~編集者・徳永祐巳子のふむふむ人訪記~
「住民が主役」の広報誌。みんなの力で改革!
徳永:広報誌づくりで大切にしてこられたことは何ですか?
村田:手にとってもらわないと意味がないので、キャッチーな表紙を意識しています。雑誌感を大切に。例えば、久しぶりに王寺の実家に帰ってきたお子さんたちが、「これ広報誌なん?」と手にとってもらえるような広報誌を目指しています。広報誌をネタに家族で王寺の話をしていただくきっかけになればうれしいです。
徳永:広報誌で会話が広がる、それめっちゃいいです。紙媒体の醍醐味です。
村田:あとは、巻頭特集では住民に登場してもらえる企画を考えています。昔はイベントもお知らせもごちゃごちゃでわかりにくかったのですが、わかりにくい制度の説明は横書きにしたり、文字だけでいけるものは縦書きでわかりやすくしたり見せ方も工夫しています。お子さんのお写真を掲載する企画では、少し前まで町の10ヶ月検診に出向いて自分で撮影していました。今はコロナ禍ですので、公募で素敵な写真をいただいています。
徳永:それはなかなか大変でしたね。広報課の方は、庁内とのやりとりをしているだけというイメージがあって、町民と直接会って取材・撮影することは特殊かなと思っていたのですが。
村田:広報誌で目指しているのは、「地域が舞台、人が主役」です。
徳永:なるほど。そのキャッチコピーに全てが詰まっているわけですね。
村田:リニューアルする際に、広報モニターを募集して、住民のみなさんはどんな広報誌がいいか、幅広い年齢層の方々にお話を聞かせていただきました。
徳永:声をちゃんと拾っておられるんですね。大事なことです。
村田:誰のための広報誌なのかということです。リニューアル後は、アンケートもつけました。この前は、「そろそろネタが尽きてきているのではないですか?」という感想をいただきました。確かに7月、8月はコロナワクチンの記事が続いていたこともありまして。でも「9月号以降は大きな特集しますよ」と雪丸編集長を通してお返事しました。
徳永:雪丸編集長!それは村田さんであり、雪丸であり……村田雪丸編集長ですね(笑)。
村田:あと、年に1回職員向けにお知らせの文章の書き方の研修などもしています。伝え方を工夫するだけで、問い合わせが減ったり、結果仕事をスムーズに進めることができるようになっています。まどろっこしい文章だときちんと伝わらないので、伝わる文章づくりです。
徳永:その通りですね。「これってどういうことですか?」と問い合わせが来るのは、意味が伝わっていないってことですもんね。
村田:そうなんです。あと、役場の窓口は活気があって、いろいろ聞きに足を運んでくださる方も多いのですが、大多数は住民票を取りにくるなど、生活の必要性に応じてです。目的をもって町に関わることって1年に1回あるかないか。ですから、毎回こちらから「王寺町です!」と呼びかけるように広報誌で関わっている感じです。HPしかり、目にするもので町のイメージは決まります。つまり、広報で町のイメージをつくれる、編集ができるのではないかと。
生駒:なるほど〜。住みここちランキングが全国1位という理由も、ここにあるんですね。
徳永:視覚から入る情報は大きいですからね。
村田:デザインだけではダメで、伝えたい人をきちんと見ています。王寺町に住んでいるからできることかもしれませんが。
生駒:いえ、住んでいるからと言って、みんなその想いでできるかというと、それはまた別だと思います。
徳永:誰が読む媒体なのか、ということですね。
村田:僕は王寺町のいろんな方に育ててもらったので、それが根幹にありますね。庁内にも自治会にも、子どもの頃からお世話になっている方がいますから。
徳永:恩返しというイメージですね。
村田:そうですね。あと、なによりうれしいのが、平成26年〜令和元年までに人口が1000人増えました。合計特殊出生率の上昇幅も5年間で関西6府県でトップなんです。王寺町で子どもを育てたいという人が確実に増えていることを実感しています。
徳永:それはすごいですね。(後調べ/人口増数は奈良県内の市町村で一番でした)。
村田:昔から住んでいる方も新しい方にも、広報誌を通じて自分たちの想いを表現できる場があるということを伝えていきたいです。
徳永:町民を紹介する企画も多いですし、大丈夫ですね。
村田:もっとやっていきたいと思っています。5年前は表紙撮影を依頼したらしぶる方もおられましたが、この前、明日校了日という日に、表紙を悩んでいて、公園に遊んでいるお子さんたちがいたのでお母さんに撮影をお願いしたら「ぜひぜひ!」と喜んで協力してくださいました。本当にうれしかったです。帰って急いで表紙を作り、無事入稿。
徳永:入稿前日に表紙がまだという……なかなかの状況だったのですね。受けていただけて良かったです。企画を考えるのも大変ではないですか?
