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「奈良での様々なご縁のおかげで楽しく生きられている」奈良移住者インタビュー:着付士 佐保山素子さん【前編】

~なぜ奈良に? あの人の来寧記~

奈良移住者の方に移住ストーリーや奈良への思いなどを伺い、外からやってきた人視点での奈良の魅力をお届けする企画「なぜ奈良に? あの人の来寧記」。第7回となる今回インタビューしたのは、着付士として活動する佐保山素子さん。

佐保山さんは愛知県に生まれ、奈良女子大学進学を機に奈良に移住。そのまま奈良で就職し、東大寺塔頭・宝珠院の住職を務める佐保山家に嫁ぎました。2018年から着付士として活動を始め、奈良から着物の魅力を発信しています。

取材時は宝珠院を訪問。大学卒業後も奈良に住み続けた理由や、着物の世界に邁進するようになった背景など、お話を聞きました。前編・後編の2本立てでお届けします。

伝統文化の世界に囲まれて育った。幼少時から奈良との関わりも

佐保山さんの出身は愛知県。初めて奈良に来たのは3歳の頃だったそうです。

佐保山:「両親に連れられて、古社寺建築を巡るバスツアーに参加して、お水取りの時期に奈良に来たんです。でも、当時の私はおもちゃの人形がもらえるから参加していたようなもので、古社寺にはまだ興味はなく……入っちゃいけないところに入ってしまって、すっごく怒られた記憶しかありません(笑)。

両親は建築の仕事をしていて、学生の頃に勉強の一環で奈良に来ていたみたいです。父からは日吉館に滞在していた話も聞いたことがありますね。二人とも、お寺など古い建築にも興味があり、3歳のバスツアー以降も奈良に家族旅行に来ることは何度かありました」

奈良との関わりを少しずつ重ねながら、佐保山さんは伝統文化に親しむ子ども時代を過ごします。

佐保山:「5歳から日本舞踊を習い始めました。きっかけは、バレエスタジオの広告を見たこと。『踊りをやりたい!』と親に伝え、連れていってもらった先が、母の知人の娘さんが通う日本舞踊の教室だったんです(笑)。

最初は『思っていたのとちょっと違うかも……』と思いましたが、浴衣を着て、先生の踊りを真似して毎週踊っているうちに、先生に踊りを習う時間や着物を着ることが大好きになって、結局20歳過ぎ頃まで続けましたね。

また、しきたりや決まり事がある世界にも自然と馴染んでいきました。日本舞踊には様々な流派があり、そのグループごとに決まっていることがあります。そうした決まり事に倣うことでそのグループの一員になれるという環境で小さな頃から学びました。この経験から、グループごとの決まりを尊重して受け入れるという、伝統ある世界に触れる土壌ができたと思います」

奈良の景色に惹かれて奈良女に進学。奈良を楽しみつつ進路を模索

佐保山さんが奈良に移り住んだのは2002年。きっかけは大学進学でした。

佐保山:「進学にあたって、私は実家を出たいと思っていたのですが、両親は実家から通える大学を目指してほしいと希望していました。そこで浮上した候補が奈良女子大学。実家から奈良までは通える距離ではありませんでしたが、奈良は両親も好きで親しんでいた土地なので、『奈良女だったらいいよ』と言ってもらえて。

大学を見に来た時、正門から記念館が見える景色や、メタセコイアの並木など、キャンパスの様子がすごく素敵で魅了されました。また、佐保川沿いを歩いてみると、お地蔵様がすごく丁寧に祀られているところも目にして感動しました。お地蔵様を大切に維持していくには多くの人の手が要るので、丁寧にお祀りされているのは、町の人みんなが同じ思いでお地蔵様を守ってつないできたということですよね。そんな奈良の景色を見て、『なんて素敵なところなんだろう!本当にここに来よう!』と決めて、奈良女に進学しました」

進学後は大学の近くに住み、新生活がスタート。新天地・奈良を楽しみつつ、自身が向かう方向を模索する時間が始まります。

佐保山:「当時はまだ将来の目標が定まっていなくて、絶対に大学の間に決めよう!と固く誓っていました。そこで、地元の日本舞踊の教室に通い続けながら、奈良で興味のあることを色々やってみましたね。

まずは色んな年中行事に足を運びました。父から『おん祭の遷幸の儀には絶対行け』と言われていたので、どんな行事なのか調べて見に行って、鳥肌が立つほど感動して。そこから他の行事のことも調べて、お水取りの聴聞にも通いましたし、5月2日には東大寺天皇殿の拝観にも行きましたね」

