~編集者・徳永祐巳子のふむふむ人訪記~
後編は、高山での暮らしの中にある息子さんとの幸せエピソードからお楽しみください。(前編を未読の方はこちらから)
徳永:Instagramにもあげておられましたけど、お抹茶を朝ごはんにされているんですか?
ゆみ:すごく上手に点てられたお抹茶は美味しいと思うんですけど、何よりも息子が点ててくれる美味しくないお抹茶が一番美味しいんですよ。
徳永:息子さんはおいくつですか?
ゆみ:3歳と5歳で、3歳の息子が点ててくれます。
徳永:えー、すごーい!
ゆみ:バシャバシャしちゃうので大変なんですけどね。「ママ、どうぞ」ってしてくれる時は、私、世界で一番美味しいと思います。抹茶とカルピス混ぜてきたりするんですけどね(笑)。
徳永:え??どんな味ですか?
ゆみ:「うわっ」となるんですけど、美味しく感じるんですよね。
徳永:その投稿を見て私も愛を感じました。暮らしの中の幸せだ〜と、ほっこりしました。
ゆみ:茶筌って点てる人の気持ちを込められるお道具で、茶筌は作るのにすごく時間がかかっていますので、愛着が湧いてきて茶筌に顔が見えるようになってきました(笑)。
徳永:え、どういうことですか!?顔ですか?
ゆみ:目がついていると感じるくらい愛着がわくんです。お客様に送る前にもこんなお客様だからねと、茶筌にお話をするようになって、いろんな思いがこもっているお道具だなと思います。手に取るお客様が大切な方のために一服を点てるもの。乱暴にすれば茶筌は折れてしまうし、でも力を入れなかったら泡立たない。私の息子は一生懸命「泡立たへん、泡立たへん」って点ててくれるので、飲んだら口の中に穂が広がるんですけどね(笑)。でも徐々に彼も成長していて、穂が折れていると気づけるようになってきました。普段使うお箸も全部人が手で作っていると思っています。多分茶筌を作るおじいちゃんの姿を見ているから、モノに対する思いやりを持てる子になっているんだなと。そんな姿を見ていたら、私もここに来て、知らないことが多くて怒られたりもするんですけど、一生懸命覚えようとなっています。理解できないことも、なぜかを聞くと全部に理由があって、その意味を知ると、茶道は日本人の原点で、究極のおもてなしや思いやりが詰まっているんだなと。茶筌も茶杓も柄杓も、ただの竹ではなくて、使う人、おもてなしをする人のお手伝いをさせてもらうお道具を作っているわけで。だから、自分が自分の息子に点ててもらって幸せになるように、そういう人がいっぱい増えたらいいんじゃないかなって思います。
徳永:いいお話です。でも、今、カルピスと抹茶がまざるとどんな味かを想像しているところです。
ゆみ:めっちゃまずいけど、それも私のなかに思い出として残っています。朝から、今日も頑張れるって気持ちになります。
徳永:何よりですね。それが日々の暮らしの中にあるというのが最高すぎます。
ゆみ:真似して「こうでしょ?」って、バシャバシャ(笑)。
徳永:お抹茶を点てている姿や、おじいちゃんが茶筌を作っている姿を見て、自然と身についているんですね。
ゆみ:息子の夢は、お寿司屋さんか茶筌屋さんなんです。
徳永:茶筌屋さんもちゃんと入っていますね。
ゆみ:最初は茶筌屋さんだったんです。どうしてなりたいのって聞くと「おじいちゃんが作っているから」と。お寿司屋さんはなぜかというと、「食べる人が嬉しくなるから」と。作る人に憧れを持っているようです。
徳永:喜んでもらいたいんですね。
ゆみ:喜んでもらえるために作るっていうのを見ているからなんでしょうかね。おもちゃとかでも、作ったら見せたがるんですよ。「ママこれ見て、嬉しい?」って聞いてきます。誰かのために、という思いがあるんでしょうかね。
徳永:かわいいですね。