村田:楽しいです。紹介したい方はいっぱいおられます。ネタはまだまだあるんですよ。
徳永:一人で考えておられるんですか?
村田:各課のメンバーが集まって、不定期ですが広報会議をしています。企画案をあげ、そこに地域で活動している方を繋げていく感じです。王寺の空気を編集している感じです。
徳永:いいですね〜、その言葉いただきます(笑)。
村田:企画といえば、5年後、町制施行100周年なんです。入庁1年目に90周年を経験したのですが、100周年は住民さんを巻き込んで1年間お祭り騒ぎみたいなことをやりたいと思っています。町長はじめ、庁内で100周年を担当したいとアピールしているんですけどね(笑)。あと、生駒市みたいに広報やシティプロモーションに特化した部署を作ってほしいなと思っているんです。王寺のブランディングをまるっとやっていきたいなと……!
徳永:そのエネルギー、本当にすごいですね。
生駒:愛ですね。
村田:浮き沈みはありますけど(笑)。でも住民さんから元気もらっていますし、モチベーションが保たれているのは、他市町村や他府県の広報担当者の存在も大きいです。生駒市や広陵町などにも仲間がいて、いろいろ刺激をもらっています。
徳永:王寺町のみなさんからの充電、そして仲間の存在。
村田:発行日の次の日は、河川敷を歩きながら出勤するんですけど、「広報誌見たよ!」と声をかけてもらうこともあったり、「大地、大地」と呼んでもらったり。町が好きな人がたくさんいて、僕も町や町のみんなが大好きです。
徳永:愛の塊ですね。逆に苦労したことはありますか?
村田:おそらく広報改革される人は荒波にもまれていると思うのですが、王寺町は先輩同僚に恵まれていて、なによりも町長が広報を大事に考えてくださっています。「職務心得5ヶ条」のひとつに「広報広聴の工夫と徹底」とあります。改革の時期も、当時の総務部長は6年広報をされていた方でしたし、直属の係長も町に友達が多くて、王寺町大好きなタイプで。そのおかげで、なんとか広報の土台ができました。
徳永:それは心強いですね。
村田:もちろん締め切りは大嫌いですけどね(笑)。
徳永:わかりますよ。苦手なこともあって当然です。
村田:ここに来るまで時間はかかりました。デザインのことやわからないことは調べればいいことで、家でも勉強はしましたが、自分は今何がわからないかわからない、という時代も正直ありました。
徳永:でも、ここまでされてきたってことは、村田さんも柔軟ですよね。デザインも生み出しては潰すという繰り返しだったと思いますし、ご自身もかなりバージョンアップされてきたと思います。
村田:王寺町も柔軟だったんです。住民のみなさんもよく付き合ってくれたと思います。毎回違うデザインでしたし。みんな優しいです。この広報誌は、王寺町のみんなのおかげです。だから改革できたと思います。
徳永:毎回、決裁をとりにいったり、お伺いをたてないといけなかったら、ここまでには至らなかったですね。
村田:Instagramを始めた時も住民のみなさんがハッシュタグをつけてくれて広がっていきました。今度、王寺町のイベント「王寺ミルキーウェイ」で写真展をしようと思っています。イベントもトータル的にデザインをしてやっていきたいです。コロナ禍のため開催できるか悩ましいところですが。
徳永:楽しそうですね!実現するといいですね。
村田:かっこいいとかおしゃれだけでなく、誰に何を伝えるかということをいつも意識しています。情報を整理することがデザインだと思っています。
生駒:広報誌から村田さん住民の人に知ってもらいたいという気持ちがきちんと伝わっていますね。
徳永:それにしても人脈がすごいですよね。自らお休みの日に地域活動に参加されたりもしているのですか?
村田:今、子ども会の主団体「王寺町児童文化協会」の理事と、自治会長もやっています。
みんな:え〜!!!!!