佐保山:「とてもお世話になったのが、奈良市高畑町にあるタイ料理店のRAhOTSU(ラホツ)。接客や調理のアルバイトをしていました。古代チーズの『蘇』を提供する時に『蘇がさらに煮詰まると醍醐になります。この醍醐はこの上なくおいしいので、最上のものを味わうことを“醍醐味を味わう”って言うんですよ!』というところまで、1セットでお客様に毎回説明していたことをよく覚えています(笑)。

RAhOTSUに来店されたお客様とのご縁から、お寺でライブをするイベントなど、奈良の色々なイベントのお手伝いもしましたね。チラシを置いてもらえるよう、町中を歩いてお願いして回ったことも。こんな風に興味を持ったことに関わっていくうち、町の人との関係がだんだんできていきました。

ちなみに最近も、着付けのチラシを置かせてもらいに近隣のお店に伺ったら『もっちゃん、元気~?』と温かく迎えていただきました。今でも交流のある大切な方々です」

「日本家屋に暮らす」目標を胸に抱き、奈良での暮らしを続ける

興味の赴くまま、奈良で様々な世界に目を向けたり行動したりする中、大学卒業の時期が近づいてきます。その時、佐保山さんの頭をよぎったのは、入学時に自身の心に決めていたことでした。

佐保山:「『大学の間に絶対に人生の目標を決めよう!』と決心していましたが、目標が定まらないまま卒業のタイミングが近づいてきてしまい、『もう期限が迫っている!』と正直焦りました。

そこで、卒業間近に駆け込むような形ではありましたが、将来の目標を決めました。それは、『日本家屋で暮らすこと』。幼少時から大学在学中までの色々な経験を振り返り、日本舞踊をずっと続けてきたからか、やっぱり私は着物が好きだなと。そう思った時、おばあちゃんになった自分が日本家屋で着物を着ている姿がイメージとして湧いてきたんです。

この目標を目指して、大学卒業と同時にお茶を習い始めました。お作法やしつらえの仕方など、日本家屋での暮らしに活かせることが学べるかなと思って。週に1回、着物を着てお稽古に通うようになりました。当時は『この世界で仕事を』とは考えていなくて、あくまでも目指すべき人生の道しるべだと思い、趣味として取り組んでいました」

佐保山さんは就職活動をせず、在学中にアルバイトをしていたRAhOTSUに正社員として就職。これは、奈良での暮らしを続けるための選択だったといいます。

佐保山:「ありがたいことに、町の人との関係がたくさんできていたので、そのご縁を手放すイメージがなかったんです。あとは、夏はむし暑く冬はすごく寒いという奈良の風土が身体に合っていると感じていましたし、奈良盆地が『ここに居ていいよ』と懐深く受け入れてくれるような不思議な感覚も抱いていました。人間関係や自分の体感などを総合して、大学卒業後も奈良で暮らし続けることを選び、RAhOTSUで引き続きお世話になることになりました。

RAhOTSUでは数年、飲食業に従事した後、会社が新規事業として立ち上げた旅行事業にも携わり、奈良各地を巡るモニターツアーの企画運営をしました。まずは自分たちで飛鳥などを下見して、『ここはご案内したい!』と思う場所をピックアップしてツアーを作り、春日山原生林や田原をご案内しましたね」

佐保山:「ご縁あって働かせていただき、やりがいも感じられる、好きな職場でした。ですが、この仕事に限らず、やっぱり働くことって大変な時もありますよね。そんな思いを共有できる、奈良で働く同世代の仲間が欲しいと思って、異業種交流会を企画したことも。

奈良ホテルや奈良の鹿愛護会など地元企業・団体の方や、県庁の職員さん、マスコミ関係者など、幅広い業界業種の人たちが集まってくれました。『奈良の好きなところを発表する』などお題を決めてトークをしたり、時には学生のようなノリで遊びに行ったりして、交流を深めました」

「日本家屋に暮らす」という目標を胸に抱きつつ、大学卒業後も奈良に住み続けることを選び、学生時代以上に奈良の人とのつながりをさらに広げていった佐保山さん。「日本家屋に暮らす」目標だけに邁進せず、仕事や町の人との交流など幅広い方面に精を出していきましたが、この後、思わぬ形で目標が叶うことになります。

後編に続きます。後編では、東大寺塔頭の住職家に嫁ぎ、着付けの世界に開眼していくお話について語っていただきます。

(取材・文:五十嵐綾子 写真:北尾篤司)

もも着付け
https://ameblo.jp/mottoko1984/

最終更新日:2023/09/25

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