ゆみ:茶筌は点てたあと、お湯で濯いで終わりなんですね。洗剤とかも使わないので。これってすごくエコだし、今子ども達に教えないといけないSDGsですよね。今、SDGsをするために、新しいものを作るにもお金をかけるじゃないですか。でも、530年ほど前から同じ作り方で、進化できてないと思っていたんですけど、それを守ってきてくれたから、今子ども達に何が大事かを教えられるきっかけになっていると、自分の息子を見ていて思いますね。
徳永:本当にいいお話です。
弥三郎:茶道人口が減っていくのは目に見えていますからね、どんどん減っていきます。今動いているのは70代、80代の人たちで、60代の人たちが10年後に続けてくれないことには減っていきます。それが目に見えている。せやから、今お茶をしていない人が普通に茶筌を使ってもらう環境をどう作るかが大切になってきていますね。だから、家で一度お抹茶を点ててみようと思ってもらえる人が増えたらうれしいですよね。
徳永:そうですね。自宅で一度やってみて、お茶を極めたい人は、茶道を学んでいくという風になればいいですよね。
ゆみ:はい、入り口になればと思います。私の父の話ですが、ビールは好きですがお抹茶は飲まない。この前、抹茶を点ててビールの中に入れて飲んでもらったら、「こんな美味しいビール飲んだことない」と言ってくれて。目の前で点ててもらったことが特別だったみたいです。
徳永:息子さんがゆみさんに点ててくれたものと同じですね。
ゆみ:はがゆかったんですけど、美味しいならまたしてあげようって思いました。すごく褒めてくれたので、やっぱり自分もうれしくなって、その後にじゃあどうしたら美味しく点てられるかを考えるようにもなりました。ソーダに点てたお抹茶を入れてアイスクリ―ムをトッピングしたらクリームソーダみたいで美味しいし、抹茶ハイボールもオススメです。それだけでも一品になります。目の前で点てて、「どうぞ」とお渡しするスタイルがいいなと思っています。
徳永:その人のためって感じですね。
ゆみ:もう震えます。こんなに何かをしてもらって嬉しくなるものがあるってことも知らなかったし、それを作るところに嫁いだっていうのも今は嬉しく思います。最初はやっぱり、高山か……という感じがあったので。
圭一郎:元々、神戸に住んでいました。
ゆみ:高校の時に一度送ってきたことがありますが、結婚する前に来た時もびっくりするくらい何も変わってなかったですね。
徳永:国道163号沿いの交差点が新しくなったくらいですか。
圭一郎:あとは電車が通りましたね。
ゆみ:周りから「高山へ行くなら、パスポートいるやろ?」と、からかわれたりしたのがしんどかったです。頭の中では、パスポートより、タイムマシンだろって思っていました(笑)。でも、ここにきて今では息子達にもここに住んでもらいたいと思うようになり、息子達が自慢できるような高山にすればいいのかなって。今は、息子達も高山が大好きなので、その大好きが大きくなった時に、みんなに伝えてくれたらうれしいです。
圭一郎:この土地の役割みたいなものが、きっとあるなと思っています。
徳永:来るべきお嫁さんが来たって感じですね。
ゆみ:でも、よく怒られています。私堪えなくて、ポジティブすぎるので、申し訳ないですけど。
徳永:でも茶筌への想いや、高山への想いを持っておられるから、大丈夫です。
圭一郎:畑をやりだしているしね。
ゆみ:するとは思ってなかったんですけどね。今だに虫は嫌いです。触りたくないからって手袋して、全部隠して畑に行っています。畑を始める前は、家から出ずに、嫌だな、帰りたいな、神戸がいいなと思っていた時もあります。
圭一郎:神戸は良かったからね。
ゆみ:大好きな街でしたね。でも、これじゃちょっとよくないなって、ちょっとでもお手伝いをしようと思って、草むしりを始めました。どんどん生えてくるから、それなら、食べられるものを植えたらポジティブなれるかなと思うようになりました。そうしたら、近所の人がすごく話しかけてくれるようになって、自分も楽しくなってきて。四季を楽しめるようにもなりました。