村田:町のキーマンからネタを提供してもらえるようになってきています。だから、取材対象はまだまだいっぱいあるので、すごくワクワクします。
徳永:なるほど。あと広報誌を改革して良かったことは他にもありますか?
村田:お知らせと特集を統合すること、自分で全てデザインもすることで、全ページフルカラーにしてもトータル予算の削減ができました。
生駒:デザインは本来デザイナーがやる仕事ですからね。
徳永:それまでもを楽しんでおられるところがすごいです。この町だからできるんですね。
生駒:これからのことを考えると、他のスタッフも育てていかないといけませんね?
村田:村田のあとに広報誌を担当するのは絶対にいらんとたまに言われますが、着眼点が素晴らしく、広報に興味がある後輩もでてきています。
徳永:私たちは行政から委託される側にあるのですが、誰に向けた企画か、何を伝えたいのか、発注側の意図がわからない時もあるんです。
村田:委託業者がペルソナ(マーケティング戦略に用いる仮想的な人物像)や企画を考えたとしても、それが本当に自分の町に当てるはまるのかを市町村側はきちんと考えないといけませんね。
徳永:その通りなんです。アイデアを真似ることもいいし、新しいことを取り入れることも必要なんですが、それが本当に町から求められていることなのか、その辺りは何をするにしても大切にしたいことです。
生駒:ぜひ、行政のスタイルを変えていってほしいです。
徳永:ところで、一人でされていると、日々広報誌のことを考えておられるような状況ではありませんか?忙しいですよね?
村田:家族の介護もあるので、早く帰らないといけませんから、なんとか定時に帰っています。5年やればできるもんだなと思いました。
徳永:残業なしですか? 整理が上手なんですね。
村田:ノイズが嫌いで、机の上もまっさらな状態で、考えることだけを机に置いてやっています。目に入るものは削除!パソコン台もDIYして作業をしやすい環境をつくりました。書棚も置いて、仕事できる人っぽく、自分をだましていきました(笑)。
徳永:編集って、いろんなものを入れて整理することですので、迷いもあるでしょ?
村田:迷う時は迷い続けますね。取材しながら、どんどん設計図は変わっていきますよ。でも、ノイズを消すことで集中力が出てきました。以前は、2分でできる仕事をため込んでよく怒られていたんですが、それを先にするようにすると、おのずと残業も減っていきました。子どもとも遊びたいし、自分の時間も確保したいですしね。何より、いつも残業ありきで仕事をしてしまうと、災害対応や突発的な業務に本気で臨めませんから。お世話になった上司から教わったことです。
徳永:上手に時間を使っておられますね。
村田:ここにくるまで時間はかかりましたけどね。でも、まだ8ページできていません、っていう時もあって、印刷会社の方をお待たせすることもあります。大変だけど楽しい、楽しいけど大変って感じです。
徳永:これまでの努力がありますね。残業していないってところも、まだまだやりたいことがいっぱいあるところも、素晴らしいです。
村田:時間がいくらあっても足りないですね。今も、無限にしゃべってしまいます(笑)。
徳永:では、そろそろお開きとしましょう。
【編集後記】
とにかく楽しくしゃべり倒してくださった村田さん。地元への「愛だろ、愛!」以外にまとめの言葉が思いつきません。
私も長年奈良の情報誌を通して地域の活性化を目指して情報を発信してきました。この土地に育ててもらったという感覚、いつの頃か「奈良へ恩返しをしたい」という気持ちが芽生えたことを思い出しました。
地域に誇りを持てる、自分の住む町が好きと言える人材づくりの大切さ。村田さんは王寺に育ち、王寺町の広報を通して町づくりをされています。まさに王寺町の広報大使ですね。
地域づくりは人づくりから、と言います。まさに広報マンの鏡!
カメラマンが撮影してくれたこの写真。
アングルが同じだからでしょうか、村田さんが雪丸にしか見えません。
村田さん、これからもがんばってください。ありがとうございました。
(記事・徳永祐巳子、撮影・北尾篤司)
村田 大地
1985年、山口県下関市生まれ。2歳から王寺町で暮らし、中学生の頃から地域活動へ参加。20代前半は臨時職員として、2015年2月からは正職員として王寺町役場に勤める。2016年に広報誌担当となり、2018年に王寺町広報誌「王伸」を完全リニューアル。メディア・ユニバーサルデザイン・アドバイザー。アウトドア好き。
王寺町広報誌はこちら
最終更新日:2021/09/19