奈良、旅もくらしも

『きになる!きなりの郷 下北山村の文化財』冊子を作る(3)

このたび、奈良県南東にある下北山村では、文化財冊子『きになる!きなりの郷 下北山村の文化財』を刊行しました。今回「奈良、旅もくらしも」では、その冊子制作の様子をお届けします。第三回は、完成までの大詰めです。

これまでの記事はこちら↓


インタビュー

文化財の見どころや価値を伝えるには、どうすればいいのか。
一つの方法は、研究者による説明から、そのものの良さや価値を知る方法があります。古いものなら『下北山村史』などの資料に年代や特徴などの詳しい説明があります。

もう一つの方法は、地元の方に詳しい話を聞くこと。特に熱く語ってくれるところには、そうさせるだけの良さがあり、なつかしさがあり、思い出があるということ。下の写真は不動峠の地蔵堂について、保存会の山本恭裕さんに説明していただいているところです。

不動峠は、現在北山村で「筏師の道」という観光資源になっていますが、実際は筏師はもちろん、和歌山方面に向かう人々が生活道路と使用していた道でした。お話をうかがいにいったときの

「このあいだ話した80代の方が、お母さんが七色(和歌山県北山村七色)に住んでいて、子どものところに年末に大きなもちをもっていくのにあの峠を越えていたんだ、なつかしくてなつかしくて…といっていました。お堂の前で一休みするのが怖かったんだって、峠は暗いから」

といった言葉から、買い物にいったり、親戚や友人に会いにいったりと、様々な人が大きな荷物を抱えてこの峠を越えてきた光景が浮かび上がってきます。ライターは「筏師さんのことは別のコラムで紹介して、生活道路だったこと、茶屋があって皆が峠で休憩していたことを書こう」と、限られた文字数の中で書くべき内容を考えていきます。

上の写真は、めはり寿司について、田ノ下さんにお話をうかがっていたときの一枚。

コタツに入らせていただいて、
「最近は時代の流れで(冷凍技術が発達&減塩)で浅漬けの緑色が主流やけど、昔の春まなの漬物は塩辛い琥珀色の古漬けが主流やったんやで。日浦さんなら古漬け漬けてはるやろか」
と話していたちょうどそのときに、話の中で出てきた名人日浦さんが、「アタシだよ」と春まな漬けのお裾分けをしにやってきました! なんというミラクルなタイミングでしょう!!

割箸制作の記事は、はし吉さんに取材させていただきました。

割箸は、丸太から柱や板をとったあとの端材で作ります。吉野杉材を製材工場から仕入れるときの値段は、建材の値段と同じとのこと。端材というと残り物のように感じてしまいがちですが、大きさや性質が違うために建材向きではないというだけで、価値のある良質な材です。

日本産の割箸は、メニュー単価が高い料亭や旅館でよく使われます。そういったところで使う箸は、曲がったりきれいに割れなかったりしては食べる人に失礼だし、使う店の看板にもかかわるからと、よく研いだ刃に2時間おきに交換し、一膳一膳すべて品質チェックをして出荷しているとのこと。

割箸というと、一回限りの食事で使い捨てるイメージがありますが、上質な空間でのここぞという一食のために、想像以上の手間暇がかかっているように感じられませんか。とっておきの日に下北山村の箸を使いたくなりますね。

上の写真は、スポーツ公園です。取材をして驚いたのは、「昔はここは川だった」ということ。今はきれいに整備されているので、観光で遊びに行ったときはまったく考えもしませんでした。

支配人の勝平芳明さんの説明では、ここはもともと川が流れていた場所で、池原ダムで川が堰き止められたことによりできた新しい土地なのだそう。写真を見ると、なるほど山と山の間の、いかにも水が流れそうな場所です。地元の人々は、今でもスポーツ公園や公園内の「きなりの湯」に行くときには「河床(かしょう)に行こう」と言うそうで、まだまだ新しい土地であることが感じられます。

池原ダムの建設が終ったあと、この場所にはダムの建設資材が放置され、葦が生え、大変見苦しい廃川敷になってしまっていたそう。ダム建設が終り仕事を失った人々の仕事を作るために、そして見苦しい廃川敷をきれいにするために、様々な補助金を活用して資金を集めて今のスポーツ公園を整備してからは、まだ数十年しかたっていません。今は県外からも多くの人々が合宿やキャンプに訪れるスポーツ公園のそういったエピソードも伝えていきたいところです。

撮影

テキスト作成と並行して、写真撮影も行います。
今回写真を撮っていただいたのは、写真家であり、古武術の師範でもある三好祐司さん。文化財関係の撮影はもちろん、普段から水行や滝行など、自然の中に分け入っている三好さんなら、滝や岩場もきれいに撮影してくれるはず!とお願いしました。

三好さんは普段から和装で生活されています。
編集者の都合がつかず、一人で撮影に行っていただいたところもありますが、すれ違った方はタイムスリップしたような気持ちになったかもしれません。

明神池や池神社、親子杉は一度撮影しましたが、自然は時間や天気で見え方が変わるからと、翌日もう一度撮影してくれました。写真は明神池です。対岸に小さく池神社が見えます。水面が鏡面のように輝き、朝靄が舞っています。

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冊子に使うかどうかとは別に、内部資料も兼ねて、細かな文化財も撮影していきます。仏様は、装飾やお供え物、盗難防止の措置などでなかなか撮影の機会がないので、ご住職もご自分のスマホで一緒に撮影されていました。

みんなで原稿チェック

原稿ができると、皆でチェックをしていきます。

誤りがないか…
わかりづらいところはないか…
ルビに不足はないか…

たとえば以下の正法寺の記事では、最初「戸野兵衛」に思い込みで「とのべえ」とルビを当てていたのですが、正しくは「とのひょうえ」でした。こういった間違いは、当てた本人ではほぼ気づけず、多くの目で確認することが必要になります。

「護良親王」については、学会では「もりよししんのう」で統一され、朝廷では「良」は「なが」と読むことが多いため「もりながしんのう」とも読まれるという、読みの説が複数ある人物ですが、今回は地元の方が呼ぶときの「もりながしんのう」のルビを当てました。

また、地元の方に指摘をいただいたのが「紹介順がしっくりこない」とのこと。「前鬼→池原→池峰→寺垣内→浦向→佐田→上桑原→下桑原の順がしっくりくる」とのこと。

北から順番というわけではなく、一体何がしっくりきているのか? と皆で少し考えましたが、これは下北山村を一周する道を北から左回りで巡った順序ですね。現在は周回できますが、池原と下桑原の間にある大里トンネルは、ダムの建設の際に開通したもの。トンネルができる以前に下北山村の全地域を巡るルートと考えると、なるほどしっくりくる順番です。

なお、地図やイラストは、下北山村在住の上村恭子が担当しております。


たくさんの人の協力で、新しい文化財冊子ができました。機会があればぜひ、手にとっていただき、下北山村を知るためのツールの一つとして活用していただければ幸いです。

また、多くの人に、今ある文化財を大事にしていただくだけでなく、大好きな場所や素晴らしい物を、見つけ出し、作り出し、これから未来に伝えていく新しい文化財の列に加えていっていっていただけるきっかけになればと願っています。

お忙しい中、お話を聞かせていただいたり、内容を何度も確認していただいた関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

※『きになる!きなりの郷 下北山村の文化財』冊子は、下北山村のWebページでPDFを公開しています。冊子の入手をご希望の方は、下北山村役場教育委員会(電話/メール)までお問合せください。

最終更新日:2022/02/24

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