徳永:神戸にいたらなかなか経験できないことですね。
ゆみ:悲しいこともあります。高齢の方が多いので、元気だった人が急に亡くなったりすることもあるので、私も息子も周りの人を大切にするようになりました。本当にいろんなことがここでは学べているなと思います。神戸にいたら、隣に誰が住んでいるのかさえもわからなかったので。
圭一郎:そうですね。コミュニケーションをとるようになりましたね。あと、四季も感じるようになりました。神戸の四季は冬のルミナリエ、夏の須磨海岸。めっちゃ華やかさはありますけど。
ゆみ:お店のデコレーションで四季を感じていましたね。
圭一郎:ここでは、雨の匂いや樋を伝う雨水を見て、ああ梅雨が来たなって思います。
ゆみ:私にはまだわからないんですけど、お義父さんは「明日は雨が降る」と言い当てますからね。四季の変化を全身で感じることができるのも伝統の技を守る高山の良いところだと思います。
弥三郎:匂いと湿度が関係しますからね。
ゆみ:すごいなと思います。雨の匂いとか、前日にわかりますか? 秋の匂いとか言われても、秋の匂いって何かもわからなくて。
圭一郎:四季の匂い、僕はわかります。
徳永:それはやっぱり、ここに住んでいたからですね。
ゆみ:私はわからないです。お芋の匂いとかやったらわかりますけど。草で感じられる、自然から感じられるってすごいなって思います。
徳永:私も山で育ったので、それはなんとなくわかる気がします。圭一郎さんは、住んでおられた土地にまた戻ってくるというのはどうでしたか?
圭一郎:元々全然違う分野のメーカーでサラリーマンをしていたんです。自分じゃないとできないことを見つけたかったんですが、それを見つけることが出来なかったですね。親父が選択肢を作ってくれていたので、後を継ぐことに。おじいちゃんも親父も僕に継げとは言ったことがないんですよ。僕も継ぐ気はなかったんですけどね。でも、土地の役割であったり、人の役割であったりを大切にしたいと思います。僕も息子に選択肢を作ってあげておきたいなと。僕もおじいちゃんや親父と同じように、お前の好きにしたらいいよって言うと思うのですが、自然に継ぐんじゃないかなって思います。でも、親父の時より、僕の時の方がハードルは高いと思うし、今でも金銭的な面でいうと大変ではあります。
徳永:渋い顔になってますよ〜。
ゆみ:すごい決断でしたね。
圭一郎:でもお金じゃない人生の豊かさがあるということも息子達に教えないといけないなと思っています。親父は仕事ありきの家族でしたけど、僕は家族がいて仕事をしなければいけないと思っています。その中で僕が死ぬまでに教える役割が、きっとこの茶筌を使って教えることなんだろうと思っています。
ゆみ:その時は確かに満たされていたとは思うんですけど、子どもを見ていると、こっちで良かったなって思います。今コロナで、うちの子はめっちゃ手を洗うし、マスクも絶対にするんですよ。すごい嫌がっていて。なぜかというと「おじいちゃんや職人さんがいなくなったら大変じゃん、いなくなったらいやだもん」と言うんです。コロナにかかると病気になっちゃうもんと。一人ひとりを見ているんだなと、やさしい子に育っているなと。
圭一郎:ここで働いているおばちゃんに僕はおむつを変えてもらっていたので、そういう人たちと一緒に暮らしたいなと思ったのも戻ってくる理由の一つですね。
ゆみ:息子からすると家族が増えた気持ちでいると思います。
圭一郎:楽しそうやもんね。
ゆみ:毎日必ず会ったりしますからね。
徳永:そういう環境でお子さんを育てられるって本当に幸せやと思いますよ。
ゆみ:最初は楽しいって思えなかったんですけどね。神戸だと習い事もいろんな選択肢があったし、子どもはスケボーが好きだから習わせていたんですけど、ここは危なくてスケボーは絶対できないし。
