奈良、旅もくらしも

わかりやすくはないけど、奈良の文化はやっぱりすごい-インタビュー:合同会社ほうせき箱/SOUSUKE代表 平井宗助さん【後編】

柿の葉を使った様々な商品を手掛けるブランド「SOUSUKE」の代表であり、奈良のかき氷人気をけん引する「ほうせき箱」の共同経営者でもある平井宗助さん。前編では、奈良で過ごした幼少期や家業の「平宗」のことについてお話を伺いました。後編では、平宗での奮闘や現在の事業についてじっくりお聞きしていきます。

前編を未読の方はこちらをご覧ください。


様々なイベント運営に奔走

JC(奈良青年会議所)に入会して最初に経験したのは、なら燈花会事務局でした。就職活動の際は「イベント関係の仕事がしたい」と思っていたくらいですから、自分が奈良のイベントに関われることになって嬉しかったです。

ただ、開催期間の8月だけ頑張ればいいのかと思いきや、これが大間違い。事務局は1年を通してたくさんの作業がありました。広大な奈良公園一帯で行う大きなイベントですから当たり前なんですが、外から憧れている時にはわかっていなくて。当時はまだ、自分の仕事の時間を調整してボランティアに充てる時間をつくることができませんでした。入会2年目からは事務局を離れ、燈花会期間中のイベント運営のみの参加となりましたが、1つのイベントを作り上げるのはこんなに大変なものかと痛感しました。

2010年の平城遷都1300年祭開催を前に、奈良では現在に繋がる様々なイベントが立ち上げられていました。2010年からスタートした冬のイベント「なら瑠璃絵」や、同年に開催された第1回の「なら国際映画祭」は中心メンバーとして関わらせていただきました。

参加したイベントでは主に組織管理(事務局)や広報に関わることが多かったです。事業予算やタスクの管理、ホームページの立ち上げ、メディアミックス広報などなど、作業は多岐にわたりました。学生時代からのイベント好きや会社でパソコンを使っていろいろなものを作った経験が、思いがけないところで重宝されたんです。

平城遷都1300年祭が開催される以前に行われていた平城遷都祭というお祭りでは、実行委員会の食のブースを担当していました。不思議なご縁ですが、そこでかき氷を販売したこともありました。2010年の平城遷都1300年祭では専門家に協力いただき、古代食を再現する体験ブースを担当しました。

2015年にJCを卒業するまで、様々なイベント運営に関わることができました。ここでの出会いが仕事に繋がったこともありましたし、なによりも地域とのご縁が一気に広がりましたね。組織を俯瞰することで自分の強みや、弱みが明確になったのも大きな収穫でした。

地産地消の取り組みと葛藤

平城遷都1300年祭が開催された2010年、平宗は過去最高益を記録しました。翌年、父の「これやったら、もう代わってもええやろ」の一言で、私は社長に就任することに。しかしこのタイミングで東日本大震災が発生し、業績は一気にどん底になってしまいます。

柿の葉ずしが商品として広く世に出て50年。競合メーカーが増えて関西のマーケットは飽和しつつあり、このままではいけないという危機感がありました。新しいマーケットを作り、工場の稼働率を上げ、売上を伸ばしてくために様々な試行錯誤を続けました。

新たな機械を導入し、冷凍の柿の葉ずしや無添加の商品ラインの開発も行いました。今まで他社が展開していなかった食品商社や、関東の生協、百貨店、駅ナカ催事など、マーケットの開拓も積極的に行いましたが、すぐに結果は出ませんでした。

社長に就任する数年前から、「地産地消」にも取り組んでいました。地域で生産された農産物を生産された地域で消費する。この考え方は今となっては当たり前になりましたが、実際に地域産の食材が安定して手に入るようになるまで随分と時間がかかりました。

平宗でも、それまで寿司に最適とされてきた産地を選ばないブレンド米から奈良県産のヒノヒカリ100%に切り替えるなど、少しずつ地元の素材を使う方向にシフトしていきました。時代が変われば、お客様の好みも変化していきます。昔は水分量が少なく、お酢をしっかり吸ってくれる古米がいいとされていましたが、次第に新米のもっちりとした食感が好まれるようになっていました。お米を切り替えることは、そうしたニーズの変化に対応する意味でも合理的だったんです。

すしを包む柿の葉も奈良県産100%にと考えましたが、これはとても難しい取り組みでした。それまでは県外で加工済の葉を仕入れていましたが、奈良県産の葉を使うためには自社で塩漬け加工を行わなくてはなりませんでした。吉野本店のみ地元の葉っぱを調達していたものの、全社10数店舗という規模になると、加工のためのスペースや手間が膨大になります。結局は断念することになるのですが、柿の葉という素材の可能性に気づかされたのもこの時でした。

