奈良、旅もくらしも

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

『きになる!きなりの郷 下北山村の文化財』冊子を作る(2)

このたび、奈良県南東にある下北山村では、文化財冊子『きになる!きなりの郷 下北山村の文化財』を刊行しました。今回「奈良、旅もくらしも」では、その冊子制作の様子をお届けします。第二回は、大まかな紙面作りの過程です。

第一回目の記事はこちら↓


冊子のコンセプトを決める

さて、無差別に集められた下北山村の文化財リストは、すべてを調べて、すべてを紹介すると、いくら時間があっても足りません。

そこで話合い、以下のようなコンセプトの冊子を作ることに決めました。

  • 観光ガイドではなく、村に住んでいる人や今後将来村に携わる人に向けた冊子にする
  • 地区ごとに紹介する
  • 有形文化財と無形文化財を混ぜ、単に物をリストで見せるだけではなく、その文化財ができた当時の文化や生活も伝わるようにする

地区ごとに候補を上げる

コンセプトが決まったら、掲載する文化財の候補を決めていきます。
地区ごとに紹介するため、各地区の特色がなるべく出るように考えながら、時代が偏らないよう、すでに評価が高い文化財が漏れることなく、一方であまり知られていない文化財も紹介できるように選びました。

地元出身の方にお話をうかがい、掲載したほうがよいという文化財があるかどうかもヒアリングしました。今回掲載した「神武天皇遥拝所」は、ご意見から掲載を決めた場所の一つです。

看板もなく、途中の道は現在草木が生い茂り、訪れにくくなっていますが、今の大人の世代にとっては、小さなころに遊び場にしていた、思い出深い場所であるとのこと。

『下北山村史』には創建年や経緯は書かれていませんが、作った人のフルネームが記載されているため、さほど古いものではないようです。時代的な背景を考えると、明治時代には日本全国で神武天皇遥拝所が作られていますし、『下北山村史』にも明治政府から神武天皇を崇敬するよう通達があって、様々な手段を講じたことが書かれているため、その一環で作られたものではないかと推定できます。

しかし、地元の方のお話では、「神武天皇が休憩したと聞いた」「神武天皇が腰掛けたと聞いた」という方も少なくなく、この場所は「神武天皇がいらっしゃったんだ!」と、語り継がれ、親しまれてきた場所であるとも言います。
 

こういったはっきりとした年代や経緯がわからない文化財は、なかなか紹介されづらいものですが、「自分が聞いたことを、さらに人に語り継ぎたくなるエピソードがある」というのも、文化財が大切にされ、今後も残っていくためには必要です。

紙面の都合で掲載できなかったものとして、太平洋戦争時代の監視所があります。B29による空襲に備えて空を監視するもので、もともとは下北村役場の裏山にあったそうです。現在は移築され、私有の建物として使われています。

前面は現代風に改装されているものの、背面の窓のあたりは当時の姿を残しています。戦争下の緊迫感や、防衛体制を知ることができるため、村としては把握しておきたい戦争文化財です。

なお、こちらの監視所をはじめ、摺子発電所、絶滅危惧種の生物や植物、下北山村の昔の様子などを野崎和生さんに教えていただきました。下北山村といえば昭和にツチノコブームが起き、今もお土産物などでツチノコモチーフが使われており、知られていますが、野崎さんはその立役者。ツチノコ共和国を建国された議長様です。平成21年には国土緑化推進機構により「森の名手・名人」にも認定された方です。大変多くのアドバイスをいただきました。

現状確認

この他、気になる場所は、撮影や執筆にとりかかる前に実際に現地を訪れて確認しました。地区ごとにあるような稲荷神社と山の神は、それぞれの地区で訪れました。以下は、紙面には掲載できませんでしたが、浦向地区の稲荷神社です。日当たりのよい高台にあり、大変気持ちのよいところです。

下の写真は浦向地区の山の神です。実利行者の行場だった「行者の滝」に向かう途中に小さな神社があったため、立ち寄ってみると山の神でした。苔が絨毯のようにふかふかに生えていて、山の生命力の強さが感じられます。看板が欲しいようにも感じる一方で、地元の方のための場所を旅行者が乱すことがないよう、紹介には注意が必要な場所でもあります。

ちなみに、下北山村での打ち合わせの多くは、コワーキングスペース「BIYORI」を使いました。

このBIYORIは、下北山村で村外から子どもたちを受け入れる山村留学を実施していたとき、留学中の子どもたちが暮らしていた「やまびこ寮」を改装した建物です。外観や手洗い場の低さなど、あちこちに寮だった頃の面影が残っています。
山村留学をしていた子どもが大人になって、今度は家族連れで下北山村に遊びにくることもあるそう。内部は新しく便利に使える村の施設として生まれ変わった一方で、解体・新築ではなく、改装して使い続けていることで、懐かしい場所としての面影も残しています。そういったエピソードも残していきたいものです。

候補に上がっていたものであるにも関わらず、掲載できなかったところもあります。
『下北山村史』には旧浦向郵便局舎の写真があり、紹介できればと思いましたが、残念ながら取り壊されてしまったそうで、今はありませんでした。

この旧浦向郵便局舎や、冊子に掲載した旧池原郵便局舎、下北山村歴史民俗資料館などは、作られた年代が昭和初期ごろと推定すると、当時は県外を含めてもかなり先進的でモダンな建物だったのではないかと思います。

地域の民俗資料館といえば、どちらかと言えば古民家風の建物が多い印象があり、下北山村民俗資料館の洋風の外観に驚くかもしれません。これは大正・昭和のモダン建築で知られる西村伊作が設計した医院を移築したものと聞けば納得です。西村伊作は大正デモクラシーの一部を担ったとも言える人物で、もっと県内外に知られてほしいものです。今回の冊子の人物紹介に掲載しています。

※写真は下北山村歴史民俗資料館の建物について、移設時のパネルを見せながら説明してくれる巽正文さん。資料館の前館長さんです。

なお、巽さんに「下北山村は石垣の風景がいいですよね」と話を向けると、「一番いいのは小井のお薬師さんのところかな?」と教えていただきました。紙面には掲載できませんでしたが、なるほど、いい石垣です!

このように、地元の方に話を聞いたり、現地を確認したりして、冊子に掲載する内容はおおむね固まりました。このあとは、インタビューや撮影、詳細な資料集めをして、紙面を作っていきます。((3)に続きます

最終更新日:2022/02/19

TOPへ