圭一郎:田んぼにハマっちゃいます。
ゆみ:小学校でも1クラスで中学3年生まで一緒です。でも、だからこそ、人のことを大事にできるんじゃないかなって思います。茶筌屋さんだから、最後はいいのを作らないといけないっていう目標はあるけど、後継いでもらえなかったら、ここが終わっちゃうから、子ども達にバトンタッチできるようにしたいというのも目標になっています。
圭一郎:でも、それを選択するのは子ども達だから。その選択肢を作るのは、おじいちゃんが親父にして、親父が僕にしてくれたことなので、そこは自然な流れだと思います。
ゆみ:神戸にいる時に、周りのみんなから「ゆみちゃんのお義父さんテレビに出てはったよ」とか「すごい」って言われることが結構あって、「茶筌師ってすごいよね。誰にでもできることじゃないよ」って言ったことがあるんですけど、継ぐと聞かされたときは、ちょっと戸惑いました。絶対に継がないって言っていたので。
圭一郎:理想と現実のギャップは激しいですけどね。
徳永:伝統工芸の世界も、自分たちの暮らしも守らないといけない。伝統工芸の世界は大変かもしれませんが、自分が何をしたいのかにしっかり向き合いながら仕事も暮らしも大切にしていけたらいいですね。
ゆみ:今後は茶筌のことを絵本にして子ども達に伝えていきたいと思っています。高山茶筌のことだけを宣伝しても魅力を感じてもらえないなと思うので、地域のことも一緒に発信していきたいです。あと、奈良にはカフェが少ないとおっしゃる方が多いのですが、カフェがなければ野点をすれば良いと思っています。折り曲げ茶杓もあるので、お湯と茶筌とお抹茶と茶碗を持ってでかければ、自然の中にカフェができます。
徳永:それ最高のカフェですね!
【編集後記】
取材を終え、実際に編みと穂先を整える作業を体験させていただきました。細い穂の間に糸をかけていきます。編んでいる最中、カメラマンから「徳永さん、険しい顔してます」と注意を受けるほど真剣にならざるをえない作業。力加減も難しい。茶筌は、竹選びからはじまり、片木(へぎ)、小割(こわり)、味削り、面取り……と、全て手の込んだ作業。一つひとつの工程の積み重ねで仕上がりの表情も変わると教えていただきました。竹と糸だけでできている茶筌。シンプルですが、気が遠くなるほどに繊細な手仕事です。超贅沢な消耗品。だからこそ一服一服がかけがいのない時間になるんだろうと思います。
新しい挑戦を始めるにもかなりのご苦労があったということでした。でも、高山に帰ってこられてからのお仕事や暮らしの中の思い出話には、幸せが溢れています。人として大切にしたい心も一緒に学んでおられます。これからまだまだ大変なこともあるとは思いますが、頼れるお父様や職人さん、息子くんたちの成長とともに、ポジティブに捉えられるお二人が力を合わせて新しい高山茶筌のスタイルをつくりあげてくれるのだろうと楽しみでいっぱいです。
これからのご活躍、応援しています。がんばってください!
(記事・徳永祐巳子)
茶筌師見習いの谷村圭一郎さん:1986年10月15日、生駒市高山出身。嫁・谷村ゆみさん:1986年7月17日、奈良市出身。神戸から圭一郎さんの故郷・高山に戻り、2020年7月から高山茶筌の新しい提案を「SUIKAEN」としてスタート。「SUIKAEN」は、今までにない「伝統を楽しむ」をコンセプトにした新しい茶筌ブランド。Instagramなどを通して、茶筌の使い方、美味しいお抹茶の点て方などを配信中。親子で参加できる茶筌づくり体験も受付中。
https://www.instagram.com/suikaen_takayamachasen/
市松模様には途切れることのない繁栄という意味があり、
「一服のお茶から皆様のご縁が美しい市松柄のように広がりますように」と想いを込めて作られた茶筌。
最終更新日:2021/06/19