運命を変えたかき氷との出会い

地産地消という言葉が広まり始めたころ、奈良ではまだ地元産のものを手軽に味わうのは難しい状況でした。店で大量に扱うとなるとなおさらです。そんな時に出会ったのが「おちゃのこ」さんでした。

当時私は「食ゆき奈良」という団体にも参加していました。平城遷都1300年祭で食の体験館を担当したメンバーで結成したんです。そこで奈良の食をテーマにお茶のツアーを企画することになりました。おちゃのこさんがお茶を扱っているお店でしたので、メンバーに入っていただいたんです。

おちゃのこさんは、奈良でいち早く地産地消を取り入れたお店のひとつです。例えば、焙煎大和茶(ほうじ茶)のラテは香ばしくて美味しい、しかもオシャレ。「こんな地産地消の形があるのか」と新鮮でした。さらにインパクトがあったのがかき氷です。現在のようにかき氷が注目される前から、自家製シロップを使ったかき氷を提供して評判になっていました。奈良生まれのイチゴの品種「あすかルビー」をフリーズドライにしたイチゴミルクのかき氷が、それはもう絶品で。氷のふわふわ感も素晴らしかったですね。自分が知っている昔懐かしい味とは全然違いました。

かき氷なら、シロップやトッピングの組み合わせで様々な食材を取り入れることができます。地産地消も実現しやすいのではないかと、いろいろなアイデアが湧きました。後に平宗法隆寺店でも柿シロップのかき氷を提供したところ、とても好評だったんですよ。このお店でかき氷と出会ったことが、私の大きな転機になりました。

奈良の氷文化とひむろしらゆき祭

おちゃのこさんはその後「第2回東京かき氷コレクション」に招待され、一気に全国区になりました。東京のイベントに奈良のお店がわざわざ呼ばれるなんて、滅多にないこと。有名店と肩を並べる活躍で、まさに快進撃でした。かき氷愛好家を指す「かきごおりすと」「カキゴーラー」といった言葉が生まれ、かき氷の楽しみ方がどんどん広がっていた時期でもありました。

ある時、おちゃのこの岡田桂子さんから「奈良でかき氷イベントができそうな場所をご存知ないですか」と相談がありました。東京かき氷コレクションの主催者が、関西でもイベントをやりたいと岡田さんに声をかけておられたそうで。そこで、奈良でいろんなイベントに関わっている私を思い出していただけたというわけです。

奈良で氷といえば、氷室神社。今までイベントでお声がけした実績はなかったのですが、かき氷コレクションならピッタリなのではと提案しました。奈良時代、春日野に氷池や氷室がつくられ、氷室の守り神が祀られたのが氷室神社のはじまりとされています。日本の氷のルーツに近い場所なんです。

毎年5月に行われる献氷祭は、氷を扱う業者が多く集まります。平宗でも冷凍のすしを扱っていましたので、まずはそこへお参りに伺いました。宮司さんにかき氷コレクションのお話をしたら「ぜひ開催してください」とのお返事。喜んでかき氷コレクションの主催者にもお伝えしたのですが、残念ながらそのイベントは実現しませんでした。

せっかく氷にまつわる神社でかき氷のイベントができるのに、チャンスを逃すのはもったいない。「それなら、自分たちで奈良のかき氷イベントを開催しよう」とスタートしたのが、「ひむろしらゆき祭」です。地元・奈良のお店はもちろん、東京かき氷コレクションでご縁のあった東京・名古屋・大阪・神戸の人気店もお招きし、全国からお客様に来ていただこうと意気込んでいました。

初回は8月のなら燈花会に合わせての開催でしたが、なんとそのタイミングで台風が接近して燈花会は中止に。幸い風雨は強くなかったので開催を決めましたが、集客にかなり不安が残りました。しかしそんな中でもたくさんのお客さんに来ていただいて、2日で3000杯ものかき氷を召し上がっていただいたんです。かき氷の底力を見る思いでしたね。

第2回以降は7月、5月、3月と開催時期をずらしてきましたが、夏のかき氷シーズンをはずしての開催にも関わらず、ご来場者数は2日で8000人を数えるまでになりました。かきごおりすと・カキゴーラーの皆さんの情熱はどんどん加熱していきます。氷室神社境内で行っていたかき氷提供は、よりキャパシティの大きい奈良公園内の奈良春日野国際フォーラム 甍へと移動することに。神事の後、氷室神社の神官が先導して氷を運ぶ「純氷道中」という行事が加わるなど、奈良の歴史を感じていただける工夫も重ねています。2020年、2021年はコロナ禍のためかき氷の提供は中止となってしまいましたが、これからも皆さんに喜んでいただけるイベントであり続けたいと思っています。

最終更新日:2021/04/07

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