、新しい使い方を知れば、必要性を感じます。

圭一郎:そうですね。僕はこの家で暮らしていたので茶筌は当たり前のものでした。でも嫁は、新しい使い方の提案をしてくれています。今は女性が企画してデザインして世に出ているものが多いじゃないですか。僕ももうおじさんの部類になってきたかもしれませんけど(笑)、元々センスがないので、女性が主になって英字の「SUIKAEN」は動いている感じです。親父は伝統的な茶筌一筋で真剣に茶道を取り組まれている方々をターゲットにして、ご要望に対してお応えさせていただいております。それに対して今からの市場は、お客様からの要望を汲み取り難いため、こちらからアピールしていかないといけません。茶筌は日常になくても暮らしていけるものだし、だからこそそれを魅力的にどうアピールしていくかというのは、全く僕にはできないことなので、嫁に丸投げしています(笑)。

徳永:当たり前の中で暮らしていると、そのすごさってわからないことはありますね。色糸やデザインの工夫はどのようなものがありますか?

圭一郎:特徴的なものでは、チャームを付けた茶筌です。最初反対はありましたけど。

ゆみ:海外の友達のプレゼントに、日本をイメージできる桜のチャームをこっそりと付けたのがきっかけです。最初は反対されましたが、茶筌がお茶室でしか使えないのはすごくもったいないと思いました。お抹茶が好きな人が、普段もおうちで飲めるといいなと思います。色糸の提案も、自分の茶筌を色で見分けられるといいなと思ったのがきっかけです。

徳永:ベースとなる茶筌自体はちゃんとしたもの。そこにアレンジを加えておられるのですね。

ゆみ:お茶を点てるときに上から見たらお花が開いているように見えるようなデザインや、電車が大好きな方には、水色と白の糸を使って新幹線をイメージしたものを納品したこともあります。

圭一郎:僕にはそんな発想できないですからね。

徳永:その中でも大切にされていることはありますか?

ゆみ:やはりお話をしないと直接茶筌の良さを伝えられません。だからお客様に注文していただいた時にじっくりと時間をかけるようにしています。一本の茶筌を作るのに、お話を聞いてからデザインを考えているのですが、コロナが落ち着いて私たちももっと上手になったら、直接お会いしてお話を聞きながら、その場で作ることができればいいなという目標があります。

徳永:伝統工芸士と認められるまでには時間がかかるものですよね?

ゆみ:昔から面取りという刃物を使う工程までは男性の仕事で、それ以降の編みの部分からが女性の仕事です。でも私たちはお互いにまだまだ修行の身なので練習中です。編みについても私が試し編みをして、職人さんにバトンタッチをして作り上げてもらっていますので。

伝統工芸師・谷村弥三郎さんの手仕事。写真は面取り作業。

弥三郎:昔は、伝統工芸士になれるまで20年かかりました。今は実務経験12年以上でなれます。でもこれは独自のものだから継ぐことはできないんです。死んだ時点で終わり。私もサラリーマンを辞めて24歳から茶筌を作り始めましたけど、作れば作るほど売れていたし、茶道人口が増え続けていた時代です。でもどんどん海外製が出てきて。今では日本で経産省が認定している伝統工芸品は236品目ありますが、そのほとんどが中国で作られるものと言われています。安いものでいいならいくらでもありますが、産地の精神性や歴史のことをどう伝えていけるかがポイントになってきます。今までの職人にはそれはできなかったことです。作り手は作ることに一生懸命になって、工夫や提案をしなさすぎたのかもしれませんね。だから英字の「SUIKAEN」が必要な時代だと思います。これからの時代、それを必要とされるかにも関係してきますが、ライフスタイルのあり方をもっと知り、茶筌のある暮らしを提案していってもらえたらと思います。

徳永:今安いものもあふれていて、もちろんそれを買うこともありますが、心が満たされるかというと、そうでもなかったりします。それは奈良に住んでいるから思うことなのかもしれませんが、長年その土地でそこの職人さんが手で作られたものは特別に愛着がわきます。そういうモノを大切にしたいという人が増えるといいですね。ところで、海外にもお友達がいらっしゃるとのことですが、海外からよく注文が入るのですか?

ゆみ:多いですね。

圭一郎:一番離れたところからは南アフリカ共和国から注文が入りました。最近かなりうれしかったことです。

徳永:すごいですね。

圭一郎:高校の時は全然英語ができなくて。親父が当時同時通訳の必要性を感じて企画していた「茶室で英会話」の先生に英語を習っていました。海外へ行って勉強した方がいいと進められて。高校を卒業してからアメリカへ留学していました。

ゆみ:私も追いかけていって……。実は私たち高校の同級生なんです。みるみるうちに彼が英語を話せるようになっていく姿を見て、私もオーストラリアへ留学しました。

徳永:長いおつきあいなんですね。そしてお二人ともに英語で対応されているのですね?

圭一郎:そうですね、今心がけているのは、注文の時は相手もこちらも不安なので、まずはフェイスタイムなどで顔を見てお話しをしています。何か問題が起これば時差はありますが連絡をとって解決しています。日本人でも茶筌の種類やプロセスをご存知ない方がおられるのですが、海外の方はさらにご存知なくて。できるだけ言葉を尽くして、顔を見てお話しをして説明しています。

ゆみ:独特な茶道の表現を英語で海外のお客様にお伝えするのは難しいのですが。

徳永:その方たちは、何をみて注文されているのですか?

ゆみ:SNSを通して、自分から仕事を探したり、ご紹介していただいたり。知らないところでお客様が宣伝してくださることもあります。

徳永:口コミはいつの時代も変わらない最高の宣伝ツールですね。

ゆみ:元々保育士をしていてインターナショナルスクールで英語を教えていました。他にも算数、世界史、理科の授業はありましたが、実は日本のことは教えていませんでした。世界に通用する子を育てる目的だったはずなのに、海外で日本のことを説明できる教育ができていなかったのが悔やまれます。茶筌と抹茶さえあればどこででも日本を演出できます。軽いし、ポケットに入れて持っていけるものだから。私もいろんな国を旅行してきましたが、今なら茶筌を持っていってみんなの前でお抹茶を点てることで、空間を一気に日本にできると思っています。そんな簡単なものなのに、今知らない子の方が多い、しかも教えられる人もいない、それがすごくもったいないなと感じています。小さな子ども達が自分の国の文化をよく知り、誇れるものがあれば自信にもつながると思います。茶筌って奈良のものなのにほとんどの人が京都のものと思っておられますしね。子ども達に伝えていく責任があると思っています。

徳永:語り継いでいくことの大切さを感じます。知ってもらって、その人の中に残っていくといいですね。

(記事・徳永祐巳子)



茶筌師見習いの谷村圭一郎さん:1986年10月15日、生駒市高山出身。嫁・谷村ゆみさん:1986年7月17日、奈良市出身。神戸から圭一郎さんの故郷・高山に戻り、2020年7月から高山茶筌の新しい提案を「SUIKAEN」としてスタート。「SUIKAEN」は、今までにない「伝統を楽しむ」をコンセプトにした新しい茶筌ブランド。Instagramなどを通して、茶筌の使い方、美味しいお抹茶の点て方などを配信中。親子で参加できる茶筌づくり体験も受付中。

https://www.instagram.com/suikaen_takayamachasen/

最終更新日:2021/06/18

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